底辺高校の生徒たちを東大に入れることで、破産寸前の高校に価値を与えて再建するという話だ。
冒頭で、勉強のできない生徒たちを体育館に集めた主人公が、「社会は頭の良いヤツに都合よく作られているんだ」と言い放つところまでは、面白かった。
しかし、結局は根気とテクニックを与えれば、塾や通信添削のような教育投資を受けられない貧しい家の子どもでも、東大はちょろく合格できるという教訓しか、このマンガは提供しなかった。
たとえ、この高校が東大に多くの生徒を輩出できる優秀な学校に変わったところで、勉強のできない生徒たちはべつの底辺高校に通うことになるだけだ。
このマンガは『モーニング』で連載していたが、『ヤングマガジン』だったらウケなかったはずだ。
『ヤンマガ』を読むような底辺高校のリアルな高校生にとってはリアルには思えない展開であり、『モーニング』を読むような中堅以上の偏差値の人には興味を持てたのだろう。
もっとも、東大に入れば、人生のプラチナキップを手にできるなんてことは、当の東大生や東大出身者すら思わないことだが、高校生相手に放つセリフとしては子どもだましには使える。
マンガは、しょせん虚構である。
虚構なら、もっとリアルに届く大ぼらを吹いてほしいものだ。
本宮ひろ志さんの描く物語のように。
では、2016年の現在、『ヤンマガ』の読者に届く大ぼらを吹くとしたら、どんな話がいいか?
新年の幕開けには大きな夢を描くのがふさわしいと思うので、考えてみたい。
それは、よのなかを変える起業集団が日本を変えていく話だ。
舞台は、就職率も低い地方の底辺高校がいい。
全国でも最低の高校としてネット上でも話題のマンモス私立高校で、いまだに氣志團のようなヤンキーやわかりやすいギャルがいて、退屈を持て余している。
取材するなら、木更津あたりが面白いかもしれない。
木更津には、東大を狙う県立高校もあれば、底辺私立もある。
ヤクザもいれば、ヤンキー系アイドルグループもいるし、京大卒の役人もいる。
いろいろと役者が揃っている。
高学歴インテリ文化と、低学歴ヤンキー文化が、カフェでも、飲み屋でも、遊ぶ場所でも、町の中できっぱりと分かれていて、ふだんはお互いのテリトリーを侵食しない。
そんな片田舎の町に、「混ぜるな、危険」を地で行く主人公がやってくる。
●現代のヤンキー男子は、チェンジメーカーを知れば憧れる
この主人公は、度胸だけは人並み以上にある高校1年生の変人だ。
夏休みが終わった頃、アメリカの高校をケンカで退校処分にされる寸前で、提携していた日本の田舎の高校に単身、編入してきた。
彼は番長格の同級生を手なづけ、言う。
「この町は、宝の山だ。
このクソ退屈な日常をブッ壊し、よのなかの仕組みを変え、俺らの生きやすい世界を作ろう」と。
それは、暴力革命でもなく、政権奪取でもなく、商売(ビジネス)を通じた社会変革だった。
社会変革とは、従来の価値観をひっくり返すことだ。
「貧しい人間はいつまでも貧しい」という常識を、「貧しい人間ほど豊かになれる」仕組みを、商売(ビジネス)によって作り出すことだ。
弱い人が弱いままでも生きやすくなり、学業成績が悪くても東大卒より稼げるようになり、ダメな人間と言われているヤツほど高く評価される、そんな世界を作るのだ。
そういう劇的な変化を作り出した人間を、アメリカでは「チェンジメーカー」と呼ぶ。
アメリカには、パンクミュージシャンからチェンジメーカーの学校の教師になる人もいるぐらいだ。
日本にも、元暴走族で今は会社の社長をやりながら、ひきこもりの自立をしてる人がいる。
(そうしたソーシャルデザインの仕組みはいろいろ取材してきたので、僕くらいしか書けないかも)
主人公は、「みんなでチェンジメーカーになろう」と呼びかけ、1人また1人と仲間を増やしていく。
それまで世間や大人、教師からポンコツ扱いされて下を向いていた高校生たちが、それぞれの固有の資質を活かした役割を任され、変わってゆく。
「ナンパの帝王」とからわれてた男子高校生は優秀な営業マンとして機能し、ローカルアイドルに落選して売春を始めていた女子高生は高齢者介護施設のアイドルとして圧倒的な支持を受け、車いすユーザでひきこもりの兄を持つ高校生は改造バイクで兄と暴走できる仕様のマシンを作り、飛ぶように売れた。
それまで高校生自身が「ダメなポイント」と思っていたことが、主人公の発想とマネジメントによって社会に役立つメリットとして機能し始める。
そして、そうした事業体を通じて、主人公の組織した会社の事業が木更津から周辺地域へどんどん拡大し、全国区のインフラとして急速に普及していく。
底辺高校でも、大学に行かなくても、大卒以上の収入を得られ、しかも社会に役立ってほめられる仕事に就けるのだ。
特定の高校を優秀な高校にして成績の悪い人間をどこかに追いやるのではなく、成績が悪くても誰もが自分の人生や仕事を誇れる仕組みを社会インフラにしていける。
これぞ、生きづらい世界を根本的に変えるってことだ。
そして、その仕組みこそ、誰もが夢見るものではないか?
下流資産化で貧困が深刻になっていくのに、何もかもがぬるい現代。
金になり、承認欲求と生きがいを満たせる仕事を作るには、従来の価値基準を根本的に疑わなければ、生き残れない。
本宮ひろ志さんの『サラリーマン金太郎』には「順不同」編というのがあり、金太郎の若い頃のことを描いている。
僕の考える高校マンガでは、金太郎にキャラ設定が近いものの、現代の世代のニーズをふまえるなら、物語は「チャンジメーカー」によるソーシャルデザインの試みの方が面白いはずだ。
さて、どこかのマンガ雑誌の気の利いた編集者がこの話を面白がってくれないもんかな。
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