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■前向きの前を疑えば、誰もが「しくじり先生」になれる


 「子どもの心を育む教師と親のために」発刊された老舗の月刊誌『児童心理』(金子書房)の1月号の特集「前向きな子」が、発売された。

 この特集で編集部から執筆依頼を受けた僕(今一生)は、大学で心理学を教えるえらい先生や教育現場にくわしい方々に混じって、「大人の示す『前』では生きにくい子どもたち」という挑発的な文章を書いた。

 大学を半年で辞めてしまった僕は、大人に一方的に語られがちな子どもの現実をふまえたうえで、今日的な「前向きな子」の意味を問う内容を書いている。

 特集記事の目次と執筆者は、以下の通り。
(Amazonで購入したい方は、コチラへ)


前向きに生きる 大野裕
前向きな心の発達 速水敏彦
ポジティブ心理学から見た前向きな心 小玉正博
ネガティブ思考がよい結果を生むとき
――防衛的悲観主義とは 外山美樹
前向きな行動を生み出す考え方 石川信一
夢や目標をもつことはどのように大切か 白井利明
大人の示す「前」では生きにくい子どもたち 今一生
すぐめげる子・あきらめる子をつくる親のかかわり 内田利広
プラス思考、ポジティブシンキングがマイナスに働くとき 若島孔文
「楽観的な子が伸びる」は本当か 田中輝美
子どもが憧れるヒーローはどう変わったか
――兜甲児からアムロ・レイ、碇シンジへ 石井久雄
●学級で育てる前向きな心
前向きな子を育てる人間関係 藤枝静暁
「失敗してもいい」「間違ってもいい」を共有できる『学級づくり』
――心の教育の視点から 永井裕
勉強が苦手な子どもでも積極的に取り組める授業の工夫 神谷和宏
●前向きになれない子へのかかわり
将来の目標を持てない子にどうかかわるか 関﨑純也
励まし、勇気づけを有効に使う 森重裕二
子どもを支え、応援する担任の在り方
――「カウンセリング・マインド」再考 海野千細
●こんな子に親はどうかかわる――自分で乗り越えるために
友だち関係に傷つき、思い悩んでいる子に 菅原裕子
勉強しても成績が伸びなくて落ち込んでいる子に 佐藤宏平

●苦しみ続けた者にしか持ち得ない「当事者固有の価値」

 「前向き」という言葉は、実はとても危うい言葉だ。
 なぜなら、「前」を自分以外の誰かが決めて、しかもそれが同調圧力によって自分に強いられることがあるからだ。

 「前」を親や教師、勤務先の上司などが勝手に決めるなら、「前向き」はいつも元気で、健康で、落ち込んでもすぐ立ち直れるような強さを備えているような属性・能力ということになるだろう。
 でも、僕はそんな「前」など信じない。
 それは、すべてを持っている人の特権的な立場だけを正当化するものだからだ。

 よのなかには、うまれつき元気でないまま生きていかざるを得ない病気や属性の人もいるし、人生の途中から治らない病気になる人もいれば、すぐにはとても立ち直れないショックな事件や事故、災害、人間関係に見舞われる人もいる。
 そういう人たちこそ、長い間ずっと苦しみに耐えてきた中で、その人にしか発見できなかった生存戦略を蓄積している。

 僕は15年以上の自殺取材の中で、その生存戦略の価値の大きさを自殺未遂の常習者たちや依存症の病人たちから学ばせてもらった。
 彼らは、心身の病状に悩み続けたり、愛する人の死に耐え続けたりしながら、今日までなんとか生をまっとうしている。
 その履歴を知れば、十分、健康な人たちに語れる大きな価値を蓄えているといっていい。

 だから、「しくじり先生」のような番組を見るたびに、「前向き」ではないと一方的に後ろ指をさされがちな精神病者や自殺未遂常習者、生活保護受給者などが、「しくじり先生」として人生を語る講演会を、福祉職の人たちが開催し、入場料の収益で苦しんできた当事者の収入源の一つを作り出す試みをしてほしいと思うのだ。

 「しくじり先生」の公式サイトには、こう書かれている。

当学園は、過去に大きな失敗を体験した“しくじり先生”たちが「自分のような人間を増やすまい!」という熱意を持ち、生徒たちにしくじった経験を教えている学園です。

 長い間ずっと苦しんできた人は、その過程で何かを間違えたのかもしれないが、それは必ずしも世間が勝手に推測するものとは限らない。

 親の言う「良い子」になろうとしてきたことが過剰適応を招き、恋人や上司の前でも「良い子」になろうとしたことが過労でダウン→うつ病→退社→ひきこもり→自殺未遂という展開になってしまった人もいる。

 「良い子」になってくれという親や教師からの期待を、世間が何も疑わずに正当化すればするほど「良い子にならなきゃ…」と追い詰められてしまう人は少なからずいる。
 彼らにとって「しくじり」とは、いつまでも「良い子」であり続けることだ。

 「良い子」を降りたからといって、犯罪や違法行為をするわけでもなく、病状がすぐに回復するわけでもない。
 それでも、今日まで生き残るためにその人なりに困難を軽減するために工夫してきた生存戦略が、自分が思う以上に豊かに蓄積してきた事実に気づける。

 その生存戦略は、自分史を歴史年表のように書いたり、人に話すことで、具体化できる。
 カウンセラーやソーシャルワーカーなどが当事者の話をじっくり聞き出せば、具体化は早い。
 生存戦略が具体化できれば、それを「しくじり先生」のようにイラストや文章で教科書として見せられる形をとれば、番組と同じ教室を生み出せる。

 福祉の仕事は、とかく制度のとおりに仕事をすれば満足してしまいがちだ。
 でも、生きづらさを持て余してこじらせてしまう人たちを救うには、彼らが苦しみと同時に蓄積してきた生存戦略に価値を発見することではないか?

 彼ら苦しみの当事者にしか得られなかった価値(=当事者固有の価値)を、しくじり先生のような講演会を開催し、教わる側からお金や感謝の言葉をもらうことが、当事者の苦しみの対価として正当な報酬を約束する福祉の仕事のように思うのだ。
(※当事者固有の価値を活かしたビジネスは、『よのなかを変える技術』に豊富に紹介した)

 「当事者固有の価値」はこれまで学術研究の名の下で当事者から搾取され、研究者たちに飯を食わせてきたが、当事者への還元が無かった。
 誰もその構図に疑問を持たなかった。
 それは、日本の官僚が国のものと自分のものとの区別がつかない事情と似てるかもね。

 その結果、当事者たちが集まるイベントでも、500円や1000円の入場料を設定してしまうし、それが不当な安売りであることを当事者自身が気づかないままだ。
 「どうせ俺たちの言葉や表現なんてそれぐらいしか払ってもらえない」という自己評価の低さを、福祉職は誰よりも真摯に受け止める必要があるだろう。

 だからこそ、当事者固有の価値に対する正当な対価を作り出すことが、福祉職に求められているように思う。

 公民館を借りて入場料収益を作る以外にも、医療・看護・介護・福祉の高校・専門学校・短大・大学などに「素人版・しくじり先生」として授業を売り出す(=学校からお金をもらう)手もある。
 もちろん、大企業のCSR(社会貢献の部署)を通じて、社員向けセミナーとして売る手もある。
 あるいは、講演会ではなく、自叙伝の朗読会かもしれないし、ラップのような音楽として売り出せるかもしれないし、映画や本かもしれない。

 このようなマネタイズ(収益化)の方法を学ぶことも、今日の福祉職が生きづらい当事者の生活の質を向上させるのに必要な経験ではないか?

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