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■精神科の処方薬を売る人を責められるか?

 抗うつ剤や睡眠導入剤、抗不安剤など、中枢神経に作用して精神機能に影響を及ぼす向精神薬は、麻薬取締法の対象で、営利目的での譲渡や所持などが禁じられている。

 過剰に服用すると、幻覚や錯乱症状が現れたり、心臓発作で死亡するケースもある。


 兵庫県警は今年(20156月以降、インターネットを通じて向精神薬を不正に転売したなどとして男女5人を逮捕し、全国の100人以上への販売を確認した。

 薬の調達には、医療費の自己負担がない生活保護制度が悪用され、逮捕された受給者は複数の医療機関に通うなどして無料で入手した薬を横流し。
 購入者5人が過剰摂取で死亡していた。

 厚生労働省によると、13年度に実施した調査では、1カ月間に複数の医療機関から向精神薬を重複処方されていた受給者は約6800人。
 そのうち76%の約5200人が「不適切な処方」と判断された。
(以上、神戸新聞2015年11月30日付より)

 向精神薬の転売事件があると、神戸新聞の記事のように「不適切な処方や、インターネットを通じた売買による乱用が問題」と報道される。

 しかし、複数の病院から薬を調達する患者に問題があるのか?
 あるいは、薬を売買する低所得者に問題があるのか?
 どちらも答えは「No!」だ。

 精神科や心療内科で向精神薬を求める患者の多くには、医学や薬学の知識がない。
 医者から薬を渡されれば、それにすがるしかない。
 医者が処方を変えれば、それに従うしかない。
 医者が薬に頼らない治療法を採用し、カウンセリングの精度を上げて患者のニーズを丁寧にくみ取り、必要な福祉サービスやソーシャルワーカーなどにつなげていけば、患者が処方薬へ依存する構図自体をなくせるのだ。

 金を受け取る側の医者の社会的責任を追及することなく、薬にすがりつくしかできない不安な患者に薬を与え続けるのは、覚せい剤などの違法麻薬を売る「プッシャー」のやることだ。
 薬を処方されれば、患者は薬に頼るようになる。
 医者が薬物療法に依存する構えは、患者に転移し、薬への依存が始まるのだ。

 薬にすがるばかりの患者は、同じ量では落ち着かなくなり、やがて処方量を守れなくなる。
 薬は、しばらく飲んでいれば耐性がついてしまうため、同じ量では同じ効果を見込めなくなるからだ。

 オーバードーズ(過剰接種)という悪習慣が身につくようになる頃には、さらに効き目の強い薬を求めるようになり、1か所の通院先から受け取る量や種類では満足できなくなってしまう。
 だから、同時に複数の病院から薬を調達できる方法を探すし、ネットで買えるなら思わず飛びつく。

 その先にあるのは、過剰摂取による自殺だ。
 体調によっては心肺機能が突然に停止したり、薬を粉状にすりつぶして一気に水で流し込もうとしてノドに詰まらせて亡くなることもある。

 ネットで転売する側も、生活保護などの福祉の制度を逆手に取るわけだが、これも生活保護の暮らしから自立できるだけの十分な支援を施していれば、転売を動機づけることはなかったはずのものだ。
 その支援の社会的責任を負っているのは誰か?
 生活保護の受給を認めた自治体のケースワーカーや社会福祉協議会だ。

 彼らが生活保護の暮らしから無理なく抜け出せるだけの就労支援や起業支援などの仕組みを作っていれば、貧しい人が法を犯してまで薬を売る必要はなくなる。
 公務員のように収入が保証され、生活が安定している立場の人間が、自立支援の仕組みを作り出せていない現実をすっ飛ばしたまま、貧しい人が転売という犯罪を動機づけてしまっている構図は、いたたまれない。

 貧しい人や病んでる人が何人死のうが、ケースワーカーや精神科医は責められることなく、のほほんと収入を得ながら暮らしている。
 もし、ケースワーカーや精神科医が精神病にかかり、生活保護を受給しなければならないほど貧しくなっても、自分たちのそれまでの仕事ぶりを肯定できるだろうか?



