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■ベッキーの不倫で「良い子」からの卒業を学ぼう

 ベッキーさんとバンド『ゲスの極み乙女。』の川谷絵音さんとの不倫騒動が長引いている。
 この騒動が炎上しているのは、「有名人カップルの不倫」という意味以上に、人気絶頂のベッキーさんが凋落する姿を一部の人たちがどこか望んでいたかのような空気を感じる。

 それを上手に言い当てていたのが、ウートピのこの記事だ。
 その記事では、恋愛専門カウンセラー大野愛子さんが、いわゆる優等生タイプのいい子ちゃんがダメな恋愛にハマるという典型的な恋愛パターン」と喝破している。

 好感度を大切に考える芸能界に若くして身を置いてきた彼女は、普通の女の子が恋愛を優先する20代は、おそらく仕事に夢中だったんだろうと想像します。
 そのため、31歳の大人の女性にしては、恋愛経験知不足の一面があったのでは
ウートピより)

 いつも明るくて、仕事もバリバリこなし、ポジティブに生きている。
 そんなイメージを演じていた「良い子」のベッキーさんは、かなり疲れていたのではないか?
 ポジティブなイメージを視聴者やファンから期待され、それに応えようと思えば、人前ではいつも明るく振る舞わなければならないし、そのイメージで売りだせば、スポンサーからも過大な期待をもたれるため、金にもなる。

 しかし、同時に、八方美人で優等生的な「良い子」になればなるほど、表面的には周囲を幸せにできるかもしれないが、当の自分自身は心身ともに疲れ果ててしまう。
 そんな働き方や生き方は、とてもうつろで、不自由なものだ。

 それが、現代日本を生きる多くの人にとって心あたりがあるからこそ、どこか「がんばりすぎる自分」が終わることを、ベッキーさんの凋落によって「期待」し、今回の騒動を長引かせている。
 そう感じるのは、うがちすぎだろうか?
 みんな、家庭でも、学校でも、職場でもつけてしまっている「良い子」仮面を、本当は外したくてしかたないんじゃないの?


 日刊ゲンダイによると、「CM女王」だったベッキーさん(31歳)は、太田胃散、花王、スズキ、ローソンなど10社との契約がすべて解除され、全滅の危機に立たされているという。
 テレビ関係者は「契約打ち切りによる収入減のみならず、スポンサーへの違約金などでサンミュージックは3~4億円もの赤字になる可能性があります」と証言。
 記事は「(所属先の)サンミュージックは稼ぎ頭を失ったうえ、経営も大打撃を被ることになりそうだ」と結んでいる。

 広告のような大きな収入源を持てば、「良い子」であることは大きな義務になり、「良い子」以外のイメージが付与されれば、途端に損失も大きくなる。
 この縮図は、芸能人ほど稼いでいない人にもあてはまる。
 広告代理店や、広告収入で飯を食っている民放テレビ局の社員などだけでなく、解雇されたら途端に飯の食い上げになる労働者も含め、みんな同じ「良い子」としての働き方を強いられている。

 高度経済成長時代なら、「良い子」としてまじめにがんばってるだけで報われた。
 しかし、低成長時代の今日では、会社側の都合でリストラや倒産、外資による企業買収などの危機を「想定内」にしておき、いざとなったら自分の仕事ぐらい自分で作れる「返し技」を鍛えておかないかぎり、失業した途端に自分だけ悪夢の現実に突き落とされる。



●いつまで「都合の良い子」を続けられるかな?

 たとえ、会社や自分の仕事が順調でも、大地震や津波、原発事故や水害などで突然に食えなくなることもある。
 実際、東北の企業を主な顧客にして仕事をしていたために、震災後に資金繰りに困って首を吊ってしまった人もいる。
 会社や顧客にとっての「良い子」であろうとすることは、本当は生活の維持を担保するものではなく、周囲の人間や家族などを安心させるだけの思考停止だった。
 それに気づくことが、3・11の教訓ではなかったか?

 政権与党の自民党が、歳出を増やし、歳入不足を埋め合わせるために増税と借金という思考停止の政策によって1200兆円というとんでもない日本を借金大国にしてしまったように、日本人は自分の生活の安心感の担保を自分以外の誰かにゆだねてしまっていないか?

 その誰かは、配偶者かも知れないし、勤務先の会社かもしれないし、政治家かもしれない。
 しかし、彼らにたとえ恩義があろうと、自分の生活まで面倒見てくれるほどの義理はない。
 資本主義社会では、自己責任に基づいて働く自由があると同時に、自己決定によって自分の人生の〆切をつける責任を負わなければならないからだ。
 つまり、自分以外の誰かに自分自身の暮らしぶりを決めてもらうのではなく、自分自身の頭で社会環境が自分に及ぼす影響について考えなければならないということだ。

 自分が働いてる会社が、賃金に見合わない過酷な労働を強いるブラック企業だと気づいたら、業務改善が見込めない場合には再就職を検討してより良い勤務先を探すのも、自己責任。
 金回りの良い仕事に就いてはいるものの、顧客をだます商品・サービスを扱っていたり、罪悪感を覚える仕事内容だったら、会社を辞めても食える働き方を模索するも、自己責任。

