そのあたりの詳細は、『プライドワーク』(春秋社)に書いてある。
すると、親子関係によって生きづらさを持て余し、リストカットやオーバードーズ(※薬の処方以上の摂取)などの自傷行為が辞められなくなり、自殺に及んでしまう人たちが増えている現実を知ることになった。
そこで、1995年頃からそうした自殺・自傷をくり返す人たちの取材を始めていたら、次から次へと「私の話も聞いて」という当事者たちが僕の事務所に連絡してくるようになった。
そうした経緯から、当事者たちと一緒にカラオケや飲食をするなど、少しずつ親しくなるようになり、その中でもコアになるメンバーたちとは、日常的にBBS(※ネット上の掲示板)やmixiなどで連絡を取り合いながら、一緒に遊ぶことが増えていった。
彼らから学んだ多くのことは、『生きちゃってし、死なないし』(晶文社)という本に結実させた。
その後、彼らの中から亡くなってしまう人が出てきた。
その経緯も、『「死ぬ自由」という名の救い』(河出書房新社)という本に紹介した。
そこで僕は、自殺・自傷を主軸にした取材だけでは、当事者を救えないことを思い知った。
だから、いつも同じテーマで3冊の本を出そうと心がけてきた仕事の方針を、このときばかりは転換した。
自殺関連では3冊目を出さず、「なぜ自殺に追い込まれたのか」あるいは「死ぬ以外に当事者を救う道はなかったのか」について知ろうと思った。
自殺した友人の葬式から一人事務所へ帰る道すがら、僕は手塚治虫のマンガ『ブラックジャック』の名セリフを思い出していた。
「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて
おこがましいとは思わんかね………」
それは、そうなんだ。
それでも、あの人は、なぜ死ななければならなかったのか?
あの友人は、本当に苦しみ続ける一生しかなかったんだろうか?
●複雑にからまった苦しみを1個1個ときほぐす
ある晩、友人はいつものようにオーバードーズをして、朝になったら冷たくなっていた。
友人は、幼い頃に家族から虐待を受け、精神を病み、上京してからは精神科への通院・入退院を繰り返していたが、最後は生活保護を受給していた。
医療や福祉という既存の仕組みの恩恵も受けていた友人は、なぜ救われなかったのか?
もちろん、「それだけ心の重荷が重すぎた」という見方もできるだろう。
しかし、日常的に付き合っていると、彼女は暗い性格でもなかったし、自分とまったく同じ境遇のメンヘラの仲間たちと一緒にいる間は、見るからに楽しげだった。
ただし、仲間の多くが仕事や遊びで連絡のつかない平日昼間、友人はアパートの部屋で1人、ネットにつないでは飽き、ありあまる時間が作る孤独の海にどっぷり浸かる日々だったろう。
生活が保障されているから、買い置きさえしておけばやることがない。
かといって、どこかへ行って遊ぼうにも、お金が足りない。
いつまでこんな暮らしが続くのか、それを思うと不安になるし、前向きなことを考えようとしても、精神障がい者の認定を受けている自分にできることなんて、まったく思いつかない。
これが、優秀な大学を出た官僚が考え、イデオロギー(政治理念)おたくの政治家が議決し、政策として執行されている「国の支援」の実態だった。
そもそも、児童福祉の時点で十分な予算をつけていない政治では、友人と同じ苦しみを抱え、年間で約3万人の自殺者の一人になる国民は、いつまでも減らないだろう。
減らないどころか、精神科の処方薬が引き金になって、ある日、はっきりと死にたいと思って無くても、死んでしまう人が出てくる。
だから、当時は過剰処方の問題と、処方薬依存症の問題について、僕はさんざん雑誌や新聞、本、テレビなどで提起し、厚労省も過剰処方の問題に取り組むようにはなった。
しかし、それは、東尋坊からの飛び込み自殺をその場で制止するような「水際作戦」にすぎない。
本質的な問題は、苦しんでいる当事者と一緒に日常的に伴走しながら生きていけるコミュニケーションが決定的に足りておらず、当事者に対して自己決定だけを迫る制度の致命的欠陥にある。
かといって、政治家はそうした当事者の切実な声を政治に反映させる気配はないし、当事者も自分の声を政治家に届けるすべを知らない。
だから、友人の苦しみを少しでも知った市民が、自発的に当事者と付き合いを重ねながら、なんとか苦しまずに済む時間を作り出そうとするのだけど、その時間を提供した分だけ関わった人は働く時間を奪われ、貧乏になっていく。
次第に一緒に遊ぶ時間すら少しずつ減らしていかざるを得なくなり、最後はネットでつながるのが精いっぱい…。
政治家が改善策を打ち出してくれるのを期待しても、その間に実際に人が亡くなってしまい、名前も顔もない3万人という「数」にしかならないのだ。
となれば、民間で解決策を作り出すしかない。
そこで課題になるのは、支援者の貧困だ。
苦しんでる当事者が無理なく仲間と触れ合えて、同時に共に時間を過ごす仲間の生活も守られる安心を作らなければならない。
それは、当事者も支援者も関係なく、一緒にできる仕事を作り出し、その収益を分け合う「一蓮托生」の関係を築く必要が生じる。
つまり、一方的な支援ではなく、共に同じ目的の下で汗を流す協働だ。
そういう視点で現実の社会を見渡してみると、「社会起業」や「ソーシャルビジネス」、「ソーシャル・イノベーション」や「ソーシャルデザイン」という言葉に出くわした。
従来の補助金・寄付金に依存した事業運営ではなく、共に生きていくために仕事をみんなで作り出し、商品・サービスを開発し、収益を得ながら、誰もが弱いままでも生きていける仕組みを作り出すという発想で働く生き方だ。
よのなかには、みんなが困ってる問題(=社会的課題)がたくさんある。
精神障がい者の自殺問題だけでなく、ひきこもり・ニート・ホームレスなどの貧困問題、顔にあざなどがあるゆえに生きずらいユニークフェイスの顔面問題、性的マイノリティの生きずらさの問題など、挙げればきりがない。
社会的課題それぞれに解決の仕組みを新たに作り上げようとしている社会起業家たちがいた。
だからこそ、僕は10年以上前から、社会起業家の取材を精力的に始め、雑誌や本、ホームページ、ブログ、イベントなどで発表してきたのだ。
それでも、社会起業家が増えていけば、社会起業家どうしがお互いに連携し合うことで、苦しんでる当事者が満足できる働き方や生き方に近づけていける。
(※生保受給者やLGBTなど孤立を強いられるマイノリティの自殺率は一般より高い)
社会的課題を解決する新たな仕組みを作った社会起業家はすでに世界中に続出し、ソーシャルビジネスは世界的なムーブメントになっている。
この大きな時代の流れと劇的な変化に、テレビや新聞、雑誌はついていけてない。
自分の関心事でしか検索しないネットでは、「社会起業家」を検索できるかどうかが、生きるか死ぬかを分けてしまうこともある。
ネットだけではわかりにくいと思ったら、図書館で本を借りて読んでみてほしい。
僕は誰にでも社会起業が理解できるようにするために、『よのなかを変える技術 14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)という本を書いた。
解決できる仕組みの事例については、『ソーシャルデザイン50の方法』(中公新書ラクレ)にたくさん紹介しておいた(※この本はソーシャルデザイン関連本では一番安く、一番事例が豊富)。
自分が何かに困っていなくても、大事な友人が苦しんでいるのを知った時、あなたにもできることがあるかもしれないから。
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