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■ブレンディ「卒牛式」で教職員だけ鼻輪が無い理由

 昨年11月に発表されたAGFのカフェオレ商品のプロモーションビデオ(以下、PV)が、今になって話題になっている。

 AGFの公式サイトには、特濃牛乳を100%使用した〈ブレンディ〉ボトルコーヒー ミルクひろがる 挽きたてカフェオレの魅力を“卒牛式(擬人化した牛たちの進路発表会)”で表現した」と書かれている。

 鼻輪を付けた制服姿の高校生男女が並び、それぞれの進路を言い渡される。
 誰よりもがんばった女子生徒だけが「ブレンディ」に進むことができるというオチだ。
 要するに、それだけ厳選された「特濃牛乳」を使用していると言いたいのだろう。

 だが、「擬人化した牛」という表向きの意味よりも、「牧畜牛として優等生になるように飼い馴らされた人間」という読み方をした人は少なくないだろう。
 それは、Youtubeでゆっくり映像を確かめれば、よくわかる。

 鼻輪をしているのは高校生とその両親だけで、進路を決めたり、「特別な存在」が何を教える側の教職員は誰も鼻輪をしていないからだ。
 また、生徒が友人を名前で呼んでいるのに対し、教職員は生徒たちを番号で呼んでいることにも気づきたいところだ。

 何が「特別な存在」かを一方的に決めることができ、「特別な存在」であるかどうかを選別でき、進路まで決められる力を持つ者とは誰か?
 それは、権力者以外にありえない。


●AGFは「自社商品より現実の社会を観ろ」と言いたかった?

 民間企業は、より良い商品を作りたくても、消費者(=市民)が望んでいない商品は売れないし、その点で、消費者の意向を反映させないと成立しないビジネスは民主主義的と言える。

 しかし、政治は違う。
 一度「民意」をつかんで当選してしまえば、政治家は市民が望んでいないことまでやりかねない。
 市民ニーズとは遠い政策でも、それを議会で通してしまえば、行政に執行させることができる。

 その最たるものが、文科省の支配下にある学校教育だ。
 学校教育は、権力の象徴的な仕事を教職員にさせる。
 だから、歴史的に民主主義がない日本の学校教師は、独裁的に「特別な存在」を決められる正当性を付与された存在になる。

 それゆえに、このPVも学校の実態をふまえてリアルに感じてしまうのだろう。
 もっとも、この映像は、ジョージ・オーエルの有名な小説『動物農場』が人間を動物に置き換えて描いたのとは対照的に、動物を人間に置き換えて描いている。

 どちらも、権力者にとって扱いやすい存在として「愚かな人間」を描いている。
 独裁を望む権力者は、多様な価値を拒み、一義的に正しいものを決めたがるのだ。

 学校では、教職員の教えを素直に100%鵜呑みにしてくれる生徒が「優等生」になる。
 ゴルフで世界一のプレイヤーになることや、10代で年収1000万円になる起業家に育つことは、何ら評価の対象にならない。
  文科省の指導範囲におけるテストで点の良い生徒だけが、勝ち抜いた「特別な存在」としてほめられる。

 他に評価基準はない。
 そのように一義的に正当性を決めるのが、権力の仕事なのだ。
 独裁では、評価基準が他に多様にあることを教えないし、むしろ禁じてしまう。

 僕自身が面白いと感じたのは、このPVを制作した広告代理店が、民間企業であるAGFが独裁者のように振る舞っていることを含意している映像をクライアント(依頼主)のAGFに納得させた点だ。

 AGFは、「消費者はバカだからそんな深い読み方はしない」とは思わなかったはずだ。
 むしろ、自社を独裁者に見立てて悪いイメージをあえて引き受けることで、現在の日本の政治家たちの浅ましさと、そんな政治権力に対して「優等生」であろうとする国民の愚かさに気づかせようとしたのかもしれない。

 そう考えると、消費者を不快にさせても、「自社商品よりもっと大事なことがある」という企業の姿勢を観ることもできるだろう。
 そうだとしたら、なかなか良くできたPVではないか?
 …なぁんちゃって。


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