当時は、中野の野方に住んでいた。
風呂なしの四畳半の賃貸アパートで、トイレは共同。
大家の住む1階から階段を伝っていく2階の突き当りの部屋で、月の家賃は2万1000円だった。
大学を辞めてからは、何を始めるにも金は必要なので、バイトに精を出していた。
家庭教師と塾教師のアルバイトに加え、交通量調査や築地市場での肉体労働などさまざまなアルバイトを始めては辞めた。
そうこうしてるうちに、同じ野方駅を利用する若者たちと出会った。
彼らは劇団を立ち上げたばかりの若い男女で、「虹色冒険団」と名乗っていた。
そこで劇伴の音楽を作っていたのが中澤誠さんという人で、シーケンサーで音を鳴らすシンセサイザーのキーボード演奏を、彼の住むアパートで聞かせてもらったことを覚えている。
80年代半ばに東京にいて、演劇とパンクを観に行かなかった人は、サブカル野郎とは言えない。
70年代の終わりに起こったテクノポップとアニメのブームの延長線上に、演劇とパンクは着地点として存在していたのだ。
「虹色冒険団」の団員たちから「高取英」という名前を聞いた時は、ビックリした。
高取英さんは、今日では月蝕歌劇団の代表・劇作家・演出家として有名だ。
しかし、僕が木更津で高校生をやってた頃から、高取さんは劇作家だったのだ。
1983年頃、マンガおたくしか読んでない雑誌『COMIC BOX』(ふゅーじょんぷろだくと)に紹介されていた『聖ミカエラ学園漂流記』という芝居のタイトルに、僕は萌えていた。
その作家こそ、高取英さんだったのだ。
「東京に行ったら観てみたい」
そう思いつつ、忙しく立ち回って見逃していたのだが、虹色冒険団の面々が高取さんがやっていた「総合ゼミ」の生徒たちを中心に結成されたと聞いて、驚いたのだ。
虹色冒険団の立ち上げの直後、高取さんは月蝕歌劇団を立ち上げた。
高円寺の明石スタジオで、『聖ミカエラ学園漂流記』シリーズの物語が展開された。
その後、10年以上が過ぎ、1996年に僕が都内で毎月イベントを主催していた時、やっと高取さんに声をかけ、長らく眠っていた高取さんの監督作品『アリスの叛乱』を上映する機会を得た。
(この劇伴の音楽は坂本龍一さんが手がけているのだが、販売されていない)
●『性度は動く』が、改題されて復刻された!
さて、長々と1985年当時の話をしてきたのは、同年に高取さんが発表した本『性度は動く セックスは文化とヤる』(情報センター出版局)が、上京したての僕にとっての愛読書だったからだ。
この本は、社会学的な視点で日本の猥雑な性表現と社会の関係を分析してみせた内容だった。
「不良文化に注目し、しかも学級委員文化を侵攻する視点を持ちたい」という本書の一文は、まさに今日まで続く僕自身の書く仕事や発想に通底している。
少し前、小説家や文藝編集者たちが集まる新宿のバー『風花』のカウンターの隅に高取さんが陣取っていて、隣に座った僕は『性度は動く』が改題されて復刻されることを知らされた。
それが、先月発売された『ザ・えろちか 青少年のためのセックス学入門』(人間社文庫)だ。
それをさっそく高取さんに贈ってもらったのだが、ここではあえて詳細に触れない。
ネット検索をしても、画像も書物も出てこない80年代以前の性表現についてきっちり整理・記録された本書の読者になってこそ、若者は宝物を発見するだろう。
そして、「不良文化に注目し、しかも学級委員文化を侵攻する視点を持ちたい」と書いた著者が、その後、大学教授になるだけでなく、深夜の新宿のバーの片隅で静かに語る不良的なやさしさも忘れていないことの意味の深さを思い知ってほしいところだ。
不良らしい不良もおらず、学級委員のような優等生も優等生らしくもなくなった今日、両者の間のコミュニケーションはさまざまな格差によって分断されている。
しかし、猥雑な性の文化と社会のありようは、いつの時代も密接に結びついている。
作られた格差の中で個人の内面に退行していても、自由にはなれない。
自由の敵とは、誰なのか?
自由を求めるなら、今こそこの本を読む頃合いなのだ。
不良少年にもわかりやすい文章で書かれていることも、付け加えておこう。
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