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■ひとり親家庭より、はるかに貧しい子どもたち

 日本の児童虐待の相談件数は、17年間で約18にも増え続けている。
 しかし、その対策予算は、現状の深刻さに比べて増えているとは、とても言えない。
 2014年度に全国207カ所の児童相談所が対応した虐待件数は、前年度比20.5%増88931件(速報値)だった。
 だが、厚労省の2015年度の児童虐待防止対策関係予算の概算要求の額面は、前年度比4.06%増にすぎなかった。

 親からの虐待によって家庭で育てられないと児童相談所に判断された子どもは、養護施設や民間の自立援助ホームなどで育てられる。
 しかし、養護施設の出身者は中卒・高卒がほとんどであり、一般より低い学歴・学力になってしまうゆえに、学歴・学力を採用面で重視する働き方では、貧困化を強いられる。

 すると、やがて彼らが親になっても、わが子を育てることが難しくなり、やはり養護施設に預けるほかに生きていけないという「負の連鎖」(貧困の世代間再生産)という悪循環が代々続いてしまうのだ。

 これは、「貧しい家の子は孫もその孫も貧しい」というレベルの話ではない。
 みんなが貧しければ互いに助け合えた時代もあったが、同じ居住エリア内で所得格差が広がってしまった今日では、同じ団体やマンションでも親どうしの相互扶助が育ちにくく、子育てをシェアする難しさから被虐待児は情緒面での成長が遅れがちになり、送られた施設やホームでも孤立してしまうことが珍しくないのだ。



●自分が耐えてるガマンと、耐えられない人の文化に気づく

 富の格差だけでなく、学力や情緒、コミュニケーションスキルなどさまざまな格差の最下層に、被虐待児が追い詰められる構図がある。
 そして、有権者ではない彼らの声は、政治による公的支援を声高に求める大人たちの声にかき消される。

 「ひとり親を救え!プロジェクトに賛同すると困る存在」という記事の中で、僕はプロジェクトに賛同の署名をした一人として、ひとり親家庭よりはるかに切実な貧困化を強いられている被虐待児について配慮してほしいと書いた。
 しかし、プロジェクトのメンバーの誰からも、その配慮に関して回答を得ないままだ。

 ひとり親家庭が少しでも助かることに、反対などしたくない。
 しかし、それが実現することによって、より弱い存在へのしわ寄せを招いたり、より弱い存在への関心を大衆から奪うことに寄与するなら、僕は手放しでは喜べない。

 なぜなら、課題が深刻であればあるほど、人々は目をつむり、耳をふさぎたくなるからだ。
 そして、深刻な課題が報道される場合も、「こんなに深刻ですよ」という当事者の個人の苦しみの吐露で終わりがちだからだ。

 たとえば、虐待を受けて大人になった方々に証言させる映像を放送したNHKの「ハートネット」のHPでも、ありきたりの相談窓口をリンクして終わりだ。

 すでに現実には家族を保証人にしなくていいシェアハウスなど、家出しても生きていける社会インフラが豊かにある割に、解決策として提示されない。
 番組制作サイドが虐待された当事者の側に立つのではなく、「家出はいけない」という既存の世間常識の側に立とうとし、自らの常識を疑おうとはしないからだ。
 要するに、取材対象者の苦しみなど、他人事なのだ。

 僕は90年代後半からの家出人取材を通じて、「家出は児童虐待からの緊急避難だ」とハッキリ言える。
 しかし、新聞やテレビでは、それが言えない。
 家出しなければならないほどの「虐待家庭」で育った人は、大学進学そのものが困難だし、NHKや読売新聞などで採用されるほどの高い偏差値の大学にはまず行けない。
 マスメディアは、児童虐待の当事者とはまるでかけ離れた文化を生きてきた人たちなので、「家出=深夜遊び=不良」という妄想を捨てられずにいるのだ(注:家出と深夜遊びは似て非なるもの)。

 自分が知らない文化には、自分が信じる価値観とはまるで異なるものがある。
 このことが頭でっかちにしか理解できていない人たちが報道や学術の関係者に多ければ、「問題提起はできても解決が動機づけられない」人たちを育てるだけだろう。

 実際、インテリさんたちは、一方では「多文化共生」とか「ダイバーシティ」(多様性)を口にするが、そのテーマで開かれる都市部のイベントに足を運んでみても、インテリ文化とはかけ離れたヤンキー系の客はまずいないし、歓迎もされないし、集客の際も広報の対象になっていない。

 まるで顕微鏡で細胞を観るように、異文化は観察の対象であって、付き合う相手として見込まれていないのだ。
 だから、「家出していいんだよ」という一言が言えず、いじめ自殺が相次いでも「学校は行かなくていい」までは言えても、地域社会に残ることでいじめを受け続ける現実には関心を持たないのだ。

 しかし、新聞や雑誌の購読者が減っている現実は、やがて新聞記者や雑誌編集者の考えを少しずつ改めさせていくかもしれない。
 彼らは早めに気づいた方がいい。
 「問題提起ではなく、解決事例を豊富に紹介することが、読者のニーズに応えることだ」と。
 「自分が不当にガマンしてることは、他の人も解放されたいガマンではないか」と。

 そこで初めて、ソーシャルデザインやソーシャルビジネス(社会起業)が世界的なムーブメントになっている現実に気づくのかもしれない。
 だから僕は、まだ多くの人が目をつける前から『社会起業家に学べ!』(アスキー新書)や『ソーシャルデザイン50の方法』(中公新書ラクレ)などの著作を発表してきた。

 誰かの役に立つことこそが、自分自身の生存戦略なのだ。
 それは、どんな仕事にも言える。
 1人でも多くの人がそれに気づく時、この社会は弱者にやさしいものへ変わるだろう。




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