●きれいごとを弱者に強いるだけで飯が食える商売ってラクだね

 僕は、戦後の闇市を思う。
 政府から許された合法の配給品では、食糧難のため、生きていけなかった。
 だから、ほとんどの日本人は、闇市で食糧を調達して生き延びたじゃないか。

 闇米を拒否して栄養失調で死んだ役人もいたが、「そんなきれいごとじゃ生きていけねぇよ」がみんなの本音だった。
 世界第3位の経済大国になったら、貧しい人に「栄養失調で死ね」と言うの?
 病んでる人に「医者に従ったまま死ね」と言うの?
 ふざけるんじゃねぇよ、バカ野郎。
 豊かになるってことは、弱者に自己責任を押し付けて知らんぷりするってことかよ!

 相手がどんなに貧しかろうが、どんなに病んでいようが、一緒に生きられる仕組みを作り出すのが、医療や福祉の仕事だ。
 その仕組み作りは、ソーシャルデザインやソーシャルビジネスのシーンでは10年以上前から盛んに試みられている。
 それを自発的に学ばなかった福祉のプロは、とんでもなく罪深い。
 時代は激変してるんだから、顔を洗って出直せよ、と言いたくなる。

 自分が救う相手が何人死のうと、自分の収入が減ることもなく、葬式にも行かず、メディアから叩かれることもなく、自分の家族や友人に誇らしくふるまえるなんて、そんな生き方でいいの?
 そんな人たちが医療や福祉の現場で「プロ」として働いていることを、僕は心底、残念に思う。
 自分たちの給与が、目の前の相談者が必死に支払った税金によって賄われていることにピンとこないのか?

 もちろん、精神医療が自殺に導いている現実に向き合った医者も一部に増えてきていて、薬物療法を辞めて自分自身のカウンセリング能力を高めたり、食事療法や運動療法、転地療法などほかの療法の可能性を患者と一緒に探り始めた人たちもいる。

 既存の社会福祉のあり方では、目の前の相談者たちが次々に死んでしまうという切実さを受け止めたソーシャルワーカーの中には、心を痛め、心中しそうな低所得で精神病の家族から未成年を世帯分離させ、自ら賃貸物件の保証人になってあげる人もいる。

 医療とは違って相談者の経済的負担が大きいと思われているカウンセリングも、なんとか当事者負担の額面を下げられる仕組みを作り出そうという動きがある。
 毎日、生きづらい人たちと向き合っていれば、そういう「仕組みづくり」に動くのが自分たちの「本来の仕事」だと気づくはずだ。
 なぜ、その仕事を自分が始めたかに思い当たれば、決まりの範囲内で動くだけでいいなんて思わないはずだ。
 人を救うのに、「決まりの範囲内だけの仕事で十分」なんてワケがない。

 ところが、行政はそうした心ある動きとは真逆のようだ。

 大阪府東大阪市は14年度から、受給者に薬局を1カ所登録してもらい、薬局側は登録者のみに処方する「かかりつけ薬局制度」を始め、重複処方に気付いて指導したケースもあるという。
 大阪市西成区も、診療科目ごとに受診する医療機関を1カ所に限定するよう受給者に求めている。
 兵庫県内の自治体で保護率が最も高い尼崎市や神戸市は過剰処方が疑われる場合、ケースワーカーらが聞き取りを実施。
 尼崎市の担当者は「不正防止だけでなく、健康管理の上でも重複処方を防ぐことは重要」と話している。
(以上、神戸新聞2015年11月30日付より)

 患者や貧者の責任を問うばかりの行政は、その土地の市民が政治的に成熟していない証拠だ。
 人間は、モノや数字じゃないんだぜ!
 組織ぐるみの「仕組みづくり」を初めての試みとして気おくれしているなら、自分一人でもできることから始めてみてはどうだろう?

 通常業務の枠にとらわれず、個人的に相談者の葬式に顔を出させてもらったり、自宅を訪れて話をじっくり聞いたり、自殺未遂で運ばれた病院に見舞いに行くなどすれば、自分の仕事に対する世間の風当たりに気づくはずだ。
 そこから、自分の食い扶持を確保したいだけで仕事をすることの恐ろしさとさもしさに気づいてほしい。

 さだまさしさんの歌『療養所(サナトリウム)』は、そういうことを教えてくれる。




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