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■わからないことを判断保留にできない人たち

 「人探しゲーム」というのを、都内の大学生や高卒の社会人に仕掛けたことが何度もある。
 まず、任意のAさんを呼び、僕の隣に立ってもらう。
 そして、目の前のゲームの参加者たちにこう説明する。

「Aさんは今からここを離れ、1時間後には東京都内のどこかにいます。
 1時間後にAさんがいる場所を突き止めてください。
 合法的な方法であれば、どんな方法を使ってもかまいません。
 では、Aさん、さようなら」

 Aさんの姿が参加者たちの視界から消えた後、「ゲーム開始!」と僕が宣言する。
 ある参加者は、このAさんが誰なのかを僕に尋ねたので、僕は名前や職業を教えた。
 べつの参加者は、僕の答えを知ってから本屋に走り、名前で情報を探した。
 ネット検索で探す人もいた。
 それぞれ個別に自分の方法でAさんを探そうと、散っていった。

 しかし、彼らは誰一人、Aさんを発見できなかった。
 発見できたのは、底辺の偏差値の高校に通っている生徒か、高卒の社会人だけだった。
 彼らはいずれも迷わずに、僕にこう尋ねたのだ。

「Aさんがどこにいるかなんて、わかんない。教えてよ!」

 はい、大正解!
 このゲームを仕掛けているのは、僕。
 僕が始めている以上、僕に聞けば、一発でわかることだ。

 「仕掛け人に答えを聞いてはいけない」なんてルールがないことを、あらかじめ明言していた。
 それでも僕に尋ねなかった人たちは、僕の言葉を咀嚼する以前に「答えを尋ねてはいけない」というルールを守る自分自身の習慣を疑わず、自分で自分を制してしまったのだ。

 逆に、すぐに大正解を答えた人たちは、自分で答えを探したり、考えるという文化ではなかったのだ。
 だから、「わからないことはまず尋ねる」という、彼らにとって当たり前のリアクションをした。
 それは、一方ではハンデに見えるが、逆から見れば、メリット(価値)である。
 どんな属性も、一方的にハンデだけ、メリットだけということはありえない。

 ところが、それを頭では「知識として」わかっているはずなのに、一方的に自分の価値基準で判断できるという思い上がりをする人たちがいる。
 無自覚にそうした言動をしてる人たちが「社会の仕組み」を作る仕事を始めれば、自分とは異なる文化圏の人たちの価値や力、資源、文化をためらいなく奪ってしまう。

 アフリカに最初に踏み入れた西洋人たちは、キリスト教という自分たちの文化を原住民に「教える」ことをためらわず、「未開部族」と呼び、全裸の原住民にパンツを履かせ、代わりにアフリカにしかない文化や資源を奪っていった。

 そして、部族間に資本主義を根付かせ、格差を生み、部族間闘争へ発展させ、治安を悪化させた。
 原始共産制だったアフリカ社会は、原住民どうしがこぞって仲間の資源を奪い合う場所に変貌した。
 COP21でも、これから富を得たい途上国と、そんな途上国に重い足かせをつけたい先進国との対立が長く続いた。

 そういう愚かな対立の構図を平気でリードし、それによって社会的課題をばんばん生み出す人たちは、自分の優秀さがもたらした暗黒面を見ようとしないし、特定の誰かを一方的に「下」に見る構えをとり続ける。
 そういう構えでも、彼らの属する文化圏では嫌われはしないからだ。
 それどころか、彼らの仲間うちで互いにホメ合ってる現実もあるぐらい。
 「俺たちの力で愚民を導こう」ってね。

 そんな彼らが税金を使いたがって権力を担い、この社会を設計しようとするのだから、「社会的弱者」と彼らが呼ぶ人たちを救うはずの取り組みが、軒並み、失敗し続けるわけだ。

●過剰適応という「隷属」から降りないままでも幸せ?


 10年間も国税を使っておきながら自殺対策に劇的な変化を起こせないNPOもあれば、お金に困らない人向けの値付けでビジネスが成功した後に低所得者から「その値段じゃ払えない」とクレームをつけられたNPOもある。


 そういうマガイモノでも、社会貢献活動だと途端に取材が甘くなるテレビや新聞に持ち上げられる。
 彼らが「社会の仕組み」を作り出そうとする時、彼らの言う「社会的弱者」は一方的に不幸だと査定され、「支援対象」として見下される。

 こういうさもしい構図が少しでも改善されるよう、僕は『よのなかを変える技術 14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)で若い人向けに「高学歴インテリ文化」と「低学歴ヤンキー文化」という異なった文化圏があることを指摘した。

 その両者には異なる価値基準があるだけで、どちらが偉いというわけでもないことも書いておいた。

 この水と油のような文化どうしの人間が同じ幸せを分かち合って笑い合い、「混ぜるな危険」なんて言葉を互いに怖がらないで済む仕組みこそが、若い人たちがこれから生きていくグローバルな時代には必要になるからだ。