 自分のほしい額面以上に大きすぎる収入には、それに見合うだけの完璧な「良い子」を強要されることもあるから、それにガマンできなくなったら心身を病む前に休んだり、現実逃避からバカをやらかす前に退社するのも、自己責任。
 自分で自分の働き方や生き方に責任を持とうとすればこそ、自分の人生を自由に自分のものにできるのだ。

 ところが、日本の家庭や学校、職場などでの教育や研修は、表向きの「良い子」を育てる際、内面まで「良い子」を強いるところがある。
 だから、親元を離れて自由になったはずなのに、恋人を作ることさえ「親に悪い」と思って隠し通す人もいれば、性行為を「やましいこと」をしているように感じる人すらいる。

 もちろん、どこまで「良い子」を求められて耐えられるかは、人それぞれ違うだろう。
 だが、怖いのは、いざ耐えられなくなったら「適応障害」などの病名をつけられたり、「使えない人」の烙印を一方的に押されかねないことだ。
 ベッキーさんのように、いつも明るく元気で仕事も難なくこなすという完璧な「良い子」を強いる側の方がはるかに問題なのに、「良い子になれない属性の個人」がやり玉にあげられてしまう。

 寛容さの足りないそういう社会に過剰適応する必要はないのに、してしまうのはなぜか?

 一つは、「自分より幸せになってほしい」とか「自分が果たせない夢を果たしてほしい」などといった親心で正当化される子育てによって、親によっての都合の良い子にされてしまったり、親自身が自分の子育ての成果を世間に誇るための「トロフィーチャイルド」にされてしまう生い立ちに問題があるだろう。

 そして、二つ目は、その生い立ちをさせる家庭環境を相対化できるだけの多様な異文化にふれる交際のチャンスが、30年以上前とは明らかに乏しくなっていることが考えられる。
 親の所得と子どもの学歴が正比例してしまったために、幼稚園や小学校の頃から同じ所得層の子としか游ばない習慣がつけば、10代までの間に貧しい子がいる現実から学ぶこともなく、いわば「無菌状態」のまま大学生や成人になっていく。

 均質な属性だけとつきあい、異文化の人とは「混ぜるな危険」とばかりに交際を避けていれば、自分や仲間の知っている生き方が絶対唯一の選択肢のように勘違いしかねない。
 それは、いつかは爆発する「見えない時限爆弾」を抱えるようなものだ。

 実際、社会貢献活動やソーシャルデザインを取材してると、大学生になってから途上国でハエのたかった子どもを初めて見て「かわいそう! 助けなくちゃ」と目が醒めるような思いで社会起業を志した人たちも珍しくなくて、どれだけ狭い社会観で10代を過ごしたのか、ドン引きするくらいだ。

 それでも、そこで自分のやりたい仕事を自分で初めて作ることに挑戦するなら、まだ生き甲斐も確かだろう。
 しかし、多くは自分で自分のやりたい仕事を作り出すことを怖がり、それまでと同じように表向きは「良い子」の仮面をかぶることで自分自身さえだましつつ、内面にうつろさや不安、孤独を持て余す思考停止の暮らしを選び、自己決定をいつまでも先送りするのだ。
 その方がかりそめの安心を手にできるし、楽だからだ。


 僕の友人には、低学歴ヤンキー文化を生きてきた人が珍しくないが、僕は彼らから多くのものを10代の頃から教わってきた。
 「自分には勉強なんて向いてない」ないと、早くからよのなかの仕組みから降りてしまった彼らは、勉強によってではなく、勉強以外のことで自分を活かす場所を探し、自分にふさわしい、自分の納得しやすい等身大の生き方を採用した。
 高すぎる理想は追わない代わりに、自分の自尊心を不当に貶めることをされれば、反射的に怒りを露わにした。

 そうした文化には、親泣かせや教師泣かせの場面も、少なからずあったかもしれない。
 しかし、それによって彼らの親は、親としての仕事が何なのかを真剣に悩むチャンスを得たのだ。
 子どもが暴れたり、ひきこもったり、精神科に通ったり、「問題行動」を起こしてくれたおかげで、親も自分の無力さを学び、「子どもは子ども」という感覚を覚え、親子双方が自立していけたのだろう。

 逆に、親にとっての都合の良い子を演じていれば、社会に出ても「上司にとって都合の良い子」や「恋人にとって都合の良い子」を演じなければ、付き合えないと勘違いをしてしまうし、何よりも親や上司や恋人に自分の自尊心を教えるチャンスさえ自ら手放すことになり、彼らを成長させることがない。

 でも、いつまでも彼らにとって都合の良い子のまま「下」に見られていては、そうした関係のありように過剰適応していることも自覚できず、気がつけば、「バレなきゃ何をやってもOK」とばかりにうしろめたい人生を歩いてしまうんじゃない?
 「良い子」は、いつか爆発する。
 壊れてしまうかもしれない。
 壊れるなら、なるだけ若いうちがいい。

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