日本でも40年以上前から、学校の音楽の教科書やピアノ幼児教室の練習譜面にも、ビートルズの楽曲が使われてきた。
最近のミュージシャンでも、ビートルズのカバーをする人は珍しくない。
しかし、英語をそのまま歌う場合、本当に歌詞の中身を理解しているんだろうか?
50年前からいろいろな方が日本語訳詩を出版し、主に直訳として紹介されてきたが、「正直いまいち意味がわからなかった」という印象をもった方は、少なくないだろう。
僕自身もそう感じていたので、胆石の手術で入院・通院による休業を余儀なくされていた今年の上半期から、ビートルズをとりあえず100曲だけ自分で訳してみようという試みを始めた。
しかし、ただ正確に訳しただけでは面白くない。
そこで、日本語で歌えるように、原曲の譜割りをふまえて日本語を選び、自分で実際に歌って意味と情感が伝わるかの実験をしてみた。
もちろん、ビートルズが生まれ育ったイギリスの文化やウィット、彼らが音楽活動をしていた1960年代の時代状況、メンバーの生い立ち、レコーディング時の4人の関係などをふまえながら、作詞したメンバーたちが何を表現したかったのかを浮き彫りにしようと思ったのだ。
やってみると、いろんな発見があった。
『ノルウェイの森』は、「森」じゃなくて、「ノルウェイ産の木製品」だった。
『オブラディ・オブラダ』は、夫婦で仕事と育児を交代し、男もメイクする男女同権やジェンダーフリーを楽しく歌ったものだった。
『レディ・マドンナ』は、貧乏子だくさんのシングルマザーが週末に街娼をやりながら育児をがんばってる姿を応援した歌だったし、『オクトパス・ガーデン』はズバリ「ひきこもり」の心情を歌っていた。
『Girl』は「ツンデレ」を歌ったものだし、『Something』は「萌え」と訳せる内容だった。
日本発売当時は『恋を抱きしめよう』という邦題がつけられていた『We Can Work It Out』は、恋人どうしのラブソングではなかった。
「わかりあえない人どうし」の関係を見て、「ケンカしてるヒマは無いよ」「話を聞こうよ」と呼びかける、コミュニケーションの困難について歌ったものだった。
他にも、『She' Leaving Home』は物質主義では満たされない家出少女を歌ったものだし、『When I'm Sixty-Four』で「64歳になっても愛してくれる?」という不安を歌ったポールが本当に高齢で離婚してしまうなど、訳詩の作業は十分に楽しめた。
現代の日本にも十分通じるメッセージを、ビートルズはいろいろな歌で伝えていたのだ。
だから、原詩と僕の和訳、そして歌の意味の解説をセットにした本を書いてみたいと思い立ち、『ビートルズは何を歌っていたか?』なんていう新刊の企画書をせっせと作っているところ。
来年の来日50周年でビートルズの人気が再燃し始めてる今、面白がってくれると編集者と出会いたいものだ。
残る10数曲を訳し終えたら、100曲に達成するので、都内のどこかで日本語でビートルズを歌ってみるライブでもやってみようかしら、なんて思ってる。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
■本の商業出版を考えている個人・法人の方は、こちら(※もうすぐ〆きります)
■会社に雇われない働き方について相談したい方は、こちら
■NPO活動に毎月20万円程度の資金を調達したいなら、こちら
共感していただけましたら、下にある小さな「ツィート」や「いいね!」をポチッと…