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■「話せばわかる」を信じずに民主制は成り立つか?

 日本の寄付文化は、残念ながらまだまだ未熟だ。
 たとえ「切実に困っている人のために」という大義のために一肌脱いでも、脱いだ人に対する敬意に真っ先に着目することができない人たちも少なくない。
 より多くの人に支持される寄付アクションの仕組みへと改善するために、広く一般から意見や知恵を募るという主催者も珍しいくらいだ。
 しかも、募金によってどんな活動や成果ができたかをわかりやすく伝えることをおろそかにしている団体も山ほどある。

 だから、おっぱい募金をきっかけに「寄付とは何か」について知ってほしくて、この話題で複数のブログ記事を書いてきた。
 だが、今日(12月22日)、募金の受け皿になる未来支援委員会から、僕の質問に対する回答が送られてきたのと、法学部を出た友人からの法的解釈を受けて、いろいろ悩ましい気分でいる。

 まず、未来支援委員会からどんな回答が来たのかについては、近日ウートピのオンライン記事として発表されるので、それを参照してほしい。
 現時点でここで書けるのは、未来支援委員会は、初めて非営利組織を作って1年も経たないせいか、事務方は取材対応が未熟だったってことだ。
 未熟さは課題なので、今後の改善が見込まれる。
 そして、未熟な新設団体に対して、何らかの決めつけはしたくない。

 次に、友人の法的解釈は、こうだった。

「行為自体(イベント)は形式的にわいせつ罪になるんだよ。
 でも、これまでは、処罰するほどじゃない、もしくは警察が問題にしなかっただけ、ということ。
 女性団体が、処罰しろ、と叫べば処罰される可能性は高いと思うよ。
 官僚が大馬鹿だから、何でも規制したがる。
 そのことと、反対運動ってのがリンクしがちなだけ。
 麻薬でもエロでも規制すればするほどアンダーグラウンドに隠れるから、規制するべきじゃない、というのが全世界の流れ。
 特にエロは、隠せば隠すほど女性の被害が増えるのがわかっている。
 だから、警察も、エロに関してはあまり検挙しないの。
 検挙されるのは、やり過ぎの人か、警察の警告を無視したり意味がわからない人。
 そんでもって、女性運動は、そこが全然わかっていないんだな。
 自分が不快だから犯罪って考え方が、子ども過ぎるわけ。
 だから、警察も基本的には相手にしないわけ」


 つまり、おっぱい募金の賛否両論の議論や報道が警察の重い腰を上げさせるほど「社会的影響が大きい案件」に育ってしまうと、警察(あるいは検察?)がしたくもない規制や注意勧告などを始めて、おっぱい募金を中止(あるいは自粛)へ追い込むリスクもあるってわけ。

 市民の一部が苦情の声を上げるだけで、行政が急きょ変更を余儀なくされたり、公認を自粛してしまうことは、すでに続々と既成事実化している。

 三重県志摩市公認の「海女さん」萌えキャラとして2014年に誕生した「碧志摩メグ」は、今年(2015年)11、「キャラクターデザインが性的すぎる」「海女を侮辱している」など一部から批判の声によって公認を撤回し、デザイン変更はせず「非公認」キャラクターとして活動を続けていくことになった。


 12月には、岐阜県美濃加茂市観光協会がアニメ「のうりん」の女性キャラクターをイベントの告知ポスターに用いたところ、「女性蔑視だ」などの批判を受けてポスターの絵柄を差し替えた。


●公然わいせつでなくなるゾーニングの仕組みを徹底させる

 このように、賛否両論の議論がおこっても、賛成・反対の両者の「話し合い」や議決のないまま、市民の一部が嫌悪しただけで行政が「配慮」し、急きょ中止・自粛に至るという手続きが常態化していけば、民主主義にとって極めて危険ではないか?
 行政が、自分たちの仕事を責められないように一方だけの主張を受け入れて事なきを得ることがまかり通るなら、行政の仕事に予算をつける議会は何のためにあるのか?

