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■親がいないだけで貧困化させられる日本の子どもたち

 親に育てられないだけで、貧困へ導かれる子どもたちがいる。
 もちろん、親がいても、その親が貧困ゆえに、貧困へ導かれる子どもたちもいる。
 そんな子たちを取り巻く環境を考えると、大人側の「支援の貧困」を思わざるをえない。

 どんな福祉も、一方的に弱者を支援しようとすれば、権力を持つ人に支配される恐れが高まる。
 社会の多様性をまだ知らない子どもにとって、自分の身近な大人の発想が偏っていれば、一つの方向性にしか導かれなくなる。
 それが、その子にとって幸せになれそうもない道であっても、「その道しかない」と言われれば、親に頼れないだけに、違和感を覚えながらも従う他になくなる。

 そのこと自体が、親のいない子どもにとって、自分の将来の選択可能性を狭められると同時に、孤立を強いられる構図なのだ。



 虐待などのため親元を離れた子どもたちが暮らす児童養護施設について、厚労省は「原則18歳まで」とされている施設で暮らせる期間を22歳まで延長し、支援を強化する方針を固めた。
 施設で暮らす子どもは、18歳になると原則、施設を出て自立しなければならない。

 だが、学費のための借金が高額になるために志望大学への進学をあきらめたり、施設では1人あたりのキャリア教育を十分に施せないために転職を繰り返しては生活に困窮する子もいる。
 だから、施設を出た後の生活費を無利子で融資したところで、焼け石に水なのだ。


 そもそも連帯保証人のいない子どもは、ふつうの賃貸アパートを借りたり、正社員として就活することが難しいため、寮付きで働ける職場に絞って仕事を探すケースも少なくない。
 それだけでも大変なことなのだが、施設を出てしまえば、寮にいた時の仲間たちから遠く離れることもあり、仕事や将来設計など深刻な相談をしたくても、相手がいない孤立を抱えがちなのだ。

 そこで、18歳を過ぎても施設にいられるようにするなど、継続した支援が必要だと指摘されていた。
 だから、22歳まで施設にいられるようにしようというのが、厚労省の方針転換の主旨なのだ。
 もっとも、長くいれば、それだけ当事者の自立が遅れることにもつながるし、施設には定員があるため、新たに入居してくるより若い(幼い)子どもを受け入れる余地が減ることも懸念される。

 施設を出なければならない年齢を上げる前に、考えておくべきことは別にあったはずだ。  そもそも、親のいない子どもたちを貧困へ導いてしまう課題を作る要因は、何だったのか?
 整理すれば、以下の3点のはずだ。

① 親がいないために、日常的かつ気軽に相談できる大人が身近になく、孤立しやすい
② 家賃のために働いてるため、低所得の労働に慣れてしまい、貧困へ導かれやすい
③ 国の制度下での暮らしを強いられてきたため、自立している民間人のふつうを知らない

●ハンデを埋め合わせるのが「社会的養護」か?

 1つずつ要因分析をしてみる。
 まず、施設で常勤で親代わりをしている大人は、たとえば民間の自立援助ホーム(※養護施設の一つ)の場合、数人であることが珍しくない。
 一方、その施設で暮らしてる子どもは5人以上いる。
 まるで戦前の日本のように、施設内は「貧乏子だくさん」なのだ。

 今日の日本では、親1人あたりに1人か2人しか子どもがいない家庭が一般的だから、施設では子ども1人あたりに十分な目配りができないのは、ある意味で仕方がないし、それ自体をハンデととらえる向きもあるかもしれない。
 公的な施設だと、「貧乏子だくさん」の傾向はさらに強くなる。
 しかし、それなら地域にいるさまざまな人材を、ボランティアでもいいから調達する手もある。

 定年退職後に家で邪魔者扱いされてる元サラリーマンや元経営者、時間を自由に都合できるフリーランサーや自営業者、年金生活に入ってやることがない元・学校教師など、人材には事欠かないはずだ。
 ところが、働いて家賃を払ってる高校生の子どもは現金をもっていることから、地域内で不良学生に恐喝されることがないように「外部との接触」を慎重にしたいと考える施設長や、より多くの市民が関わることでスタッフ・マネジメントが煩雑になることを不安に感じる施設職員も珍しくない。

 入所してくる子どもの2人に1人は親からの虐待を受けた経験があり、2割は何らかの障がいを負っていることもあり、日頃から子どもたちとのつきあいの難しさを感じている職員にとって、地域の市民に広く協力を仰ぐことにためらいがあるのは、わかる。
 しかし、やがて施設の外へ出ていく子どもにとって、そうした無菌室への囲い込みが、生きる力を養うのに適切なものなのかどうかは、試行錯誤による検証が必要だろう。

