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■政治家の仕事って何? 投票をためらうきみへ

 参院選や都知事選などが重なり、18歳選挙権も初めて施行されることもあって、政治や選挙に関する報道が日に日に増えている。
 それによって、若い世代の間にも政治や政治家に対する関心が高まっているようだ。
 もっとも、政治家がどんな仕事をする人たちなのか、みんなわかってるんだろうか?

 wikipediaでは、政治家を以下のように説明している。

「衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長の職」(国会議員、地方議員、地方首長)は公職選挙法の適用対象となる公職とされ、公職にある者、公職の候補者または候補者となろうとする者

 議員さんというと、ふだん会うチャンスがないために、遠い存在のように感じてる人も少なく無いだろう。
 僕の場合、トークライブを新宿でやってたら、お客さんとして柿沢未途さんが足を運んでくれたことがあるし、表現規制問題のイベントに招かれたら対談相手が山田太郎さんだったり、地元の千葉県市原市で毎月1回市民を集めたトークライブ・カフェを開催していたら12回めに市長が足を運んでくれたこともあった。

 また、僕の友人が生活保護の受給申請をしに行った際に、役所でなかなか話が進まなかった時に市議会を終えた某政党の市議会議員に声をかけて相談したら、即、受給できた、なんて話もある。
 議員さんたちもヒマではないが、市民の方から声をかければ、それなりに応じてくれる。
 そういう意味では、大企業の社長より市民に近い存在かもしれない。
 ただ、「国会議員はどんな仕事をしているのかを20字以内で説明せよ」なんてテストがあったら、日本人で即答できる人がどれほどいるだろうか?
 そう外さない回答は、これだ。

法律を作り、予算を決め、総理大臣を選ぶ

 ただし、日本では党議拘束があるため、自分が所属する政党としての意見を集客して議会に臨むため、所属政党の総意に反する意見に手を挙げることはほぼできない。
(そうした「謀反」をすれば、次の選挙で潤沢な選挙資金を政党から援助されなかったり、政党からの除名処分もありうる)
 そして、この党議拘束によって「与党vs野党」という図式が生まれ、過半数の議員を獲得した与党は暴走しかねない。
 そこで与党は、国民やマスコミから暴走や独裁と呼ばれて信頼を損なうことがないように、野党と「調整」をはかり、なんとか自分たちの意見を法律・予算として成立させようとするわけだ。

 1人でも議案に賛成させようと思えば、与党・野党の別を超えて意見を聞き、妥協や交渉を重ねていくしかない。
 政治によって社会の仕組みを作ろうとすれば、議会の中の多数派工作こそがすべて。
 コレが現実の政治なので、そんな議会で作られる法律や予算は、結果的に有権者が期待した通りにはいかなくなる。
 限られた議論の時間の中で、政治家は「最大多数の最大幸福」を最優先の課題として解決したがるのだ。

 これを裏返せば、政治家の過半数にとって「少数者」として見られてしまった人たちの切実な課題の解決は優先されないことになる。
 この「少数者」には、有権者ではない17歳以下の子ども、外国人、難病者などが該当する。
 彼らは少数者であるがゆえに、たとえ有権者になれても選挙では優先的には大事にされない。
 より多い属性集団からの支持を優先的に得た方が、より多くの票を取れるからだ。

 そして今日、日本では誰もが「少数者」になりうる恐れが高まっている。
 少子高齢化が進めば、1人の子が2人の親の介護で働けなくなり、貧困化しかねない。
 日本の経済全体が弱体化すれば、大企業とその傘下企業で働く人はリストラ対象になる。
 たとえ、それらがすべて運良く回避されても、突然の事故で病気やけがで長期入院したり、自分の意志とは関係なく職場で精神を病むようなストレスを与えられれば、「想定外」の生活保護受給者になりかねない。
 そういう危うい時代を、僕ら日本人は生きている。


●政治不信の時代には、社会起業家の存在価値が高まる

 失業、貧困、介護、子育てなどの社会的課題もあれば、環境汚染・動物殺処分・戦争やテロなどの社会的課題もある。
 そうした混迷の時代には、「英雄」の登場が期待されやすい。
 本宮ひろ志さんのマンガ『大いなる完』では、田中角栄(元総理)に似た主人公が出てくる。
 このマンガでは、有権者の一人が主人公に対して、こんな名セリフを吐いている。

「政治家の命なんざ、有権者のために捨ててこそ値のつくもんじゃないんかい?」

 しかし、今日では田中角栄のような大物政治家はいない。
 角栄は「日本から地方を無くそう」と考え、高速道路を全国に張り巡らせ、地方にある商品を都市部で売れるように「富の再分配」を志した。
 そんな高等小学校卒の代議士など、どこにもいない。
 雪国ゆえに交通手段が寸断され、売れるはずの米さえ売れずに切実に困っていた新潟出身だったからこそ、角栄はその苦しみから全国の地方の国民を解放しようとしたのだ。

 では、現在の政権与党のトップは誰?
 ボンボンの安倍総理だ。
 彼は貧しさも知らないし、低学歴が生き残るために負う苦しみの大きさも知らない。
 きみがいざ貧困化しても、彼は関心外のまま。

