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■ネイルアートで難民が自立できる仕組み

 日比谷線の神谷町駅近くのマンションのワンルームに、相場の半額程度に安い料金のネイルサロンがある。
 株式会社アルーシャ(東京・港区)が運営する同店には、母国で暮らせず日本へ難民として入国した女性たちが働いている。
 同社の代表取締役・岩瀬香奈子さんが、20105月に開いた店だ。

 岩瀬さんは200911月にNPO法人難民支援自立ネットワーク(RENの代表理事と出会い、難民たちが経済的に自立できないでいる深刻な状況を初めて知った。

「難民の多くは日本語の読み書きもできず、フリガナを全部ふっても難しいため、昔は土木建築や皿洗い、掃除などの仕事をしていた。
 でも、機械が入ったり、日本人どうしでも仕事を取り合う時代になった。
 多くはアルバイトで生計を立てていたので、仕事もなくなり、日本語もおぼつかなくて精神病になっている人さえいる。
 職業技術の不足から正社員として働いている難民はほとんどいない
(岩瀬さん)

 RENではそうした難民の方にビーズ織りの技術を教え、アクセサリーを作ってバザーなどで販売。その売り上げから難民や難民認定申請者に制作料を支払っていた。

 だが、難民の方がアクセサリーを制作した時点で買い上げているため、在庫が増えていく。
 販売チャンネルの少なさの問題もあり、1人あたりの月収は12万円にすぎなかった。

 そこで、岩瀬さんがもっと需要の大きいネイルサロンのビジネスを提案したところ、「あなたが難民に教えてあげてほしい」と言われた。
 20093月時点で、岩瀬さんはそれまで勤めていた外資系企業を退職し、アルーシャを立ち上げ、以前に付き合いのあったベンチャー企業から業務委託される形でコンサルタント業務を請け負っていた。
 時間の融通は利く。

他にやる人もいなさそうだし、実業をやりたい気持ちもあった。
 目の前で自殺しかけている難民がいるなら、私が支援すればいい。
 ネイルサロンは収益率の高いビジネスだし、割と軽い気持ちで始めてみた」

 岩瀬さん自身がネイルスクールに通い、知識と技術を身につけ、無料のネイル研修を受けたい人を難民支援のNPOなどに声をかけて募集した。
 毎日5時間、3週間の研修に休みなく参加できることを応募条件とした。

 すると、ビルマ(ミャンマー)、タイ、アンゴラ、コンゴ、カメルーン、イランなどからの難民が集まった。
 平日でも時間があることは、それだけ日本で仕事につくのが困難な証だった。

 岩瀬さんは、彼らにネイル施術のスキルを教えた。
 そして、20105月に天王洲アイルに初のネイルサロンを開店。

 事業目的に共感してくださったオーナーのおかげで家賃が免除され、施術道具などの諸経費は寄付金で賄えた。
 染料を入れるビンも再利用の空きボトルを使うなど切り詰めた。

「初期投資がないビジネスでないと、難民自身が自立できない。
 リスクは背負えないので、人件費も時給ではなく、歩合制にした。
 日本に来た当初は8畳一間に4人で住んでいた人もいる。
 うちで働いているミャンマー人も1988年の88日の全国的な反政府デモをきっかけに日本に来た一人で、当時20歳くらいで逃げてきた人たち」

 広告宣伝費は、一切かけない。
 NHKのテレビ番組やジャパンタイムズなどの英語メディアなどに事業活動が取材されることによって、客がついたり、ネイルを始めたい難民が増えてきた。
 その後、店は天王洲から現在の神谷町に移し、家賃も払えるようになった。
いつか銀座にも店を出したい」

 客が増えれば、その分だけ雇える難民も増える。
 おしゃれなネイルをするだけで、より多くの難民の自立を実現できるのだ。
 だからといって、「いつまでに何人の難民を自立させるなどの数値目標は決めていない」と言う。

 ソーシャルビジネスでは、問題解決の成果を定量的に語ることが多い。
 だが、アルーシャでは定性的な課題解決のあり方として持続可能な就労モデルを模索しているようだ。

「大事なのは、世界が平和になって彼らが母国へ戻れること。
 だから、うちで働いていた難民の方がいつか母国でビジネスができればいい。
 出社時間を間違えるだけでもビジネスが成立しない厳しい日本で独立するのは難しいかもしれない。
 でも、祖国ならがんばればできるんじゃないか。
 自分と関わった人がハッピーになれたらと思う」


●できることを、できる仕組みで、できるようにする

 Arusha(アルーシャ)を初めて取材したのは、2012年のことだ。
 今日では、ネイルアートだけでなく、英語・フランス語・中国語・ミャンマー語を学べる語学スクールや、難民支援になるショッピングサイトなどの新規事業にも手を広げている。
 しかし、単価の高いサービスで黒字を出すことを考え、余計なコストを徹底的にかけずに事業を進め、無理のないあり方で経営してきた。

 もっとも、ニュースで「難民」の報道があっても、身近な存在ではないため、難民の当事者の話や彼らの事情を聴くチャンスはほとんど無いだろう。

 日本に来た難民は、「総理大臣の悪口をテレビで言ってた人がいるけど、大丈夫なの? 殺されないの?」と驚くそうだ。
 それぐらい、母国で生きることが大変に困難な状況でいたからこそ、国を離れるしかなかったのだが。

 そうした難民の現実を知る前、岩瀬さんは転職を繰り返していた。

 外資系の企業で働いても、「生活に困っている外国人」の知り合いはいなかった。
 難民の存在を知ってからは、縁もあって、今日のようなソーシャルビジネスを初めて手掛けることになった。

「深刻な問題って、よのなかにたくさんある。

 けど、よのなかに知られてない問題も、まだまだたくさんある」
 岩瀬さんは、そう言うのだった。

 今回の難民支援ビジネスについて、岩瀬さん自身が講義してくれた動画があるので、ぜひ見てほしい。

 ソーシャルビジネスを立ち上げるところから、わかりやすく話をしてくれている。



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