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■息子がすべての「ムスコン母」 ~男子よ、避難せよ!

 夫との愛情や性的関係が失われた、自分の息子を「私のすべて」ととらえ、支配したがる妻を、ダイヤモンド・オンラインの記事では「ムスコン」と呼んで紹介していた。

 ムスコンとは、幼少児の息子に対して一方的に性的(あるいは恋愛的)な関係を強いることによって、わが子をいつまでも幼いままにし、自分の支配下に置きたがる母親のこと。

 昨今では、「ムスコン母」は決して珍しい存在ではない。
 「たくさんの妻が悩んでいる」というNAVERまとめもあるし、この言葉自体も石坂啓さんの80年代末に発表したマンガ『ムスコン』が最初だろう。

 つまり、90年代以後の母親には、既に「ムスコン母」が増殖していたことになる。
 今日では、すでにテレビ番組新聞の記事でも取り上げられ、関心と注目を集めている。

 では、実在するムスコン母は、どんなものなのか?  ダイヤモンド・オンラインの記事によると、こんな2人の母親がいたようだ(※記事を引用)。



 これらは、立派な”性的虐待”の告白である。
 ダイヤモンドの記事で書き手はそれを明確に指摘していないが、仮名の取材対象者に遠慮する必要はなかったはずだ。

 もっとも、「ムスコン母」自身も、自分がわが子に虐待をしているという現実をまったく自覚していないし、指摘されても「私が腹を痛めて産んだ子なのよ。母親の自分がこの子に何をしても、あなたに批判される権利はない」と居直り、絶対に認めないだろう。

 近親相姦は一概に責められるべきことではないが、子ども虐待は動物虐待と同じように、被害当事者の意志を正確に読み取るのが難しいことを逆手にとって一方的に進められるがゆえに、社会的に容認されることはありえない。

 そもそも、子ども虐待をしている親は、夫や自身の親などのパートナーとの関係における問題を解決することをあきらめてしまっていたり、それでも「経済的に自立できない」「不倫もできない」などの自分自身の事情から仮面夫婦・仮面親子を続けていることもあるため、自分自身の癒やしを抵抗できない弱者であるわが子へ求めてしまう。

 こうした「ムスコン母」は、90年代には既に珍しくなくなっていた。
 それゆえ、現在20代前半までの世代では、反抗期がなかったり、草食化している自分に何の疑問も抱かない男子が「ふつう」になりつつある。
 しかし、「性的虐待といえば、父親が娘にするものだ」という誤解を、テレビや新聞は盛んに大衆に与えてきた。

 性に目覚めていない赤ちゃんや幼児が相手なら何をしてもいいという構えは、息子・娘を問わず、それ自体が虐待だ。
 「親ならわが子に何をしてもいい」という考えは、子どもが大きくなって、親の方が「こいつが暴れ出したら体力では勝てない」と不安を持たない限り、延々と親の脳裏にこびりついている。

 こうした親たちが家という密室で子どもに対して支配的にふるまう時、子どもは絶対的な弱者であり、とても抵抗することができない。
 それは、レイプより比べようもなくひどい支配関係なのだが、日本では子どもの権利は女性の権利より軽んじられている。

 女性よりはるかに弱い子どもの権利を守る文化を作り出そうとしない限り、女性の権利もいつまでも形ばかりのものでしか担保されないだろうし、小中学生を性欲の対象にする男たちにその権利を当たり前のように理解させることも難しいだろう。
 だから、僕は1997年に『日本一醜い親への手紙』を企画・編集したのだ。
(※ちなみに、編集者だった僕は、この本のあとがきに臨床心理士の信田さよ子さんを起用したが、そのことをフェミニズム研究の第一人者である上野千鶴子さんが「あなたが信田さんを発掘したのね」とほめてくれたことは興味深い)

 親からの虐待によって自己評価を不当に低められ、自尊心をもてないまま大人になってしまい、自分の責任能力によって自由に振る舞うことができない若者たちを、僕は90年代初頭から取材してきた。