 おっぱい募金でおっぱいを揉ませたAV女優は、こう書いている。

4割から5割の方が外国人だったんじゃないかな?
 生まれた場所も性別も年齢も全然違うし、言葉が通じなくても、その日あったばっかりの人たちともエロを通じて笑いあえたんだよ!
 それってすごーく大切なことだと思うんだよね。
 エロは国境も性別も年齢も超えて通じたのをわたしは実感したよ!
 わたしたちはみんなが笑って帰ってくれたから長い時間でも頑張れたんだよ!」
松浦ゆきなさんのブログより一部を引用)

 20世紀までは、近代化の名の下に「高学歴になれば高所得」という一面の真理だけを信じさせる教育が進められてきた。

 だが、21世紀はむしろダークサイドの「低学歴になれば低所得」に追いやられる仕組みを解決できることが必要不可欠な仕事になる。

 自分が知らない文化圏にある価値基準をリスペクトしないまま、見ろしているだけでは、20世紀の愚かさを継承する既得権益に育ってしまう。

 実は、高い偏差値の大学生か、高学歴を誇れる社会人は、「人探しゲーム」の大正解になかなかたどりつかなかった。
 彼らは「答えをすぐに尋ねる」ことが許される文化を生きてこなかったし、そうした習慣や発想しか持てないほど狭いコミュニティ内のローカルルールに過剰適応してしまったのかもしれない。

 この「過剰適応」を言い換えるなら、良い子仮面でしか生きられない狭いコミュニティから求められる同調圧力に隷属しているってことだ。




●木を見て森の闇を見ないままでも生きられるけど…

 日本は、若い世代で2人に1人しか大学に進学していない。
 社会全体から見ると、大卒者はまだまだマイノリティだ。
 中卒や高卒、専門学校卒など、さまざまな人たちで社会は構成されている。
 この多様性に関心をもたない人たちは、社会貢献シーンには珍しくない

 その無関心は、本当に罪深い。
 当事者の価値基準や彼らの生きる現場を知らないのに、勝手に査定・判断してしまうからだ。
 わからないことまで判断してしまうのは、端的に愚かなことだよね。


 「高学歴インテリ文化」の人は、「低学歴ヤンキー文化に関心を持つから高学歴インテリ文化にも関心を持ってくれ」と対等な関係を簡単に持ち出す。
 しかし、関心を持てるのは、経済的かつ心理的に余裕がある人だけじゃないかな?

 正しくても現実的ではない「対等な関係」を言い出す前に、自分たちが自分たち自身の幸せのために学力で蹴落としてきた低学歴層(≒低所得層)が彼らの文化のままで幸せになれる仕組みを作り出す「宿題」をやるのが、持てる側が最優先で果たすべき社会的責任であり、ノブレス・オブリージュでは?

 「かわいそうな障がい者」と「がんばる障がい者」をダシにして、スポンサー企業から上がる大金を、テレビ局と広告代理店と出演者で美味しくいただく『24時間テレビ』や、原発の安全広告やエネルギーミックス広告などでウハウハの大手広告代理店には、エロ業界よりはるかに大きな金が動いている。

 広告業界とエロ業界じゃ、あまりに規模が違うもの。
 「それはそれ、これはこれ」じゃ、片付かないよ。
 その事実に向き合わないで、AV女優たちの仕事を奪いかねない「おっぱい募金中止」の声を上げる人には、ついていけない。
 木を見て森の闇を見ない方が、ラクだろう。
 でも、わからない文化を判断保留にできないまま、薄っぺらい正義を振りかざすなんて、愚かなことさ。

 僕自身、進学校の高校に入り、早稲田大学なんてところにも入ってしまい、そのあとでも広告業界で人のうらやむ収入を得ていた時期がある。
 そういう人生を、僕は降りて行った。
 縁も知り合いもない出版業界で食えるはずのないライターになって、結構な稼ぎも得たけど、それも降りた。

 取材という仕事を通じて、日本という社会の仕組みのまずさに向き合わないことには、自分の仕事の意味や命の価値すら見積もれないと感じたからだ。
 低学歴ヤンキー文化の人たちが10代のうちに「降りて」いったように、自分自身の心身に染み込ませてしまった「社会のダメな仕組み」に対する過剰適応に敏感になる必要があると思ったのだ。

 教育投資に恵まれた自分の幸せだけを考えていくなら、それはそれで幸せかもしれない。
 でも、いろんな人が生きているよのなかでは、その幸せはいつか頭打ちしてしまうのだ。
 僕は、僕自身が知らないこと、縁のない人のことを知ろうとしなきゃ、と思ったものだ。
 正しいことより、楽しいことなら、文化の違いを超えて分かち合えることが豊かにあるはずなんだ。


「生まれた場所が違うからとか性別が違うからとか、障害をもってるからとか、LGBTだからとかで人を決めちゃいけないんだよ。
 知らないでいろいろいうのが一番怖いことだよ!
 どんな人とでも仲良くなれるし、おっぱい揉むだけで笑いあえるんだから!」
松浦ゆきなさんのブログより)




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