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■ライターは自営業者として多角経営するための出発点

 1990年代、僕は若い人に「フリーライターの仕事は悪くないぜ」と勧めていた。
 学歴も経験も関係なくできる仕事の一つだし、自分の企画で自分の知りたいことを取材で深く知ることもできる面白さもあったからだ。
 しかし、21世紀に入ってからは、積極的な意味では勧めなくなった。
 その頃には、雑誌記者という職種が面白くなくなってきたからだ。

 1990年代なら、取材経費やギャラを潤沢に出す雑誌編集部(出版社)は珍しくなかった。
 当時、僕は『POPEYE』(マガジンハウス)で見開き連載をやっていたが、1ページ4万円のギャラだったし、毎回取材に行く際の交通費・飲食費などは編集部もちだった。

 小学館の雑誌で仕事をすれば、深夜に東京から千葉へ帰宅する際にタクシー券を支給されたし、忙しければ仮眠室で寝ることもあった。
 何よりも、知らない編集部にふらっと訪れて新しい企画の話をしても、アポなしの出会いを面白がる編集者も少なからずいたのが、ギャラの額面以上に楽しいことだった。

 今日では、潤沢な取材経費を期待できる雑誌編集部はめっきり減ったし、アポなし訪問を歓迎するような自由な雰囲気すら失われた。
 ライターと一緒に遊ぶ社員編集者も、減ってしまったように感じる。
 雑誌の部数は低迷し続けているのを見れば、目先の売上を追うような切羽詰まった空気が生まれるのも仕方がない。

 けれど、雑誌編集者が「文化を作っている」という自尊心を見失い、現代の読者が切実にほしいものに鈍感になっていけば、魅力的な記事を作り出す編集力や情報収集力も損なわれ、売れる部数が減っていくのも当然の結果かもね。
 工場にたとえるなら、必要な設備投資をしないのだから、生産性の向上が見込めるわけがない。

 そんな雑誌をめぐる状況の変化で、フリーライターを辞める人が続出した。
 僕は雑誌が今でも好きだけれど、買うことはめっきり減った。
 それどころか、ライターや編集者として関わる雑誌も、今世紀から意識的に減らしてきた。
 雑誌よりも、新刊書籍を作ることや他の事業に仕事内容をシフトしていったのだ。

 フリーライターの仕事は、まだふつうの人が知らない現実を自分で取材し、社会的価値の高いコンテンツを提供することに意義がある。
 それなら、雑誌記事でなくてもいい。
 本を書いて印税収入を増やしてもいいし、テレビ番組を制作してもいいし、講演してもいいし、セミナーを主催してもいい。

 そのように、自営業者として稼げるビジネスモデルにはリーチしていくのが、フリーランスのメシの食い方だとふつうに思ってきたし、そうしなければ、執筆ギャラだけの収入に依存する不自由さを生きることになる。
 そういう意味では、ライターは、そこに軸足を置きながら、自営業者として収入手段を増やすための出発点といえる。

 雑誌ライターだけで食おうとするなら、連載媒体を増やして人気ライターに上り詰める道もあるだろうが、ライターとして有名になりたいと望まなかった僕にとっては、どうでもいいことだった。
 そもそも、25歳でフリーライターになって1年目で年収は600万円を超えていたので、ルーティーンワークを増やすより、自分の考えた企画がちゃんと誌面に反映されるように、より新しいムーブメントを現実から拾い上げることの方に関心を向けていた。

 最近、同じ業界でメシを食ってきたライターたちの座談会をweb上で見るようになった。
 30代、40代、50代のライター鼎談|定年なきフリーライターが10年後も生き残るために必要なこと』とか、「月60万円稼ぐフリーライターになるには」が生々しくて勉強になった #ライター交流会』を読むにつけ、「そんなに執筆ギャラだけで食いたいの?」と不思議に思う。


●誰にどんな価値を提供したいのかを考え、仕事を作り出そう

 そもそも、ライターの企画した記事を面白く思えるだけの情報収集力がある編集者がたくさんいれば、今日のような「雑誌低迷」の時代にはならなかったはずだ。
 編集者のスキルが劣化しているのに、編集者の注文通りの原稿しか受注できない編プロを作っても、独自の視点を持ったライターを育てるのは難しいし、オウンドメディアのような安い記事体広告をいくら書いても、コピーライター(広告文案家)ほどの年収には遠く及ばない。

 それでも、ちゃんと予備取材をして他のライターでは考えつかない企画を作り出し、自分の名前で発注されるようなライターになりたいなら、執筆ギャラ以外でも稼げるようにしておかないと、優秀とはいえない社員編集者の方が圧倒多数の雑誌業界で生き残っていくことは難しいだろう。



 フリーライターは、社員編集者の前で「良い子」を演じる必要はないのだ。
 執筆ギャラだけを頼りにしているわけでないからこそ、大胆な企画を平気で言えるし、自由にものを書けるのだ。
 ライターが「自分が食えるための文脈」だけを書いたところで、誰も幸せにならない。

 時には読者にとっても編集者にとっても「不都合な現実」を書く必要があるし、権力やスポンサー企業を敵に回しても書くべきことは自由に書くということが当たり前にできないなら、書く仕事なんか続ける意味はないのだ。

 そう考えると、フリーライターというのは、もともと報われにくい薄給の非営利事業に思えてくる。
 実際、そう思っていた方が「50代以後をどうする?」なんていうつまらない期待を抱かずに済むだろう。
 ライターが志でする仕事だとしたら、雑誌執筆を主戦場にせず、むしろライター仕事で覚えたさまざまなスキルや知識をべつの事業で収益化しておくことが必要になるはずだし、それに早めに気づいた方がいい。

 誰も取材してない現実だけど、自分はその現実をより多くの人に伝えたい。
 その志があるなら、取材を続ける意味はある。
 しかし、その取材の成果を雑誌執筆以外で収益化できる仕組みを作らないと、先に経費がかかる取材を続けることも難しくなるだろう。

 どんなビジネスも、「どんな人にどんな価値を提供するのか」が問われる。
 手紙を書くのと同じだ。
 宛名のない手紙は、どこにも届かない。
 それにピンとくるなら、自分が取材した結果を届けたい相手に届く方法を自分で開拓していけばいいだけの話だ。

 10年後、僕は60歳になる。
 すっかりライターをやめてるかもしれないが、本は書いているだろうし、どこかの町でカフェでも運営し、そのカフェで小さな勉強会でもやってるかもしれない。
 収益源を自分で自由に考え、作り出せるのが、自営業の面白さだ。
 ライターをいつまで続けられるか、なんて小さなことより、自分は誰にどんな価値を提供したいのかをじっくり考えてみてほしい。 

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