日本製のドキュメンタリー映画の多くは、自主制作だ。
観る客が少ないために、映像制作の資金を調達するのも大変。
なので、完成しても広告費をかけられず、劇場公開も東京などの都会の単館で1~2週間で終わってしまう。
質の良い作品でも、一つの映画館で2ヶ月間も上映され、全国各地の大都市を回れれば、大ヒットの部類に入る。
しかし、そういう話題作にならなければ、どんなに高品質のドキュメンタリー映画でも、日の目を見ないまま忘れ去られてしまう。
すると、大都市と地方の映像文化の格差は、固定したままになる。
この文化格差の解消のためには、せめてネット上で見られることが好ましいだろう。
先日、日本のドキュメンタリー映画祭の招待作品や受賞作品を数百点、リストアップをしてみた。
その作業中、高品質なドキュメンタリー作品が少なからずあるのに知られてないことにイライラし、「もったいないなぁ~」という思いを強くした。
実際、僕自身も予告編でしか知らず、僕の住んでいる千葉県市原市では上映されなかった作品だが、「ぜひ本編を観たい」と思ったものを今回は5作品のみ、Youtube動画から引用しておこう。
どれも短いので、すべて観てほしい。
■『さなぎ~学校に行きたくない』
(監督・撮影・編集:三浦淳子/2012年/103分/カラー/ドキュメンタリー)
木下家の末っ子・愛は長野県下伊那郡喬木村の大自然の中ですくすくと育ち、祖父母や兄や姉と共に元気に暮らしていた。
だが、小学校1年生の2学期に入ると突然学校に通えなくなり、一家は動揺する。
母親の洋子は不登校に関する本を読みあさったり、専門家の意見を聞いたりして解決策を探っていくうちに、やがて家族も平静を取り戻していく。
小学校時代、一時期不登校だった少女と家族、そして友人たちの姿を14年にわたりカメ ラで追い続けた感動のドキュメンタリー。
小学校入学後、しばらくして学校に行けなくな った主人公が、家族や近所の友人たちとゆるやかな時間を過ごしながら、再び教室へと戻 って行く道のりを映し出す。
■『”私”を生きる』
(監督:土井敏邦)
職員会議では、職員の意向を確認するための挙手・採決を行うことを禁止され、卒業式や入学式で国家である君が代の斉唱・起立を職務命令で強制されるなど、教師たちの言論が、急激に統制されてきている東京都の教育現場。
その巨大な流れに抗う3人の教師たちに対する弾圧は、身体をも蝕むような理不尽さに満ちている。
教育論を超えて、自分が自分であるために歩んできた人々の物語。
■『祝(ほうり)の島』
(監督:纐纈あや/2010年/105分/日本)
山口県上関町祝島(いわいしま)。 瀬戸内海に浮かぶ海の幸豊かなこの小さな島の対岸4km先に、1982年、原子力発電所建設計画が持ち上がった。
「海と山さえあれば生きていける。だからわしらの代で海は売れん」という祝島の人々は、以来28年間たゆまず反対運動を続けている。
■『月あかりの下で ある定時制高校の記憶』
(監督:太田直子/2010年/115分/日本)
1学年1クラス、全校生徒120人の埼玉県立浦和商業高校定時制。
2002年から卒業までの4年間、生徒一人ひとりに寄り添うように撮られた映像には、家庭や社会のひずみに傷ついた若者たちが悩み、ぶつかり合い、支え合って過ごした日々の姿と、巣立ってゆく生徒たちの希望が写し出されている。
■『ソレイユのこどもたち』
(監督:奥谷洋一郎/107分)
東京・多摩川の東京湾に流れ出る河口の廃船に、モーターボートの修理をしながら、ソレイユ(フランス語で「太陽」の意)と名付けた犬と暮らす老人がいた。
老人の日常や、彼がカメラに向かって自らの人生を語る様子を見つめ続け、その姿を通して大都会のかたわらで消えゆく人々と風景を静かに描き出す。
●日本の名作ドキュメンタリー映画をネット上で観られる時代へ
自主制作のドキュメンタリー映画の中には、監督や制作者などが公式サイトを持っているものもある。
映画のタイトルで検索すると、そうしたサイトをたくさん発見できる。
その中には、上映1回あたり3~5万円程度で映画を貸し出しているところもある。
多くはビデオやDVDなどでの貸出にも対応しているから、プロジェクターさえあれば、公共施設や学校、飲食店などで上映会を開催し、1500円程度の入場料に設定しておけば、20人以上を集客すれば、大した赤字にならない。
もっとも、そうした上映会を主催する人がそう多くないことから、事実上の「お蔵入り」になっている作品も少なくない、
たとえDVDが販売され、TSUTAYAでレンタルできても、スクリーンで上映し、みんなで語るチャンスは失われるのに等しいのだ。
たとえDVDが販売され、TSUTAYAでレンタルできても、スクリーンで上映し、みんなで語るチャンスは失われるのに等しいのだ。
そのうち、監督も被写体も死んでしまうかもしれない。
そうなると、作品や著作権の管理が曖昧になってくるし、鑑賞できる機会はさらに減る。
さまざまな人がさまざまな現実を生きてきた貴重な歴史的資料になるのがドキュメンタリー映画の大きな価値なのに、現状を考えると、保存とアーカイブの必要性を強く感じる。
もちろん、一部ではそういう動きも始まりつつはあるのだけど、なにしろ作品の点数に比べて、保存・アーカイブの動きは遅いし、その活動の予算の調達もなかなか難しい。
そこで僕が期待するのは、そうした名作ドキュメンタリー映画を一括管理する団体を作るか、保存団体のアライアンス(連携)を作り出し、インターネット上でいつでも観られるようにすることだ。
AVDとは、ユーザー自身が作った動画をアップロードし、広く公開できるサービス。
すでに日本を含む5か国で開始しており、日本語の紹介ページも用意されている。
Youtubeに予告編を出し、そこからのリンクでAVDに飛んできてもらって、視聴・レンタルで収益化できた資金を著作権をもつ映画監督や制作者などへ還元できるようにできるといい。
もちろん、こうした映像を一括管理してマージンをとるには、視聴のチャンスを増やせるだけの工夫が必要となるし、市場拡大の1つの突破口として英語や中国などの多言語の字幕をつけられるようにする仕組みも必要になるだろう。
世界中の人々に、日本人の抱える現実や日本文化の奥深さ、日本の政治や国家、歴史などの内情を伝える上で、ドキュメンタリー映像は役に立つ。
NHKや民放テレビ局などでは描けない日本の人物や思想、地方の現実なども伝えられる。
これは、日本に関心を持ち、日本を訪れる外国人が世界中に増えている今だからこそ、インバウンドの追い風にもなるから、旅行・観光などの業界からスポンサードを受けられるかもしれない。
同時に、マスメディアが自粛によって守りぬかない「報道の自由」や「言論の自由」を死守することにもなる。
同時に、マスメディアが自粛によって守りぬかない「報道の自由」や「言論の自由」を死守することにもなる。
いずれにせよ、観ないまま死んでしまうには惜しい作品が少なからずあることを、忘れずにいたいものだ。
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