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■声が思うように出せない、ということ。



 如月(きさらぎ)まぁやさんという20代の女性がいる。
 彼女は歌手を目指し、Youtube『painという歌を発表した。
 まずは、それを聞いてみてほしい。



ふと気がつくと 独り しゃがむ 恐れを抱き
ずっとこのままだと思い 心閉じ込めてた
落ち葉たちが競って 走る 衣装が踊ってる
ちょっと遅れた大運動会 何か悲しくて
あの気持ちよかったそよ風が
今は私を切り裂くよう
痛みを感じる そうね、私は生きてるの
だってそうに思うしかないじゃない
嘆く毎日は辛いでもね、私は逃げてるの
だってこんなの受け入れられない
どうしたらいいかわからない

西の空を横目に 歩く ピンクの綿飴
べっこう飴に流されてく 何か切なくて
あの温かった太陽が 今は私を突き刺すよう
憎いと思うよ そうね、私は生きてるの
だって そうに思うしかないじゃない
恨む毎日は飽きた でもね、私は逃げてるの
だって これでも頑張ってきたの
それなのに 何も変わらない

お天道様は私を苦しめているの?
自然のありがたさがとんだ迷惑
なにか悪いことしたのかな?
きっと私も 人の為になることができれば
そう 救われるの

痛みを感じる そうね、私は生きてるの
だって そうに思うしかないじゃない
嘆く毎日は辛い でもね、私は逃げてるの
だって こんなの受け入れられない
どうしたらいいかわからない

あの恵のはずの雨でさえ 今や私は殺されそう


●いつか「不寛容」にも病名がつく時代が来るかもね

 毎日新聞付の記事を読んで、僕は如月まぁやさんを知った。
 前述の『pain』は、全身が痛む原因不明の難病「線維筋痛症」(せんいきんつうしょう)の痛みを率直に歌ったものだそうだ。
 twitterのアカウントにある自己紹介でも、彼女は「音楽を通じて目に見えない障害への理解をお願いして」いると書いている。
 記事によると、線維筋痛症の患者は全国に200万人もいるという。

 痛みが慢性的に続き、「ハンマーで殴られたよう」と表現する人もいる。
 外見からは症状が分かりづらいため「なまけている」などと誤解されやすく、「誰も分かってくれない」と悩む患者は多い。
(毎日新聞の記事より)

 そんな難病があることを、僕も初めて知った。
 そこで、Youtubeを検索し、上記の歌を聞いてみたのだ。
 というのも、「体が痛いと声が思うように出せないのでは?」と思ったからだ。

 去年(2015年)、僕は年頭に胆嚢全摘の手術をした。
 その頃、おへそから管を入れて傷を最小化で済ませる腹腔鏡手術による事故が盛んに報じられていたため、へそと脇の間を縦に切開しての手術になった。
 すると、腹筋を切ってしまうことになる。
 退院後、縫い閉じた腹を見ながら、「以前と同じように腹から声が出るだろうか?」と心配になった僕は、何か声を出すリハビリをしようと思った。

 そして、1年間を療養期間とし、仕事も休業し、ビートルズの歌詞を100曲分、自分で訳してみようと思った。
 これまで多くのビートルズの訳詩本が出版され、ネット上でも和訳している人がいた。
 けれど、直訳では疑問の残る訳が多かったし、誤訳のまま歌っている人もいて、正直しっくりくる訳がなかったので、いっそ日本語で歌えるように譜割りどおりに訳してみようと思った。
 しかも、ちゃんと譜割りどおりのリズムで歌えることを証明するために、自分で歌ってみた。
 それが、「ビートルズ100 songs 和訳&歌唱プロジェクト」だ。

 これをYoutube動画にアップする際、すべての曲の説明文に「療養期間中に一発撮りで作ったので、歌の下手さはご勘弁を」と書いておいたのだが、平気で「へた」と書く輩もいて、「勘弁してくれよ」と思ったものだ。
 不寛容の言動をとりがちな人は、心に余裕がないほど何かに追い詰められているのだろう。
 だから、自分が相手と同じ弱い境遇にならない限り、誰にでも弱さがあることに気づけない。

 しかし、自分自身の弱さを認め、「自分以外の人にも弱さがある」という程度の認識で想像する習慣をつけておけば、察することはできるはずだ。
 腹筋を切ってしまうと、思うように声が出せない。
 切る前なら平気で出せる音域も出せないし、そもそも息が長続きしない。
 僕は、「これ以上、負担をかけると傷口が開くんじゃないか」と冷や冷やしながら歌うしかなかったのだ。
 「もし手術前と同じように声を出せなかったらどうしよう」という不安と闘いながら。

 そんな経験をしたものだから、日常的に痛みと戦っている如月まぁやさんにとって、「歌う」という行為は大変だろうと察することができた。
 ましてや音程や抑揚、リズムやテンポなどを気にしながら何度も何度も録音に臨めば、その分だけ痛みを負うことになっただろうと思った。

 そんな具合であっても、人は自分が表現したいことを、表現したいものなのだ。
 何をするにも、完璧な条件なんて、いつまでもやってこない。
 どんな泥船でも、海に出てしまうしかないのだ。

 「線維筋痛症」(せんいきんつうしょう)以外にも、僕やきみが知らない病気は少なくない。
 まだ、病名すらついてない病気さえある。
 いつか、「不寛容」にも病名がつく時代が来るかもしれないね。

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