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■SEALDsの今後 ~政治運動から社会運動へ


 2016年8月15日、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)は解散した。
 英語で、「緊急行動は終わった。でも、終わらないプロジェクトを続けなきゃ」とある。

 彼らのアクションは、いったい何を達成できたのか?
 SEALDsの公式サイトには、こう書かれている。

SEALDsは特定の政党を支持するわけではありません。
 しかし、次回の選挙(※2016年の参院選)までに、立憲主義や再分配、理念的な外交政策を掲げる、包括的なリベラル勢力の受け皿が誕生することを強く求めます。
 これは自由で民主的な日本を守るための緊急の要請であり、現実主義的な政治対抗の提案です

 SEALDsはこれに基づき、野党の結集を呼びかけ、全国に32ある1人区の野党統一候補の陣営を回り、無党派層の票の掘り起こしに奔走した。
 だが、保守派の組織票には勝てず、参院選では自民党の大勝を許した。

 朝日新聞では、SEALDsの作った選挙マニュアル上で支持獲得のために必要な課題として認識していた以下の2点を紹介していた。

① 安保法制以外の生活のイシューにも取り組むことが必要
② 自分の問題だと思っていない人にも聞いてもらえるような取り組みが必要

 SEALDsは公式サイトで活動の当初から「現政権の政治に対抗するために、立憲主義、生活保障、平和外交といったリベラルな価値に基づく野党勢力の結集が必要」と主張していた。

 だが、①にあるように、安保法制の「反対」の意思表明しか最後まで伝わってこなかった。
 ②については、そもそも彼ら自身に主権者意識があったかどうかがあやしい。

 社会を変える当事者としての意識が主権者意識だが、彼ら自身が選挙運動や政治運動をしていない日常生活の中で社会運動をしていたかどうかも、まったく伝わってこなかったからだ。

 僕はこの8月上旬に京都に行く機会があり、それに合わせてイベントを主催する現地市民の方がSEALDsの奥田くんやSEALDs KANSAIメンバーとのトークライブを企画してくれたが、どちらも多忙を理由に断られてしまった。
 なので、直接彼らに主権者としての当事者意識を確かめるチャンスは失われた。

 僕はSEALDsがメディアで取り上げられるたびに、なぜ彼らに注目が集まるのか、不思議でならなかった。

 そもそも彼らの活動には、最初から最後まで上記の2点の課題を解決できる戦略が見えない。
 戦略が見えないまま、勝てる見込みを持てるとしたら、それは「祈れば神風が吹く」と信じるだけの念力主義だ。

 彼らの念力主義をメディアが見抜けないとしたら、ジャーナリズムがかなり劣化したことになる。
 もっとも、彼らがメディアで取り上げられる理由について、東浩紀さんは興味深い指摘をしていた。

 東さんがSEALDsの奥田さんらと話している動画を観てほしい(以下、東さんの発言)。

「必要とされているのは、すごく古いタイプの左翼なんだよ。
 戦争絶対反対、TPP反対、消費税を上げるな、などのね。
 労働運動系のデモで代々木公園から渋谷の街を練り歩く様子を見てたら、演説がすべて同じなんだよね。
 9条守れ、基地反対など全部一緒になってる昔ながらの運動で、そういう運動に入ってくる安全な学生集団としてSEALDsは消費されている。
(中略)
 大衆からの消費のされ方としては、新しい時代の古い左翼がやってきたと。
 奥田くんは運動家の息子、牛田くんは思想が好きなストリート系のラッパー、もう一人は帰国子女。
 コレが赤木智弘や雨宮処凛だったら、大人たちが安心して持ちあげられないわけだよ。
 危険だし、やばそうじゃん、外見から。
 きみたちは安心できる人たちなんだよ。
(中略)
 SEALDsが今のまま拡大していっても、大人が求める、世の中に違和感を持っている、いい感じの高校生が集まっているだけで、本当に生きづらさを持っている人たちはそこに来ない。
 SEALDsは大人の方を向いているからイヤなんだよね。
 若者の方を向けって。
 SEALDsはこの社会をどう変えたいかを言わないんだよ。
 SEALDsには、基本的に主張がないと思うんですよ。
 だから、音楽に乗せて『No War! No War!』と言うしか、もう運動できなくなっている。
 ただ安倍が嫌だという気持ちだけで集まってる。
 それを彼らはポジティブだと思ってるけど、そこにあるのは危うい運動。
 安倍政権の方が感情で動員するなら、反体制派も感情で動員するんだと。
 だから、憲法論議じゃ人も来ないし、テレビも来ないから、音楽に乗せて『No War! No War!』と言うし、ああいう若い力を取り込めば…と考える大人もいる。
 奥田さんはアイドルだし、アイドルとして神輿として振る舞ってる。
 でも、アイドルにすがるようじゃ、ダメでしょう」
(東さんの発言)