 それどころか、彼が戦争を始めることに決めることになっても、彼自身は戦地に行かない。
 行くのは、40歳以下の一般国民の男子だけ。
 安倍は、自分の命を有権者であるきみのために捨てるつもりなんかない。
 そこで、以下の動画を観てみよう。



 この動画は、創価学会の婦人部が出していたマンガを動画に加工したものだ。
 創価学会は公明党の支持基盤の宗教団体だが、公明党は「自衛隊から国防軍へ」と改憲を進める自民党と一緒に政権与党を担ってきた。
 それどころか、この動画のとおりに着々と戦争への準備を進めてきた。
 自民党も、公明党も、もはやかつての政党とは違う。
 自民・公明に1票を投じることは、「独裁者へ忠誠を誓う社会にしてほしい」と望むのと同じだ。

 そこで、改めて「政治家の仕事」とは何かを考えてみよう。
 彼らができるのは、「国民から吸い上げた」(by安倍総理)税金の使い道を考えたり、税金を使って運営する法律や総理を作ることだけだ。
 僕ら日本人は長い間、税金を上手に使ってくれる政治家を議会に送り出せなかった。
 その結果、税金が足りなくなると増税と借金(国債)で埋め合わせる政治家しか国会にいない。
 なぜか?

 社会の仕組みを変える主権者は、憲法で「国民」と明記されているのに、「主権者は政治家」だと思い込まされてきたからだ。
 「国民主権」ではなく、「政治家主権」として主権者教育が行われてきたからだ。
 だから、今なお学校では、校則ひとつ生徒自身で変えることができないほど、民主主義とは遠い社会設計を当たり前のものとしている。
 10代でさえ学校で「内申を握られているからね。通知表や内申点に響くから、できなかった」と嘆き、学校と生徒の力関係が意見を言うのを難しくしている。

 このように、民主主義をマインドとして教えない教育のあり方を疑わないまま大学まで出てしまうと、主権者マインドが育たない。
 埼玉県川口市内の街頭演説で、生活の党と山本太郎となかまたち代表小沢一郎さんは、こう言った。
「国民も自分たちの主権を行使できるのは選挙の機会だけだ。
 自分たちで政権を選ぶんだという意識を持たない限り、民主主義は成り立たない」
朝日新聞より)

 自分たちの主権を行使できるのは選挙の機会だけ?
 小沢さん、何を言ってるんだ?
 フランス革命あたりから、歴史を学び直してほしい。
 政治家=代議士という「自分の代わり」を選挙で議会に送り出すだけが、国民の主権ではない。
 自分の選んだ代理人の仕事ぶりを監視すると同時に、政治ではできない課題解決を民間事業として日常的に担う権利が国民にはあるんだよ。

 70年前の敗戦で、日本の主権者は天皇から国民に変わった。
 もう、主権を持つ王様はいない。
 かといって、その主権を政治家に白紙委任したわけでもない。
 主権は、国民自身にある。
 自分たちの社会は、自分自身の毎日の仕事を通じて作り上げていくんだよ。
 政治家がバカで、戦争をしたがるなら、戦争を起こしにくい仕組みを民間で作るしかないんだ。

 そうした主権者マインドを教えないまま、いつまでも無能な政治家に社会設計を任せる構えを続けている国民のままでは、戦前みたいに政治家から見下され、彼らの権力によって「戦地に行け!」と強制される時代がやってくるだろう。
 政治の右・左に翻弄されるばかりで、政治権力そのものに対する恐れを抱かない国民は、自分自身を無力な存在に貶め続けるだろう。

 しかし、いくら国家予算が100兆円あろうと、民間市場では100兆円よりケタ違いの大きな金が動いている。
 「どんな商品・サービスを作るのか」を考えた仕事によっても社会の仕組みは変えられるし、「どんな商品・サービスを選んで買うのか」を考えた消費行動によっても社会の仕組みは変えられる。
 政治権力より、市場原理の方が、素直に僕ら国民の主権は発揮できる。

 実際、政治家がどんなに原発政策を進めたくても、民間では風力や太陽光などの再生可能エネルギーの投資や市場が広がっている。
 どんなに既存の大企業が政府機関と組んで情報を独占しようと動いても、スティーブ・ジョブズがApple社を作ってパソコンを普及させて情報の独占を防いだように、社会の仕組みを自由に変えられる余地は、民間のビジネスに大きく担保されているんだ。

 僕らが毎日の自分自身の仕事で社会を変えられることに目覚めたら、政治権力を見上げる必要はなくなる。
 そして、民間で社会的課題を次々に解決していけば、税金を使うばかりの政治家の仕事の必要性は最小化でき、権力も最小化できるんだよ。
 だから、ビジネスによって社会の仕組みをもっと生きやすいものへ変えようとしている社会起業家が世界中に同時多発的に増え続け、日本でも注目を集め始めている。
 日本のマスコミが関心外にしているところで、現実は急激に変化し続けているんだ。

 今回の参院選の結果がどうなろうと、僕ら国民には民間で発揮できる主権があることを忘れないでいてほしい。
 たとえ野党が惨敗しても、顔を上げよう。
 政治権力に拮抗できるだけの主権者マインドを育てていけるチャンスは、僕ら国民に残されているのだから。

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