「もう20歳を越えてしまったから、他の人に言っても『親のせいにするな』と一蹴される」
 そんな嘆きも、さんざん聞いてきた。

 しかし、家庭教育や学校教育など「教育」と名のつく場所には、メリットと同じ程度にデメリットがあり、良くも悪くも影響を受けるのだ。
 親が子どもに施すしつけはその始まりであり、親が良かれと思って「愛」ゆえにやったことでも、子どもにとってはただ自分の意志を奪われ、支配される心地良さに毒され、自尊心を奪われてしまうだけかもしれない恐れが常につきまとう。

 自分の心身を支配してきた親からの避難は、何歳でもかまわない。

 未成年なら児童相談所を通じて養護施設や民間のシェルター、シェアハウスなどへ避難できるし、20歳を越えたなら家族に無断で実家から引っ越してしまってもいい。

 もちろん、親との関係に違和感や不満を覚えても、ためらってしまう子は珍しくない。
 そこで、親からの避難の必要性を自覚させ、強く動機づけるものの一つが、恋愛なのだ。


●男子は、たった3つの課題をふだんから解決しよう!


 思春期を迎えると、多かれ少なかれ、性欲が生まれる。
 男子だと、夢精で濡れたパンツを母親の目を盗んで自分で洗ったり、恋に目覚めた気持ちが恥ずかしくて家族の誰にも言えなかったりする。
 つまり、親にも言えない秘密が少しずつ増えていくのが、自立の始まりなのだ。

 それなのに、母親が「とても手のかかる年下の異性」というまなざしで自分を見つめ続けていたら、男子はたまったもんじゃない。

 保護者である親から「正しさ」を押しつけられ、同時に同じ人間が、性的な関係を期待されては、自分の気持ちを自分で肯定するチャンスが奪われかねない。

 もちろん、これは女子も同様で、父親が「とても手のかかる年下の異性」というまなざしで自分を見つめていたら、ゾッとするだろう。
 そして、ムスコン母も、かつてはそういう娘だったはずなのだ。

 それなのに、自分がどうにでも自由にできる絶対的な弱者である男子が産まれると、「母親の自分にはそれをする権利がある」と居直ったり、「育てているというより尽くしている」とだめんず・うぉーかーを相手にするような構えをとる。

 それは、その母親自身が夫以外に承認されるチャンスがなく、家の外側にある社会から必要とされて自尊心を満たすチャンスも無いことの証かもしれない。

 現実の社会には、子育て中の母親の手も借りたい事業体やボランティア団体などが山ほどあり、そうしたチャンスを探そうとさえすれば、承認されるチャンスにありつくことは難しくない。

 だが、赤ちゃんや幼児という絶対的な弱者にしか自分の癒やされたい思いをぶつけられない母親の心の奥底には、「自分なんか何の役にも立たない」という自己評価の低さが、便器の内側の黄ばみのようにこびりついているのだろう。

 それは、男たちが作った社会の仕組みによって強いられたさまざまな生きづらさの結果である面もあるため、第三者からは一方的に責められない部分はある。
 しかし、それを差っ引いても、虐待が正当化されることはない。

 そのようなムスコン母から避難するには、男子に向けて「自分の母親をただのババアだと思えてからが大人なんだぜ」とハッキリと教えてあげる人が必要かもしれない。

 これは、学校教師や、教育講演会でスーツを着て演説する識者にはできない芸当だ。
 それができるのは、男子が思わず恋してしまった相手だろう。
 惚れた弱みがあると、その人の話を無視できなくなるからだ。

 やがて家を出て、広い社会で暮らしていく子どもにとって、自分の親を「ただの中年」「ただの人間」と認知することは、その子自身の心理的な自立を育てる。
 自立とは、自分の言動の責任を自分自身で取ることであり、親や他人にその責任をとらせるようなヘマはしないようになることだ。
 その社会を生きる実感への目覚めの一番最初のチャンスに、恋愛がある。

