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■年金機構の家賃は1128円、親のいない子は3万円 

 2015年10月24日付の日刊ゲンダイに、以下の記事が掲載された。

日本年金機構が全国に保有する宿舎207棟のうち、入居者ゼロは2014年度末で13棟。
このうち、東京・東久留米市の独身寮の月額家賃は「1128円」だった。
さらに、職員が住んでいる東京・昭島市の独身寮も家賃は「1984円」
世帯向け宿舎(60平方メートル前後)の家賃も、ほとんどが数千円台から1万円台。
機構は宿舎に住んでいない職員4000人に対して年間13億円もの家賃補助を支払っている。
しかし、年金機構法には規定がなく、法改正が必要だ。
民主党の部会で法改正について問われた厚労省は、「鋭意検討中です」。

 年金機構は、堂々と公式サイトに「非公務員型の公法人(特殊法人)」と書いているが、年金機構の職員は、ほとんどが年金機構の前の組織である社会保険庁からの移行組、つまり「元公務員」だ。
 その元公務員に「家賃1128円」という好条件を与えることが、「非公務員型」の組織にふさわしいだろうか?

 もちろん、「NO!」だ。
 彼らは、彼ら自身が特殊法人でしか通じない常識(ローカルルール)にのっとって、「年金や税金は俺たちが美味しく使わせてもらうぜ」と言わんばかりに、堂々とムダづかいを続けている。

 一方、虐待などの事情で親元で暮らせない15歳~20歳の子どもは、民間の養護施設「自立援助ホーム」で集団生活をし、子どもたち自身が家賃3万円程度を負担するため、低賃金のアルバイトをしながら毎日必死に高校へ通っている。

 定職のある元公務員の家賃が1128円で、しかもその部屋を使わないままにしているなら、なぜ親元で暮らせない子が住めるようにしないのか?

 こんな愚かな仕組みを税金から支給される仕事で作っておきながら、厚労省の官僚はいっこうに動かない。
 税金をジャブジャブ使う現実を指摘されて困るのは、同じ公務員の官僚も同じだからだろう。

 日本年金機構の理事長・水島藤一郎(=写真。同機構の公式サイトより)は、2016年1月4日のご挨拶で、以下のように伝えている。

年金制度の運営組織として高い倫理観と使命感を持ち
国民の年金を守る為に職員全員が一体となって努力を続ける組織として、
この日本年金機構を再生することに全力を尽くして参ります

 このメッセージは、不正アクセスによる情報漏洩で、125万人というとんでもない数の個人情報を流出させてしまった事件を受けて書かれたものだ。
 しかし、「高い倫理観と使命感」は組織としての文化によってしか育まれない。

 では、公務員・官僚は、なぜ倫理観と使命感を欠いた仕事をし、国民を悩ますばかりの愚かな仕組みを作ってしまうのか?


●資本主義は、「資本主義の精神」なしには機能しない

 そこで、僕がイベントや対談などでお世話になってきた社会学者・宮台真司さんのお師匠さんである小室直樹先生の生前の講演の動画(Youtube)から、官僚がおかしくなってしまった歴史的な経緯をわかりやすく紹介しておきたい(以下、講演の一部を書き起こし)。


 日本は明治時代、一応は資本主義に向けて発進しました。
 しかし、資本主義になっても、地主階級はほぼそのままだったのです。
 征夷大将軍とか、武士や大名は全部なくしたのに。
 しかも、地代は実物の米で小作人に払わせ、50%というべらぼうに高いものでした。
 そこで、封建主義の最も基本的な部分が、日本の資本主義にすべりこみました。
 人間関係まで資本主義にすべりこんだのです。
 50%は上限とし、飢饉のような時は負けてくれたので、人間的にも地主が偉くて小作人は「下」という人間観が社会の全体に広がっていきました。

 もう一つ、日本のビジネスリーダー、主な資本家や経営者のほとんどは下級武士でした。
 三井財閥を近代財閥に編集し直した人々は、下級武士です。
 日本の明治維新は、下級武士が主体になってやりました。
 下級武士は、明治の官僚組織の中に大量に潜り込みました。
 明治維新によって武家階級はなくなりましたが、武家階級の倫理であるところの武士道が下級武士を媒体として官僚組織に潜り込んだのです。
 武士道の本質は「役人が日本を支配する」というものですから、あたかも武士が町人や百姓を支配したように、そのような考えが残ってしまいました。

