ネットにも載ってるこの記事だ。
安保法の騒動ででデモが盛り上がったことを引用しながら、最後に以下のように結んでいる。
声を上げるのが、民主主義?
それで、反対派だった野党への投票行動につながる?(→60年安保デモ後の選挙)
いろいろツッコミを入れたいところだが、上記の記事リンクを貼ったFacebookのウォールには、「この記者たち、民主主義が選挙のことだと勘違いしてるよ」とだけ、書きこんだ。
すると、SEALDsの奥田くんが突然、「してないでしょ(笑)」と書き込んだ。
忙しい奥田くんが 「民主主義と国民主権の意味がわかる記事5本」を読みこなすには、時間がかかると思うので、僕は答えを急いではいない。
若い人にはまだまだ「のびしろ」があると信じてるので、上記のリンク記事を正確に理解できた瞬間から、突然「そうだったのかーっ!」とこの社会と自分との関係に目覚める時も来ると思う。
それはあくまでも一般論だが、SEALDsや奥田くんからネット上に発せられた言葉や動画などを逐次追ってきた僕の見立てでは、奥田くんはそんなに時間を要しなくても冷静になり、僕の記事リンクはもちろん、宮台真司さんの解説(→ラジオ番組出演時の音声)の言葉も理解できるはず。
奥田くんとは会ったことは無いが、彼はバカじゃないと思うし、他人の言葉を正確に読もうとするだけの真摯さはあるように思う。
いま、テレビや新聞、あるいは文化人として紹介される多くの有名人が、民主主義や国民主権の意味がわからない(あるいは誤解したまま)、政治家の責任だけを問おうとしている。
しかし、その構えが、主権者である自分自身の日常的な仕事における社会的責任を問うことから目を背けさせるなら、「選挙に行こう!」という呼びかけは政権与党=国家権力の暴走に手を貸すのと変わらない。
今後デモをやるなら、叫ぶ言葉が違ってこなければ、今回の「敗北」から何も学んでないってことになってしまう。
だから、安保法制が可決する1日前、僕はこんなツィートをしたんだよ。
SEALDsの奥田くんが「俺たちの時代は政治家に任せず、自分たち自身で民間から仕事によって社会を変える! それが主権者としての国民の責任を果たすことだから。タテマエの民主主義を捨て、政府の暴走を防げる仕組みを民間で一緒に作ろう」と呼びかければ、新しい時代の到来を予感させるのにな。
— 今一生 (@conisshow) 2015, 9月 18
朝日新聞の記事も、根拠のない期待を込めて書くのではなく、むしろ国民に主権者としての責任をどう果たしていくのかを問いかけるのが、民主主義や国民主権を理解した記者なら、いま一番必要な良識だと気づいたはずなんだ。
数年に一度しかない選挙は、あくまでも主権者が自分の代理人を非日常的に選ぶこと。
日常的に民間から(平和維持も含めて)社会的課題を解決する仕事をしようとしない国民が、選挙の時だけ社会参加してるように感じても、これまで通り、政治的主張や候補者選びが空虚なものにしかならないよね。
それに、選挙で自分の代理人を選んで社会的課題の解決を担わせるのは、民主主義では最終手段であって、最優先の権利行使ではない。
真っ先に平和維持の仕組みを作るなどの社会的課題の解決を担うのは、主権者である国民=民間の果たすべき責任であり、それをする権利が国民主権だよね。
つまり、国民が真っ先に選挙に期待し、社会的課題を解決する責任を果たそうとしなければ、政治家はその責任を国民から奪い、「おまえら国民はどうせ自分たちできないんだろ。ワシがやったるわ。黙って観てろ」と権利をむさぼるだろう。
それが、違憲なことでも平気でやってしまう権力の暴走を許す国民の姿だよ。
僕が怖いのは、主権者としての自分の責任から目を背け、「政治家だけをなんとかすれば、民主主義や国民主権が機能する」という勘違いしてる日本国民があまりに多いという現実だ。
その現実は、権力をさらに自由に暴走させるのだから、権力そのものより、はるかに恐ろしい。
でも、時代はいつも、若い世代が変えてゆく。
だから奥田くん、きみと同じ世代で主権者としての責任感を果たしてる社会起業家やソーシャルデザインの担い手に関心をもってほしい。
すでに、きみと同じ年齢の子は、高校や専門学校、大学などで社会起業やソーシャルデザインを学んでいるのだから、デモをしなくても、決して孤独ではないんだよ!
…と、このブログに書いて拡散したら、なんと奥田くん本人からtwitterに書き込みが。
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