有限会社モーハウス(茨城県つくば市)は、授乳服を中心に商品を展開するアパレルメーカーだ。
1997年、同社代表の光畑由佳さんは、次女に電車内で授乳させた際、母乳育児では人前に出にくく外出もためらってしまうという不便さを痛感した。
「本来自然なものであるはずの授乳が、自分の行動を束縛するなんて変」
そう感じた彼女は、海外の授乳服を通信販売で取り寄せ、外出してみた。
「着た瞬間に、『これでどこにでも行ける。私の自由は保証された』という感じ。
『今まで自分は我慢してたんだ』と気づかされた。
この解放感を世の中のお母さんたちに教えたい」
そして、近隣のママ友と一緒にオリジナルの授乳服を作り始めた。
今日ではブラ、インナーなども充実し、ネットショップと東京・青山の直営店、つくば西武での出店などで年間6万点以上を売り上げ、従業員は非常勤や在宅勤務も含めて45人に上る。
90年代後期には日本ではなじみの薄かった授乳服という新商品が、なぜ18年間も愛され続けてきたのか。
その背景には同社独自の仕組みがある。
それは市場開拓の戦略というよりは、市民ニーズに応えてきた結果だ。
その好例が「授乳ショー」である。
同社は公開イベントを数多く開催してきた。
同社の授乳服を愛用している消費者に「出演しませんか?」と公募すると、必ず「出たい」という無償の申し出が集まり、彼女たちは観客の前で堂々とわが子に授乳し始める。
しかし、授乳中とは全然見えない。
それによって観客は、モーハウスの授乳服が授乳していることを悟られないデザインになっていることを知るだけなく、独身時代や妊娠前と同様に気兼ねなく外出できる自由が得られると知る。
欲しかったのは自由であり、授乳服はツールにすぎない(だから同社ではお客さんのことを「ユーザ」と呼び、横のつながりを大事にしている)。
同社では、これを「ナーシング・フリーダム」(授乳服から始まる自由)と呼んでいる。
それはモーハウスの商品が授乳服という目に見えるものである以上に、「女性が自分らしく自由に生きられる自由」という社会的価値にあることを端的に示している。
光畑さんの思いは、母乳育児の経験を持つ母親たちに共感された。
だが、それはただの消費者になって終わることを意味しなかった。
光畑さんは創業当初から「オープンハウス」と称して自宅を定期的に開放し、授乳や育児などの悩みを母親たちが話し合う小さな集まりを始めていた。
そうした無理のない集まりが同社の公式サイトで紹介されると、全国の母親たちに普及していった。
これらはすべて同社の授乳服を着て自由を感じた消費者たちが自発的に催した小さな集まりだ。
営業所が勝手に増えているようにも見えるが、オファー受けて実現してきたものだ。
この事実こそが同社の事業が営利よりも自由を求める社会活動の意味が強いことの証拠。
他にも、創業時から子連れ出勤の母親が多かったり、従業員を常勤・非常勤の別なく「スタッフ」と呼び、非営利事業を行う「らくふぁむ」という任意団体も立ち上げて「いいお産の日」などの母親向けイベントを開催するなど、母親たちが自分のライフステージに合わせてとれる責任の範囲内で無理なく働ける場所と仕組みを作ってきた。
右上がりの収益増や株式上場は目指さず、現在も正社員が5人しかいない小さい会社だ。
それでも、2006年に経済産業省のIT経営百選で最優秀賞を受賞したのを皮切りに、茨城県やグッドデザインなど数々の賞を毎年受賞し、メディアに話題を提供してきた。我慢しなくていいという気づきは、「もっと自由になりたい」という欲望を生む。
そこで、東京都立産業技術研究センターと共同で年齢・体型・サイズ・身体機能に関係なくつけられるユニバーサルデザインのブラも開発した。
モーハウスの商品は母乳育児の経験を分かち合える当事者たちのコミュニティによって作られ、育ち、やがて同社は社会起業家と呼ばれるようになった。
ビジネスが自由になるための手段にすぎないのだから、お金を払う人・もらう人という区別もない。
代わりに、自分らしく生きられる自由という価値を求め、それをみんなで分かち合いたいと願うユーザたちのコミュニティがあるのだ。
子連れ出勤による「ワークライフミックス」の試みについては、光畑さん自身が書いた本『働くママが日本を救う! ~「子連れ出勤」という就業スタイル』 (マイコミ新書)を読んでみてほしい。
赤ちゃんを連れて、職場で働くことは、意外と簡単にできることなのだ。
子連れ出勤による「ワークライフミックス」の試みについては、光畑さん自身が書いた本『働くママが日本を救う! ~「子連れ出勤」という就業スタイル』 (マイコミ新書)を読んでみてほしい。
赤ちゃんを連れて、職場で働くことは、意外と簡単にできることなのだ。
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