 ただでさえ市民を怖がっているきらいのある役人たちにとって、市民からの「正義の旗を振りかざしたクレーム」に屈するのは、早めに火消しに走ったほうが自分たちの責任を最小化する生存戦略かもしれない。
 しかし、そんな責任回避の作法が民間の企業やNPOなどに波及してしまえば、新しい試みに挑戦する気運も消されていくし、どんな商品・サービスの開発現場も萎縮していくだろう。

 このようにおっぱい募金について言及するブログ記事を書くだけでも、警察を動かす「社会的影響」の一つを作ってしまうのかもしれないという懸念があり、もやもやする。
 現時点で、オンラインニュースだけでなく、週刊朝日には北原みのりさんがおっぱい募金について問題視する文章を寄稿しているし、僕(今一生)のところにも朝日新聞の特報部や週刊ポストの記者が来年1月未明発表の記事のためにコメントを求めてきた。

 もっとも、年末年始にどんなにこの話題が盛り上がろうと、来年(2016年)1月末日ころにはほとんど誰も話題にしなくなっているだろう。
 年が変われば空気も変わるし、その頃にはまたべつの話題で盛り上がっているはずだから。
 そのように、放置しておけば、いずれ中止の署名がテレビ局や番組制作会社、スポンサー企業、寄付先の未来支援委員会に届けられても、「検討し、改善すべき点は改善します」としか回答のしようがなくなる。

 そもそも、弁護士ドットコム・ニュースでは、公衆の面前で女性の胸をもむという行為が「『わいせつ』にあたるかは疑問が残る」と指摘されている。

「考えられるとすれば、『公然わいせつ』ですね。
 まず、公然性は、不特定または多数の人が行為を認識できるときに認められます。
 このイベントは、インターネットで告知をし、顔も名前も知らない人の前でも構うことなく露出した女性の胸を揉む、ということが行われました。
 このような状況では、不特定の方が認識可能な状態で胸が揉まれていると考えられます。
 したがって、公然性が認められる可能性が高いです(高松地裁H23.2.9)。
 『わいせつ』とは、『いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの』(最判S26.5.10)。
 『わいせつ』にあたるかどうかは、一般社会における良識、つまり社会通念を基準に判断されます。
 今回のイベントでは、一般的に『わいせつ』と言われている、下半身を露出するといった行為はなく、露出した女性の胸部を揉むということがおこなわれました。
 したがって、必ずしも『善良な性的道義観念に反するもの』とは断定できず、公然わいせつ罪にいうところの『わいせつ』にあたるかは疑問が残ります」
(岩沙好幸・弁護士)

 もちろん、わいせつ罪に問われないのだから、どんな嫌悪をふりまくことでもやってしまえ、などとは誰だって思わないし、望まない。
 むしろ、奇抜な寄付アクションを試みるなら、ふつうの寄付アクションよりもはるかに慎重に寄付のリテラシーを問うのが、より多くの人を幸せにする発想だろう。

 おっぱい募金の場合、事前のプロモーションに胸をはだけた表現を使ったり、アダルトサイトでないページにバナー広告を出すなど、ゾーニングに一部失敗した部分は否めない。
 募金の現場でも、AV女優たちを一列に並べるのが公然わいせつなら、AV女優と募金者が2人だけで入るボックスを設けて外からは見えない工夫をするなど、ゾーニングの徹底にはまだまだ改善の余地がある。


 僕の立場は、中止or擁護ではなく、その間にある「改善の余地があるから賛否の両者が話し合ってほしい」だ。
 わからないことは判断を保留し、調べればわかることは少しでも知りたい。
 だから、中止を求める署名を始めた匿名の人たちが、おっぱい募金の現場に足を運ばず、この企画を運営している団体(=署名の送り先)の人間に接触して話し合いを持つこともなく、募金者やAV女優など「参加した当事者の声」にも耳を傾けないまま、憶測で中止を求める構えが、どうにも理解できないのだ。



●「話せばわかる」を信じなければ、民主制を放棄したのと同じ

 反対の声を上げるのは自由だし、自分の頭の中で何を考えても自由だ。
 しかし、自分が不快だと思った相手に真意や内情を確かめる前に、いきなり他人の行動を制限しようとするなら、それは話し合いを最初から放棄し、妄想で誰かの言動の意味を一方的に決めつけていると言われても仕方ないだろう。

 それは国連をひとりよがりで脱退し、宣戦布告をする前に真珠湾に奇襲攻撃をかけた帝国主義の日本の軍部に似ている。
 憲法を変えないまま、安保関連法を強行採決させた安倍政権にも、それは通底している。
 おっぱい募金の中止を求める有志一同が、自分たちにとって不快な相手に対してとった言動は、かつての軍部や安倍政権と変わらない。


