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■「元少年A=酒鬼薔薇聖斗」という無根拠な盲信

 1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件の加害少年(当時14歳)が名乗った「酒鬼薔薇聖斗」と、『絶歌』という手記の筆者を名乗っている「元少年A」を同一人物とする証拠はどこにもない。

 『絶歌』の出版元である太田出版自身が、著者の身元を確認してないことを認めている。
 なのに、『絶歌』はテレビや新聞、雑誌で「元少年A=酒鬼薔薇聖斗」と断定的に報道された。

 断定しておいた方が、人々をメディアに関心をクギ付けにし、それによって広告スポンサーを獲得できるからなのだ。

 だから、メディア業界人たちが、真実を確かめるというジャーナリズムの仕事よりも、自分たちの生存戦略を優先してしまう(=真実をグレーのままにしておく)さもしい働き方になっていることを、僕ら読者や視聴者は気づく必要がある。

 それについては、このブログでも嘆いておいたが、一度読者や視聴者に刷り込まれた盲信は、なかなか取り除くことが難しい。

 だから、10月15日付の「元少年Aの有料ブロマガが閲覧不能に」という日刊ゲンダイの記事でも、以下のように断定的に報じられた。






●自分で確かめてないことは「わからない」で判断を保留しよう

 「元少年A」の身元が不明である以上、「元少年A」のブロマガも、ホームページも、実際には誰が書いているのか、わからない。

 誰にもわからない人が書いている。
 なのに、「元少年A」という自称の人物名だけが一人歩きしているのだ。

 こんなオバケをつかむような状況で、有料のコンテンツを買うバカがいるのだとしたら、「私が安倍総理です」と自称して本を出すことも許されるのだろうし、「俺がキムタクだぜ」という手記を出版することだってできるだろう。

 「メディア・リテラシーのないバカ、集まれ!」と呼びかけられて、ほいほいカモになってるわけだね。

 僕はここで、小学校の頃に教科書で読んだ『ひときれのパン』という物語を思い出す。
 逃亡する人に紙袋を渡した人が、言う。
 「このパンは到着してから食べるんだよ。それまで袋を開けないで」と。

 到着し、袋を開けると、パンではなく、木片だったというオチだ。
 ニセモノでも「本物だ」と思い込むことが、希望というものの正体だという教訓だ。
 この物語は、共産圏で生まれた。
 真実を確かめる自由のない国ほど、希望が盲信にすぎなくなるのだ。

 日本は資本主義国家で、自由に真実を確かめる権利だって保証されているのに、テレビや新聞、雑誌などは、その権利すら放棄して、国民にグレーなことを断定して伝えてしまう。
 しかも、そのことに国民の多くが気づかない。

 せめて、確認できてないものは、「わからない」で判断を保留する構えを学ぼう。
 現実のよのなかは、「黒でなければ白」という具合にハッキリ分けられるものではないし、希望だと思っていたことが、同時に絶望的な現実を意味していることもあるのだから。

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