 東さんの指摘は、僕の言う「念力主義」と通底している。
 実際、「大人の方を向いている」という構えでは、大人にとっての「良い子」にしかなれず、古い左翼のおじさんたちばかりを喜ばしているのでは、何を言っても「受け売り」以上の説得力をもたないだろう。

 だから、選挙は当たり前のように大敗を喫した。
 それどころか、今なおSEALDsの若者たちは、彼ら自身が課題にしている前述の2点について、具体的な解決策を示せていない。
 なぜか?



●終わらない祭りの狂騒ではなく、解決を作れ!

 SEALDsの若者たちには、学生という身分に甘え、頭でっかちに社会の仕組みを考えていたフシがある。
 そうだとすれば、彼らと同じ年で既に働いている若者たちにとって、理念だけで生活実感が伴わない主張は、「政治趣味」というひまつぶしの思想にすぎない。
 それゆえに、彼ら自身の生活実感に根ざした主張として多くの人々の心に響いてこないのだ。

 では、どうすればSEALDsのメンバーたちは、彼ら自身の課題を解決できるのか?
 それを考えてみたい。

 といっても、SEALDsの若者にクソバイスをするつもりで書いているわけじゃない。
 日本人が民主主義を理解し、主権者意識に目覚め、立憲主義を貫こうとするなら、前述の2点の課題を解決する道筋をつけることが避けられないからだ。

① 安保法制以外の生活のイシューにも取り組むことが必要
② 自分の問題だと思っていない人にも聞いてもらえるような取り組みが必要

 まず、「安保法制以外の生活のイシュー」に取り組むために、自分自身が絶対に見過ごせない社会的課題を一つ、見つけることだ。
 社会的課題には、貧困・失業・差別・環境汚染・子育てと仕事の両立など、山ほどある。
 しかし、自分自身が切実に困っていると実感できる課題は、決して多くはないはずだ。

 人はそれぞれ自分の生い立ちの中で、社会の仕組み側が悪いために不当な扱いを受け、悔しい思いをした経験があるだろうし、その同じ苦しみを今も味わっている人たちがいる現実に対して「見過ごせない」と思えるなら、その課題を解決したいはずだ。

 たとえば、貧しい家で育ち、低学歴を余儀なくされ、職業選択の自由の幅が狭く、低所得の暮らしを強いられている人にとって、学歴と所得が比例しているという社会の仕組みを変えようとしない限り、いつまでも自己責任の努力を強いられ、やがて家庭を作っても貧困の文化が継承され、子どもまで貧困化する恐れが高まる。
 それでも、社会の仕組みを変える発想や事例に興味がなければ、その人の人生はずっと不当なガマンのくりかえしだ。

 かといって、政治家にお願いして既存の社会の仕組みを変えることを望んでも、保守でも革新でも、政治家は基本的に従来の仕組みを変えることは望まないので、絵に描いた餅だ。
 たとえ政策による解決が検討されても、その成果を得るのは何十年も先になる。
 それでも、自分の運命を政治家に預けるのか?
 そんな余裕など、無いはずだ。

 政治的解決は、常に何十年間という恐ろしい年月を要する。
 それよりも民間で市民自身が課題解決に動き出し、社会の仕組みを変えてしまう方がてっとり早いし、何よりも課題解決に動くこと自体が主権者意識の目覚めそのものになる。
 主権者は国民と憲法に明記されているのだから、国民自身が解決に動けば、実際の解決アクションが民主的な営みそのものにもなる。

 そして、そのように課題解決に動き出し、社会の仕組みをもっと生きやすいものに変えようとしているのが社会起業家であり、彼らの仕事はソーシャルデザイン(社会設計)と呼ばれる。
 社会起業家は、課題解決のための資金を寄付金・補助金・助成金に頼らず、自分たちの事業によって得た収益で調達する。

 社会起業家は従来の営利企業のように営利優先にはならず、利益は解決事業への再投資に優先的に回している。
 彼らに手がけるソーシャルビジネスにとって必要なのは、営利そのものではなく、課題解決の仕組みを維持できるようにするための持続可能性にあるからだ。

