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■『ひとりぼっちを笑うな』は良い本みたいだよ

 漫画家・蛭子能収さんが書いたエッセイ『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)が、ロングセラーになっている。
 産経新聞の記事によると、LINEの書き込みをきっかけに女子生徒が殺される事件に疑問を感じて書いた本だそうだ。
 以下、蛭子さんの言葉を引用しよう。

「殺されるぐらいなら、友達なんていなくていい。
 独りぼっちだっていいんじゃないか。
 (旅番組でも)僕はふだんと同じとんかつやカレーを注文することが多い。
 本当はその土地の名産を食べた方がいいのでしょうが、まったく興味がないので、自分の食べたいものを注文してしまう。
 こうした振る舞いは、10年前なら何やってんだと非難されるだけのような気もします。それが面白いと思ってもらえる。
 僕自身は何も変わってないのに、世の中の空気みたいなものがちょっとだけ変わったのかも。
 僕は誰かに束縛されたり、自由を脅かされたりすることが大嫌い。
 誰もが自由に意見できる世の中こそが一番いいと思っている。
 1人でいるのが好きなのは、自分の時間を自由に楽しみたいと思っているから。
 友達を誘えば、もしかしたらその人の自由や時間を奪うことになるかもしれない。
 自由でいるために、僕は意識して“群れ”の中に自分の身を置かないようにしてきた。
 だって、そうしないと自分のやりたいこともできないし、言いたいことも言えない。
 僕にとって、この世に生まれて一番の喜びは、自分の考えていることを実現すること」

 約20年前、小学館の『DENiM』という月刊誌で蛭子さんに「笑わせるな、笑われろ」というテーマでインタビューする機会を得た。
 ところが、僕は取材のアポ日時をすっかり忘れていて、1時間以上も遅刻したのだ。

 インタビューは編集者が済ませ、僕はその録音テープを起こして記事を作ったのだが、蛭子さんは遅刻してきた僕に全然怒らなかった。
 いやはや、冷や汗ものである。

 今にして思うと、当時から蛭子さんは世間に笑われることを屁とも思っていないようだった。
 常識や世間の目を気にして生きたところで、その常識や世間は自分の人生に責任なんかとってくれないのだから、おかしいと思ったルールには従う必要なんてないのだ。

 ところが、そうした「おかしいルール」でも「みんなそうしてるんだから耐えろ」とばかりに強いられることは、日常的にいくらでもある。
 「子どもは親に口答えしちゃけない」とか、「教師はとりあえず尊敬しておけ」とか、「政治家や役人は民間人より偉い」とか、「上司からの飲みの誘いに乗るのは常識だ」とか、「プロポーズは男からに決まってる」とか、挙げていけばキリがない。



●本当にやりたいことなら、「できるか・できないか」を考えない

 理不尽な世間のルールに合わせるばかりが人付き合いだと思い込まされたら、心身の健康を害するに決まってる。
 僕なんか、小学生の頃から神経性胃炎に悩まされ、授業中だろうが、朝礼中だろうが、すぐトイレに駆け込んでいた。
 しかし、19歳で家から出てひとり暮らしを始めた途端、ピタリと腹痛がおさまってしまった。
 どれだけ家族や学校という「世間」がやたら細かいルールを押し付けてくるものなのかを、僕は自分の体で認識したのだ。

 大学を半年で辞めてからは、バイトを必ず複数持つことで、イヤになったら辞めることにした。
 いつでも辞められるスタイルの方が気分的に楽だし、その程度の自由もなしに働くなんてバカバカしいと思ってた。
 新たなバイトを探す時も、なるだけ書類選考のものを選んで、履歴書をコピーしては20社くらい同時に郵送した。
 どうせ1社しか関わらないのだから、相手に選ばれるストレスを負うより、自分が選べるようにしといた方がいいと思ったのだ。

 90年代の半ばに新宿ロフトプラスワンという日本初のトークライブハウス居酒屋が誕生し、そこで「だめ連」という僕と同世代の男たちと出会った。
 彼らはメンズリブとして、男ならではの生きづらさから降りるライフスタイルを模索していた。
 正社員とか、大企業勤務とか、結婚とか、大黒柱とか、いわゆる「大人の男」として社会から要請されるハクを彼らは生きづらさの元とし、自分たちが素直に信じられるだけの小さなコミュニティに信頼関係の「ため」があれば十分と言っていた。
 いわゆる「ゆるいつながり」のコミューンを夢見ていたわけだ。

 僕は彼らに共感したいところがたくさんあったけど、「持続可能な生き方にはなりにくい」とも感じていた。
 労働を楽しいものと感じられないかぎり、ただの貧乏生活が続くだけだからだ。
 僕自身は、ライターとして自分が興味のある人に仕事で出会う面白さを十分に得ていたし、自分が企画さえすれば、テレビ番組だって制作できることを試みてきた。
 面白いと思ったことは、企画書を書き、その企画を実現できる人を探して声をかければ、たいてい実現してしまう。

 というか、「やりたい!」と思ったことは、とりあえず他人に話して、できることから進めていくしかないわけだ。
 「できるか、どうか」なんて考えてても、時間のムダ。
 よのなかには優秀な人がたくさんいるのだから、実現できる方法を知ってるかもしれない人間に片っ端から声をかけてみれば、必ず突破口は見えてくる。
 今ならネットもあるのだから、自分のほしい情報も人材も探しやすい。
 初対面でもメール1通送っただけで突破口が見つかるかもしれないなら、「はじめまして」のメールぐらい出して見る価値はあるはずだ。

 この「声かけ」や「企画書を書く」という経験は、経験値を上げればこそ成功の精度も高まるわけで、失敗を怖がったり、自己評価が低いまま「どうせ無理」と自分の気持ちを圧し殺してしまえば、その先の実現にも至らない。

 そして、すっかり学校文化に毒され、企業文化に毒され、「偉くない自分にはどうせ無理」としか発想できなくなってしまっている人には、「安打製造機と呼ばれた打率世界一のイチローだって10打席のうち7打席は打てないんだぜ」といくら鼓舞しても、9割失敗するつもりで最後の1割の成功に賭けることができないことも思い知った。

 それだけ、世間に合わせて生きることは、自分の可能性を自分でつぶす恐ろしい生き方なのだ。
 世間は自分の人生に責任をもってくれないことを、子どもの頃に思い知らないかぎり、大人になっても「笑われるのが怖い」と怯えながら生きていくのだろうか?
 僕はそういう人でも生きやすい社会を作り出そうとしてる社会起業家に注目する。

 清志郎は、こう歌っていたよ。
「他人(ひと)の目を気にして生きるなんて くだらない事さ 僕は道端で泣いてる子ども
 他人がとやかく言っても どうしようもない事さ 誰もあの娘(こ)を止められない」




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