 現場を見る前から「性の商品化」という言葉を持ち出すのも、端的に変な話だ。
 おっぱい募金が本当に「性」を「売っている」かといえば、どちらも疑問である。
 「エロは地球を救う!」というふざけた番組タイトルや事前のプロモーションの表現が、募金者を増やすために扇情的になっているからといって、おっぱい募金の現場までそうなっているかどうかは別の話だ。

 実際に参加した女性募金者たちのブログを見てもらえれば、エロとは遠い印象をもつはずだ。
 現実にエロでないものを、妄想に妄想を重ね塗りしてエロ文脈で読みたがる人たちがいる。
 そういうひとりよがりな妄想で現実を変えられたら、たまらない。

 女性募金者たちのブログを見る限り、「性を売っている」のではなく、「罰ゲームみたいな3秒タッチをみんなで笑い合うために無償で提供している」と読み解く方が実情に近いだろう。
 あまりにもバカバカしくて、現場の画像や動画では、女優たちも募金者もみんな笑い合っている。
 誰かの胸に触ってひと揉み3秒だけで、瞬時に欲情を催せる人の方が珍しいはずだ。
 中止させたい方は、自分の頭の中の妄想と現実との間にあるギャップに気づいてほしい。

 ギャップに気づいたら、いきなり中止の声を上げるより、女性から嫌悪されることを最小化できる改善策を主催者側に提案していく方が、エイズ予防という公益に資する民主的な手続きだと、冷静に考えられるだろう。
 そのように、まず事実を分かちあった上で、それでも中止を求めるなら、なぜ当事者であるAV女優や番組制作スタッフらと話し合いをしないのかについて、明らかにしてほしい。
 「有志一同」は匿名のため、誰に教えてもらえばいいのかすら、僕にはわからない。
 匿名でいいので、話し合いをしない理由をメールで教えていただけないだろうか?
 それとも、不都合な事実を知ることによって、自分の気持ちや意見が変わるのを恐れているの?

 もし、中止派が話し合いを何度も求めてるのに、番組製作会社のリーレ(あるいは未来支援委員会)の方がかたくなに拒む現実があるなら、僕だって中止派に加担するかもしれない。
 寄付アクションを行う団体がオープンな議論を拒むなら、寄付という公益に資するはずの行為の社会的信用が落ちてしまうから。
(※現時点では、新設された未来支援委員会の運営にはマンパワーが足りないようで、なかなか応対に苦慮している様子が電話取材で察せられたことも付記しておく)

 万が一、おっぱい募金が中止された時、失われる年間600万円ほどのエイズ予防事業の資金について、中止させたい弁護士はそんなにストップエイズ対策をしたいんだったら、単純にそういう財団に寄付すればいいだけ」という書き込みをfacebookにしていた。

 600万円もの大金を毎年、積み上げるのに、募金活動がどれだけ大変かをご存知ないのだろう。
 「誰かがやればいい。私はそんな金については知らない」では、自分の責任を回避しているのと同じだ。
 600万円もあれば、啓発事業一つでも大きな成果を出せる。
 それができなくなることの意義を、エイズの感染拡大の深刻化が心配される昨今、軽んじるわけにはいかない
 寄付の手法を改善するのに手を貸さないどころか、寄付の目的まで果たせなくして逃げるなんて、さすがにまずいだろう。

 しかも、おっぱい募金は、年々、募金者を増やしてきたほど人気上昇中だ。
 中止させたら、「密室で胸をちょっとだけ触らせる」という敷居が極めて低い新しい風俗店がどこかで誕生するかもしれない。
 隠すことはアングラ化を進めるから、また全国の警察は地域の新設風俗店の届け出の管理で忙しくなってしまうかもしれない。
 それは、税金が余計に支出されることにつながる。
 これって、誰得なんだろう?
 中止派の有志一同は、自分たちのアクションによってそうした新たな問題が次々に浮上しても、解決の責任を放棄するのだろうか?


 生理的嫌悪からくる「べき論」に居直り続けるのではなく、せめておっぱい募金の関連情報リンクに目を通し、冷静に主催者側と話し合いをもってほしい。
 それこそが、話し合いによる解決で妥協点を見出す民主的な社会で生きる作法なのだから。

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