 資本主義国では役人は公僕ですが、役人が私人で、それが経済のトップ、ビジネスリーダーを支配し、全日本を支配するというエトス(行動様式・倫理)が残りました。
 これがずっと続いていたわけですから、日本は本質的に封建制度のシッポを引っ張りながら資本主義になったといえます。
 そのような状態が、戦争前まで続きました。
 昭和12,13,14,15年あたりから大戦争に直面せざるを得なくなりました。
 その頃から大戦争に突入することが明らかになり、官僚は何が何でも大戦争ができる経済システムを作らなければならないと考え、アメリカと戦うためにはそれまでほとんどなかった巨大な飛行機産業が必要になり、急に航空産業を作らなければなりませんでした。

 しかし、当時の人々は「飛行機は落ちるもんだ」と考えられていましたから、航空機会社の株を買う人はいません。
 そこで、政府は銀行に、「飛行機会社が来たらいくらでも金を貸せ。責任は大蔵省(現・財務省)がとってやる」と命令しました。
 それまでは資本主義社会ですから、株式や社債などを売って金を集める直接金融が主流でしたが、銀行による間接金融が主流になり、それが現在の日本の金融政策の原型を作ったのです。

 飛行機産業に対する政策は、一つの例です。
 戦争を遂行するために役人が主体となって、金融産業を媒介して隅から隅まで役人が支配するのは、一種の社会主義経済です。
 このような社会主義経済は、戦争を媒介してできました。
 戦後、アメリカ軍が進駐すると、軍部・財閥を解体し、農地解放をすることによって地主階級をなくしました。
 それらが戦争へ駆り立てたと思ったからです。
 しかし、アメリカには官僚の専門家がいなかったと見えて、官僚による金融システムを通じての経済支配に手を触れなかったのです。
 「日本は生産能力がなくて戦争に負けた」と考えた官僚は悔しがり、ますます経済支配を強め、「アメリカに追いつけ、追い越せ」と必死に努力し、朝鮮戦争による特需によって日本は経済大国に向かって歩き出しました。

 その背景には、米ソの対立があります。
 両国は第3次世界大戦が起こるだろうと軍事・経済面で競争関係にあり、アメリカは日本を同盟国にし、日本の経済的成長を助けました。
 1965年の日米安全保障条約によって「軍事はアメリカがやるから、日本は経済成長に専念すべし」としたため、官僚は喜び、すべての力を経済成長に集中せよと成長に有利な産業に資金を投入し、ソ連の5カ年計画よりさらに効率的に社会主義に育てました。

 日本はみるみるアメリカに追いつき、いくつかの分野で追いつきました。
 バブルの弾ける直前の1989年から1991年まで、経済規模はアメリカの半分くらいでしたが、設備投資はアメリカより多かったんです。
 そこで、日本が社会主義であることの欠点が露骨に出てきました。
 それはソ連と同じで、金融システムに命令している日本の官僚の欠点です。
 その欠点とは、依法官僚制と家産官僚性制の矛盾です。

 依法官僚制は、法律に基づいて官僚が支配するもので、無機的・合理的な支配ですから、官僚は法律のおばけみたいなもので、法律の解釈どおりに支配する。
 近代的な官僚制は、そういうものでなければならない。

 ところが、家産官僚制は、国家は君主の私有財産であるという考え方。
 官僚は、君主の命令によって国家を君主の私有財産として管理する。
 この典型が、中国ですね。
 中国の官僚制がものすごく進歩していたのは、ペーパーテストで高級官僚を募集する科挙の制度が隋や唐の時代に既にできていたからです。
 ヨーロッパでははるかに遅れていて、高級官僚になるのはたいてい貴族ですね。
 役職を金で買うことがフランス革命のちょっと前までふつうだったぐらいで、ペーパーテストの導入による採用は20世紀初めまでそんな具合でした。

 日本では、奈良時代に科挙が入ってきたものの、まもなく辞めて、復活しておりません。
 明治時代になって教育制度を作り、下級武士が大挙して侵入し、教育機関をもって階級を作りました。
 一高⇒東大法学部⇒高級官僚というレールができたのです。

 その制度の問題点は、武士のノブレス・オブリージュ(※優者の責任。大きな権力にはその大きさの分だけ責任が伴う)が生きてるときには立派に通用しましたが、そういう精神は時代が経つと急激に消えていったこと。

 決定的だったのは、戦後の教育改革です。
 戦前ならお金が無いですから、中学校に入るのさえ難しい。
 そこで給仕をやったり、丁稚をやったり、苦労をして難関の一高に合格したら大変な美談です。
 だから、勉強させてやれば一高に受かりそうな生徒には、地主も田舎の名望家もみんな(経済的に)応援したのです。

