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■自爆テロがお家芸の日本に、ISは来るか?

 パリでの同時多発テロ事件から1週間、NHKは『パリ同時テロ事件の衝撃』という番組を放送した。

 番組では、フランス国内に移民として入ってきたイスラム教徒の若者たちには、マイノリティとして差別を受ける中でコミュニティへの帰属意識からISイスラム国)からの誘いに乗ってしまう人がいるという証言が紹介された。

 フランスに「居場所がない」と感じた若者が、フランスに敵意を向けるISに共感し、「復讐したい」と考え、勧誘に応えて参加するのだという。

 しかも、ISの勧誘にはSkypeが使われ、ISが公開しているSkypeのIDにアクセスすれば、世界中の誰もがISと直接トークすることができ、実際にそれによって参加してしまう若者もいるんだとか。

 自分が帰属するコミュニティの中で「居場所の無さ」を感じるのは、フランスの若者だけではないし、イスラム教徒だけでもない。
 ISには17歳の韓国人の少年も参加しているし、韓国では10人がネット上でISへの支持を表明したことが報じられた。

 ニューヨークやパリなどでの自爆テロ事件は、組織的な犯行の一部として位置付けられているが、実行犯たちにとっては「殉教」的な選択だったのだろう。
 それは、地下鉄サリン事件のような無差別殺傷事件を起こしたオウム真理教の信者たちの行動にも通底しているように思う。
 オウム真理教が、家族や学校、会社などのコミュニティ内で居場所を失った若者たちの集団だったことは、ISの自爆テロを読み解く際に見逃せないポイントだろう。

 もっとも、日本では、既存のコミュニティ(家族・学校・会社・趣味のサークルなど)に居場所を感じられず、どこにも帰属できない孤独をこじらせた果てに自爆テロを頻繁に起こしてるのは、主に個人である。
 オウム真理教や極左のようなカルト集団の事件など、今日では起きようもない。

 2001年に大阪の池田小事件で小学生を殺した宅間守や、2008年に秋葉原・無差別殺傷事件を起こした加藤智大など、孤独の果ての生きづらさを持て余しても一人では自殺できず、死刑を求めて刑法犯になろうとし、何の関係もない人を攻撃した事件は、少なからずある。

 他国と比べて宗教に対する帰依が弱く、既存のコミュニティから追い出された時に規範意識があいまいになってしまう日本人の場合、一般常識から遠く閉鎖的な雰囲気のコミュニティに身を寄せる場合がある。
 それは、オウム真理教のような新興宗教だけではない。


●日本の原理主義者は、自殺できないとカルト集団に入る

 一般社会への情報開示を警戒する一部のNPOや、一度世話になるとなかなか抜け出せない医療・福祉的な自助グループ、低賃金による超過勤務をみんなでガマンし合う文化を同調圧力で強い続けるブラック企業など、いろいろな法人において見られる。

 しかし、そうしたコミュニティにすら居場所を感じられないまま孤独を持て余していると、自殺するか、自殺できずに無差別殺傷事件を起こすかしてしまう人たちが出てくるのだろう。

 問題は、そうした孤立無援の状態のままでいる人たちが、事件を起こす前にまるでSOSのサインのごとく原理主義的な言動を繰り返していることに、多くの人が気づいてないことにあるのかもしれない。

 原理主義とは、一つの教義を鵜呑みにし、一切の疑義をはさむことを拒否し、自分の頭では考えずにカリスマの言葉に従うだけ、という思想・運動である。
 要するに、「自分は黙ってえらい人の言った通りにする」とか、「えらい人が言ってるんだからそういうもんだと思え。理屈っぽく考えるな」というわけだ。

 当然、科学的な視点や、現実をふまえた客観的なものの見方、多様な視点・価値・情報を対等に並べて考える習慣を、原理主義者はもっていない。
 常に一面的な現実認識なので、自分たちの帰属するコミュニティの外側は「敵」でしかない。
 彼らは、「右(保守)でなければ、左(革新)だ」と決めつける。

 もちろん、よのなかには、そんな対立に関心を持たずに楽しく生きている人たちがたくさんいる。
 しかし、原理主義者は、自分の選べる現実の一つとして、毎日平和で楽しく笑顔で暮らすこともできるとは想像すらできないし、「右や左以外に判断を保留する立場もある」という冷静なとらえ方もなかなかできない。
 そういう豊かな発想ができるだけの心理的な余裕や、その余裕を担保できるだけの経済的な余裕、その余裕がないままでも自分を受け入れてくれる人間関係を、原理主義者は失っているのだから。

 だから、たとえば、右や左の政治思想における原理主義的な言葉を発信しては、同意してくれる同じ思想の持ち主たちがいることに安堵したり、同志を集めてはリアルで集まってアクションも起こすが、銃社会ではない日本では戦うこともほとんどなく、既存の政府にとって代わるだけのコミュニティにまで大きく育つこともない。

 ヤクザが企業舎弟に姿を変えたように、日本のカルトのコミュニティのリーダーは「どんなに世知辛い世の中でも生き残っていくには時代状況に順応していくしかない」と現実的な選択をするのだ。
 実際、オレオレ詐欺や、ぼったくりバー、違法な介護事業所、貧困ビジネス、ヘイトスピーチなど、せこいカルト集団は、身近にいくらでもあるじゃないか。

 自殺したくてもできない孤独な人たちの受け皿として、そういう原理主義的なカルト集団がたくさん生まれる。
 それが、日本の残念な文化であり、事実上の「自殺を先送りするセーフティネット」になっている。

 もっとも、日本は、厚労省年金局の担当官僚が、たった3か月で10兆円の運用損79月期)を出し、自ら顔と名前をメディアの前に出して謝罪するような国だ。
 国民が毎日あくせく働いて支払った税金を10兆円もフイにしたのに、大臣は青ざめて土下座することもなく、のうのうと仕事をしている。
 そんな大臣の下でいつまでも働き続けられる感性が原理主義でないと、誰が思うかな?

 そんな日本で政治に期待できる右や左の原理主義者たちは、幻想の王国を夢見ているにすぎない。

 だからって、そのことに絶望して、ISにコンタクトを取って、中東にまで行く必要はない。
 そもそも、自爆テロを彼らに教えたのは日本
(もっとも、日本の保守原理主義者には、その現実が受け入れられないだろう)

 イスラム原理主義者たちだって、自爆テロの憧れの聖地・日本の現実を知ったなら、「攻撃しよう」と思うどころか、こう思うんじゃないかな。

「俺たちの仲間がいっぱいいるぜ!

 こんな天国が世界にあったのか。
 俺たちも住まわせてくれ!」


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