 児童福祉も、社会的弱者を施設に閉じ込める障害者福祉や高齢者福祉と同様に、閉鎖的な環境で「支援」を続けていれば、一方的な支配関係に陥りやすく、支配に慣らされた子どもたちは精神的かつ経済的に自立するすべを教えられないまま、社会に放り出されることになりかねない。

 次に、施設で育つ高校生がアルバイトしか知らないという事情を考えてみる。
 高校生のアルバイトは、時給も低く、労働時間も職種も限られている。
 月収の額面を見るたびに、高卒後の進学先の学費を自前で調達するのが難しいことに、ため息がつくことだろう。
 学費を出してくれる親がいないことを嘆いても仕方ないとわかっていても、自分の運の悪さを呪う子も珍しくないはずだ。

 しかし、そういう境遇だからこそ、限られた職種で得られる月収より稼げる方法を教え、実践させ、いざ失職しても自分の仕事ぐらい自分で作れる強さを身につけられるプログラムが必要なのではないか?
 親がなくても、連帯保証人がいなくても、学歴や職歴がなくても、食いっぱぐれることがないようにするには、自分で単価の高い仕事や職種を作れる起業術を教えるのが筋ではないか?

 貧困者が貧困から立ち上がる際に起業するのは、世界では貧困解決のセオリーだ。
 バングラデシュでマイクロクレジット(少額高利貸し)を試み、貧しい農家の女性たちを貧困から立ち上がらせたグラミン銀行のムハマド・ユヌスさんは、文字も満足に読めない女性たちに儲かるための起業ノウハウを教えた。
 彼女たちの間に信頼関係を発見したからだ。

 信頼関係は、ビジネス(商売)の基本だ。
 〆切までに顧客ニーズに見合う商品を納品し、〆切までに決済する。
 その利益で新たに商品を作り、正当な値付けで顧客の信頼を得る。
 この信頼関係の構築によって、資本主義の持続可能性は成り立っている。
 信頼関係があればこそ、ビジネスは回っていくのだ。
 利益が順当に蓄えられれば、少額なら高利でも返済できるから、グラミン銀行からお金を借りた人の返済率は通常の銀行よりはるかに高い。

 そこで考えてみてほしい。
 高校生は、本当に信頼に足らない「何もできない人」か?
 教えれば、伸びしろの大きいはずの子どもではないか。
 親から受けた虐待の賠償請求を裁判に持ち込んだ小学生だっているんだぜ。
 賢い大人と組めば、子どもだってできることがいっぱいあるんだよ。

 地域にいる元・経営者の高齢者や、青年会議所の現役社長たちをブレーンに迎えて、施設の子どもたちと一緒にビジネスを作るなら、彼らの毎月の月収(※推定7万円以下)を上回るのは難しくないだろうし、儲かれば儲かるほど進学費用や卒業後の衣食住を賄う資金にできる。

 むしろ、そこで問題になるのは、未成年ゆえに保護者なしでは施設から出られないという「社会的養護」のあり方だろう。
 現実の社会には、シェアハウスやUR賃貸など、保証人不要で入れる賃貸物件もあれば、入居者要件がゆるくなった移住促進住宅などもあり、未成年でも仕事さえあれば、家賃を払うだけで住める住宅物件が少なからずある。

 「保護者がいないから」にこだわっているのは、現状にそぐわない福祉制度だ。
 高校生ともなれば、「いつまでもこんな安い時給で働いていられっかよ!」と自分の無力を悔しがってる子も珍しくない。
 誰が子どもを「無力な存在」に貶めているのか?
 それが、3番めの「国の制度下の暮らし」を疑わない施設スタッフの怠慢につながってくる。

 児童養護施設の職員がみんな仕事を怠けている、と言いたいんじゃない。
 「やるべき仕事」を自分の頭で本当に考えているのか?
 それを問いたいのだ。
 ハンデを持つ子どもを「ふつう」に引き上げるのではなく、「ふつう」以上に強くなれるプログラムを提供するのが、弱者がせちがらい世間を渡っていくために必要な学びではないか?
 社会的養護が、当事者の子どもから選択可能性を奪ってしまうようなあり方では、支配と変わらないのだ。


●国になめられたままで、弱者を救えるか?