 好きな相手と2人だけの泊まり込み旅行をしたり、ラブレターを交わし合うなど、「二人だけの秘密」を分かち合い、誰よりもそれぞれの親や親族などの保護者を排除することによって、自分自身の選択の責任を自分で負い、負える責任の範囲にしか自由や権利がないことを思い知るのが自立であり、この社会を自分の責任で渡っていけるという自信と自尊心を獲得するための通過儀礼であり、大人になるということだからだ。

 「前向きな子」ってどんな子?というブログ記事でも書いたが、親を裏切ることは、長い人生を自分で切り開いていくために必要な毒気である。
 それでも、「自分には毒気が足りてない」とか、「女子に縁がない」と嘆く男子も少なくないだろう。
 そこで、次のことをふだんから友人や家族などを相手に励行してみてほしい。

① 誰かから話しかけらたら、自分の話より、相手の話をうなづきながら黙って聞く
② 自分がどう思われるかなんて考えず、むしろ自分のカッコ悪い弱さこそうちあける
③ 相手を変えようとせず、自分が拒否したいことだけは常に口に出して言う

 以上は、どれも、男子がムスコン母に望んでも、してもらえなかったことではないか?
 知識や経験が不足している未熟さは、若いほど取り返せる。
 しかし、すでに自己評価が低いまま数十年も生きてきたムスコン母は、取り返せない恐れがある。

 生まれつきいろんな障害があるのに、病院で診断されたことがなかったり、子どもの頃に親から虐待・抑圧された過去があるためにトラウマを抱えていたり、本人自身からは積極的には言い出さない暗い事情やすっかり忘れている原因があるかもしれない。
 そうしたことが薄々感じられる場合、息子は母親の「ムスコン」を治すことなど考えない方がいいだろう。

 一刻も早く黙ってその家から避難し、親子関係から遠く離れ、それ以上、自尊心を壊されないようにすることが、自分の人生に虚しさを溜め込まずに済むおそらく唯一の打開策だから。
 ムスコン母は、男子から判断の主体性を奪い、「おまえは私がいなくちゃいつだって何もできない子ども」という呪いをかけるからだ。

 血縁上の親なんていなくても、子どもは立派に育っていく。
 害悪になる親を捨てないと、子ども自身がいつまでも割を食う羽目になる。
 親が死ぬのをビクビクして待ってるような暮らしを続けていた子どもが、親を殺してしまったという少年事件は珍しくない。

 ムスコン母は、きみがダメな子である方が自分が必要とされてうれしいのだから、いつまでもきみをダメなままにして成長させず、どんなに頑張っても「まだまだね」と満足感を示さず、「家」という鳥かごの中に監禁しては鍵を隠し、きみに親を心配させないように仕向け続ける。
 心配し、苦労することが親の仕事のなのに、それを放棄した方が楽だから、きみをあれこれと縛り上げるのだ。

 そこで、親の言いなりになって、良い子として親が喜ぶ通りの人生のレールにのったからといって、その人生の先できみが後悔する日が来ても、親は必ず「あなた自身が選んだ道でしょ」と責任から逃れるよ。

 そもそも、親は子どもの人生に責任なんて負えないのに、きみの人生を判断・査定する人になりたがるんだよ。
 そして、わが子を自分に依存させるように仕向けてしまう。

 この「共依存」という厄介な作法は、多くの親がなりがちな、はしかのような病気。
 しかし、はしかも、こじらせると、感染させられた側も巻き込んで死んでしまう。

 ムスコン母は、子どもが20歳を超えても、冷笑的なまなざしを向け続けるからだ。
「どうせ未熟なあんたなんかに、この家から出ていくことなんてできるわけがないでしょう」と。

 だから、自分の母親が「ムスコン母」だと気づいた男子たちよ、自分自身で責任のとれる人生を取り戻すために親を捨てよ。
 家から出よう!
 前述の3つさえ満足にできるようになれば、これまで女子にまったく縁がなかったきみだって、イヤでもモテるようになっちまうからさ。

【関連ブログ記事】
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