 そんな時代で東大に入った人たちは、みんなからのものすごい期待を受けて責任感を覚え、「日本人のためにやってやろう」という気迫に満ちておりました。
 だから、国民も「お役人様に頼っていればいい」と思っていても、間違いがなかったわけです。

 ところが、戦後の受験戦争の時代になると、ペーパーテストに受かりさえすれば、誰でも東大法学部に入れるし、大蔵省のキャリア試験でも誰でも受けられます。
 そこには、「人々の希望を一身に担う」という意識もなければ、武士道ノブレス・オブリージュもありませんから、ものすごい特権だけが残ったのです。

 「俺は頭が良くて、試験が上手で合格したんだから、俺自身が偉いのであって、国のためなんてどうでもいいや」となります。
 そうなると、日本の官僚制は、見かけは依法官僚制でも、本質的には家産官僚制になってしまったのです。
 家産官僚制では、国を自分の私的財産だと思っているんですから、恐ろしいですなぁ。

 中国においては、最も清廉潔白な人でも、地方長官を3年やれば、親子3代遊んで暮らせたといいます。
 ものすごいワイロをとったかと思えば、とりません。
 清廉潔白なんだ。
 どうも変だと思って調べてみると、家産官僚制では正当な報酬とワイロとの区別がないんです。
 国家が私有財産だったら、当然そういうことになるでしょう。

 日本の官僚も、国のものと自分のものとの区別がない。
 だから、大蔵官僚なんかが汚職で逮捕されても、誰も悪いことをした顔をしてないでしょう?
 悪いことをした意識がないんですよ。

 日本の資本は前期的資本ですから、資本の方にも何の規範性もありません。
 どこからどこまでもが株主のもので、どこからどこまでが俺のもんだという区別がないので、お役人にワイロを使っても、悪いことをした意識が全然ない。
 家産官僚制と前期的資本が結びついて、日本の官僚の果てしなき汚職を生んでいる。
 ですから、日本の経済がぴったりと動きを止めて、政府の政策が効かなくなって、誰もうかうかと消費や投資ができないのも当然なんです。
(以上、講演の後半の一部を引用。注釈は筆者)

 補足しておこう。
 小室先生は、「資本主義の精神がないと資本主義国にならず、ギャングばかり産まれてしまう。それが、ロシアが資本主義になれない理由」と指摘している。
 資本主義の精神とは、「富を目的として追求することは邪悪の極致としながらも、(天職である)職業労働の結果として富を獲得することは神の恩恵(グレイス)」と人々が当たり前のように考えること。

 資本主義の精神が生まれる以前は、利潤の追及だけで何の規範もない。
 そのため、資本主義以前を「前期的資本」という。
 現代でも、経営者の中には前期的資本のままでビジネスをする人間はいる。
 そういう連中が規範のない官僚と結託すれば、ワイロを差し出す・受け取るという関係が生まれるのは必然だ。

 それどころか、現在の日本の官僚は、自分と国の区別がつかないのだから、自分の知っている範囲の社会観しか持ち得ない。
 現代では、親の所得と子どもの学歴(偏差値)は正比例しているため、東大に行ける子は、私立の幼稚園・私立の小・中・高を経た中流資産層以上の裕福な家庭に集中している。
日経BPの記事より

 小さい頃から自分と同質の所得層の家庭の子ばかりに囲まれて育てば、貧困層や親のいない子ども、障がい者などの社会的弱者との関わりを一切もたないまま、大人になってしまう。
 その結果が、自分たちだけは家賃1128円の部屋に住めるが、親のない子は3万円を働いて払えばいいという仕組みの愚かさに罪悪感を覚えない官僚なのだ。

 この仕組みは、「偏差値が低ければ、一生低収入と貧困の不安に甘んじろ」と言い換えられる。
 さらに言うなら、「障がい者になったら俺たちと同じ給与を得られる希望なんてあきらめろ」だ。
 文科省の官僚も、自分たちと同じ給与額面を低学力の子どもに提供できるだけのチャンスを作らないし、その仕組みを制度化することにもまったく関心がない。

 そんな官僚たちの作った仕組みに、まんまとノセられてたまるかっ!
 だからこそ、僕は学校文化に毒されないで生き残った人たちの起業事例と手法について強い関心を抱くのだ。
 腐った官僚が跳梁跋扈する日本で、政治思想の右・左を議論してるヒマなんか無い。

 生き残るために、学校文化によって植え付けられた「良い子」の発想をそぎおとし、誰もがその人にとって無理なく稼げるビジネスモデルを発掘、紹介していきたい。
 そのために、『よのなかを変える技術』(河出書房新社)を書いたんだよ。

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