 日本の福祉制度は、原発政策と同じだ。
 原発が全国各地に作られたのは、その街の知事や市長、議会が自力で経済活性できず、不便のない市民生活を維持できるだけの税収を賄える自信がないところに、国から「大金やるから原発を建てろや」と札束でほっぺたを叩かれたからだ。

 この国の政治家と官僚は、そうやって弱者である国民の弱みに付け込んでは、税金で国民を支配し、政府側の思惑を飲ませてきた。
 国民が国民自身で経済的に自立できるように稼げる方法を教えて育てようとはせず、国民もまた自分の弱さに居直って「国から金をもらえば、とりあえず安心」と思考停止をする習慣を疑わないようになっている。
 まるで、ヤクザがホームレスに「生活保護を受給しろよ」と強要してはビジネス旅館に住まわせ、生活保護費から7割を抜いて自分の利益にする”貧困ビジネス”と同じ構図だ。

 障害者福祉を見てみよう。
 障がい者は養護学校を卒業すると、福祉作業所という施設への通所を勧められる。
 そこでは月収1万3000円(※全国平均)というブラック企業並の、ほとんど刑務作業といっていい低賃金労働を強いられ、「あとは障がい者年金で生きていけ」と言われてしまう。
 障がい者たちを集め、通所さえさせれば、国から金が下りるから、その金で食う職員は通所する障がい者の仕事を高収入なものに変えなくても困らない。
 だから、福祉作業所に通う障がい者の月収がいつまでも1万3000円程度なのだ。

 要するに、「おまえら福祉職は稼ぐ力がないんだろ。だったら金をやるよ。その代わり、障がい者を集めて、施設に通わせろや」と国から言われ、自分の生活費を守られた職員は、国に言われた通り一遍のことしか考えなくなったわけだ。
 おかげで、障がい者の収入やQOL(生活の質)が向上しないまま、結婚も出産も子育ての可能性も奪われたまま、老後を迎える障がい者の方も少なくない現実が温存されている。

 しかし、そんな障がい者に対する不当な扱いに激怒した福祉スタッフの中には、作業所を辞めて自分で借金して会社を作り、障がい者を雇って健常者並みの仕事と月収を提供している社会起業家も増えてきた。

 高齢者福祉も、これと同様だ。
 国は、世話の焼ける高齢者を支配し、管理しておく事業所に金を出す。
 金を出す以上、資格保持者を事業所に雇わせ、高齢者を施設内に閉じ込めておこうとする。
 事業所の経営者の多くは、国からの金を受け取ったら、それ以上のことは考えない。
 もちろん、「これじゃ老後になったら支配されるばかりじゃねぇか!」と激怒し、「だったら俺が理想の介護事業所を作ってやる」と本当に25歳でその通りの介護施設を作った青年もいる。

 サービスの受益者が有権者ではない「児童」の福祉では、このような”原発方式”がいくらでもまかり通ってしまいかねない。
 子どもには選挙権がないから、子ども自身のニーズは福祉政策に反映されない。
 施設に入れられれば、いくらお金を稼ぐことができても、「未成年で保護者がいないから」と自由に退所することができず、社会的養護の美名の下に支配されている。
 だから、なんともいえない暮らしにくさに耐えられず、施設から脱走する子どもも珍しくない。
(もちろん、警察に補導されて「保護」され、施設に帰らされてしまうのだが)

 親がいないだけで、なぜ「ふつう」を目指さなければならないのか?
 逆に、「うるさい親がいない」というメリットを活かし、学校でも教えてもらえない「稼ぐ技術」を実践的に学べるチャンスを提供した方が、早く自立できるはずだ。
 その方が福祉予算をムダに支出することもなくなるし、大学で教わる児童福祉では現場では子どもが割を食うことになるバカバカしさも露呈する。
 そうなると、厚労省の官僚も、現場の福祉職員も、社会福祉協議会も、人員カットを迫られ、クビになるかもしれないから、既得権益に安住しておこうってわけ?

 弱者が弱者のままでいるおかげでメシが食えていた連中にとって、弱者が自立することは自分の失職につながるから、弱者自身が経済的に自立できるようなすべを学ぶことに積極的ではないんじゃないか?
 生活保護の受給者の暮らしが「生かさず、殺さず」の生殺し状態にあることを思えば、そう勘ぐってしまいたくなるほど、国からの金でメシを食うことに慣れてしまった人たちの思考停止ぶりはいよいよ罪深い。 

 子どもたちが起業を学べば、仕事が一人ではできないことにも気づくし、仕事を通じて多方面と信頼関係を築くことの重要性にもピンとくるし、そこで同じ目的を分かち合える仲間も作れて、生きていける希望も感じられる。
 施設を出た後の課題を作る「孤立」「貧困「自立」の3つの要因を一気に解決できるじゃないか。

 養護施設の職員が本当に何もできない無能な人ばかりなら、そこをやめて、施設を出た子の居場所や職場を作るしかない。
 実際、そういう動きもある。
 しかし、本当は、貧困家庭の子や、親のいない子が、「ふつう」以上に鍛えられる仕組みが必要なんだと思う。
 それは、地域に未成年を対象とした起業塾を作り出すことなのではないか?
 アジア最貧国のバングラデシュでグラミン銀行ができたことが、経済大国3位の日本でできない理由はないはずだ。
 自分や弱者を「どうせ何もできない人」と思わなければ。

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