 このようなソーシャルビジネスを成功させるには、特定の社会的課題によって苦しんでいる当事者との泥臭いコミュニケーションが不可欠だ。
 ホームレスの問題を解決したいならホームレスと日常的につきあう必要があるし、仕事と子育ての両立の問題を解決するには、小さい子を育てながら会社に通っている親と深くつきあう必要がある。
 そうしたつきあいの深さによって、当事者がどんな解決のあり方を望んでいるか(=当事者ニーズ)を的確に把握し、その解決のあり方を実現できる方法を生み出せば、あとはその方法にかかるコストを見積もり、そのコストを埋め合わせる収益事業(ビジネス)を作り出せばいい。

 事業は1人では進まないので、NPOや株式会社などの法人を立ち上げることになる。
 そこで、同じ志を共有する仲間を作れば、メンバー間でコミュニティが生まれる。
 そのコミュニティ内で当事者ニーズをより深く掘り起こしていけば、当事者と一緒に解決の姿を実現できる。
 これこそ、まさに民主的な課題解決の手続きそのものであり、主権を発揮することだ。

 そうしたリアルなコミュニティの枠組みの中での話なら生活実感に基づく具体的な言葉を発信できるが、いきなり国家の将来について主張しても、多くの日本人はピンとこないはずだ。
 むしろ、市民が自分たち自身の力で社会の仕組みをより生きやすいものへ変えることこそ、主権者意識で動いた証明だろう。
 そのように、特定の社会的課題の解決に実際に動いてみれば、社会の仕組みは変えられる。
 だから、社会起業家は、すでに日本を含め、世界中で増殖中なのだ。

 AsMama(アズママ)が1時間たった500円で近隣のママどうしで子どもを預かり合える仕組みをここ数年間で急速に全国展開しているのを見れば、「子育ては自己責任だから両立の難しさはガマンするしかない」という古い仕組みを改め、「子育ては頼り合っていい」という新しい常識がどんどん普及していくのがわかる。

 Mo-House(モーハウス)が1997年から20年間、授乳服を開発・販売してきたおかげで、出産によってママたちは外出の自由を得た。
 「赤ちゃんがいるんだから、外で胸をはだける必要がないよう、家にいるしかない」という不当な既存の仕組みに対して、授乳服の開発・販売は「赤ちゃんと一緒にいつでも外出できる」という新しい常識を生み出したのだ。

 このように、生きづらい社会の仕組みを変えるためのソーシャルビジネスを自ら手がけるか、あるいは社会起業家の事業に参加したり、社員になったり、取材してみれば、地に足の着いた解決策を市民自身が作れることを実感できる。
 逆に言えば、課題解決の現場を知らないまま、ただ理念だけの正義を訴えても、多くの大人は振り向かない。

 社会起業家は、仕事を通じて、商品・サービスという形で解決の姿を示しているが、その商品・サービスが解決を求める当事者にとって満足度の低いものなら、無視されるだけだ。
 無視されれば、社会起業家は食えなくなる。
 つまり、当事者ニーズに寄り添って解決の姿を作っていくこと自体が、当事者と社会起業家が一蓮托生の関係にあることを示している。

 社会起業家は、切実に困っている当事者と「解決の姿を共有」しなければ、成立しないのだ。
 「解決しなければ、自分たちが食えなくなって困る」という具合に、当事者と一蓮托生の関係を築こうとするからこそ、社会起業家はこの社会にもっと生きやすい仕組みを作り出せるのだ。
 これぞ、当事者の問題を自分の問題だと認知する民主的な作法・取り組みだといえるだろう。
 このように、日常的に自分の仕事を通じて社会の仕組みを変えていく営みなしに、日本人に主権者意識が育つ土壌など、無いはずだ(当然、左翼政権が広く支持される日も遠い)。

 SEALDsがいう「自分の問題だと思っていない人にも聞いてもらえるような取り組み」を始めるには、特定の社会的課題に苦しむ当事者と「一蓮托生の関係」を構築することが避けられないし、その関係の構築によってしか、多くの人の心に響くアクションやメッセージは生まれない。
 それを考えると、SEALDsは学生という身分に甘えすぎていたのだ。
 だから、自分と同い年で働いている人や、切実に生きづらい人たちの共感を広く得ることができなかった。

 彼らが「終わらないプロジェクト」を続けたいと書く時、実現しそうもない政治的解決をいつまでも求めていくという構えを感じる。
 解決しないほうが、「反対のお祭り」の狂騒だけは続けられるからだ。

 しかし、民意は「反対」ではなく、「解決」を求めている。
 それは、どんな日本人でも忘れてはならない教訓だろう。
 犯罪や自殺を当事者の自己責任にして思考停止してしまう昨今、当事者の苦しみは社会の仕組みを変えることによって軽減できることを、若い人ほど考えてみてほしい。

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