女の子の手紙の文字は とがりながら震えてる」
(中島みゆき『ファイト!』より)
先日、郵便受けに母親宛ての同窓会の招待状が届いていた。
僕の母親は福島出身なのだが、招待状にはその地元の中学校の名前が書かれていた。
「へぇ、○○中学校を出たんだ」
「そうよ」
「高校はどこに行ったの?」
「おバカ高校よ」
「そんな高校はないでしょ」
僕が思わずつっこむと、母は微妙な間を置いた後、「高校は行ってないの」と言った。
父の口癖は、「同期の大卒は出世できたが、高卒の俺はできなかった」だった。
彼なりの親心として、わが子にはより高い学歴を与えたかったのも真実かもしれない。
だが、同時に息子の学歴で世間を見返したいという代理戦争の道具にされた感も否めず、僕は「学歴に左右されるような仕事には就きたくない」という思いを強くしながら育っていった。
そんな具合だから、僕は10代の頃からまったく学歴に興味がなかった。
もちろん、母に学歴を尋ねることもなかった。
だから、母が77歳になって初めて、中卒者であることをうちあけたことが不意に気になった。
彼女の年代では兄弟が多く、7人も8人も兄弟がいるのは珍しくなかった。
長男は高校に行かせても、娘は行かせないことも普通にあった。
中卒者は「金の卵」と呼ばれ、集団就職で地元を離れて仕事に就くのが当たり前の時代だった。
母は中卒後、4~5年は裁縫をみっちり家で仕込まれ、20歳になる頃には仕立ての仕事をするために上京し、20代前半で埼玉県川口市に住んでいた父と出会って、結婚した。
高度経済成長の時代だから、まじめに働けば社宅に住めて、家のローンも容易に借りられた。
長男の僕は、小学5年生までは勉強そっちのけで遊んでいた。
だが、小6から点を取るコツがわかり、担任教師が素晴らしくほめてくれて、クラスメイトが行き始めた中学受験塾なるものに興味本位で通うようになったせいで、メキメキ成績が良くなった。
中学では点取りゲームを面白がって通信添削と塾の2本立てで勉強し、3年間「不動の一位」をキープし続け、進学校の県立高校に入った。
教育投資を満足に受けることができたからこそ、偏差値70レベルの大学を狙うように親や先生から勧められるご身分になったのだ。
しかし、「大学に行けば、職業選択の自由の幅を広げられる」という大人たちの理屈が、まったく理解できなかった。
僕が情熱を傾けていたのは、音楽しかなかったからだ。
田舎でギター片手に歌を作っている高校生にとって、「大学に行けば音楽で飯が食える」なんて説得力がなかったし、まだプロにもなっていない音楽で「食えなくなった時の備えとして大学に進学しておく」という保険のような生き方を優先するのも納得できなかった。
結局、いろいろあって現役で受けた大学は全滅し、予備校に通う羽目になって、上京してバンドを組む口実に大学に入ることにした。
というか、その程度しか、受験勉強への情熱を担保するものがないほど、僕は学校や科目の勉強そのものを面白がれなかったのだ。
そんな僕でも、自分がすぐにメシを食えそうな仕事は、書く仕事だろうと思った。
周囲が「作文を苦手」と言うのを不思議に思っていたから、「それなら書くことに抵抗のない僕は書く仕事をやれるかも」という淡い期待があっただけだ。
大学をやめてほどなくコピーライターになり、数年後の25歳からはフリーランスの雑誌記者になった。
出身校や学歴を聞かれることはめったに無かったから、50歳になる今日まで学歴を気にしたことがなかったし、不自由に思うこともなかった。
だから、母が「高校は行ってないの」とためらいがちに教えてくれたことが、気になったのだ。
77年間も生きてきた人生を、なぜ学歴のことで気後れしなければならないのか?
戦後の日本は、きっと「大事な宿題」を解かないまま今日まで来てしまったのだ。
大事な宿題は、少なくとも3つあったはずだ。
① 学力偏差で負けて低学歴になっても低所得にならない仕組みをどう作るか?
② 学力以外で自尊心を保てる多様な価値基準をどう普及させるか?
③ 高学歴と低学歴の文化の違いを双方が理解し、尊敬し合える仕組みをどう作るか?
●バカな政治家や官僚、教師に従ってれば、バカを見る
資源のない日本が経済的に発展するには、工業化を進めるための優秀な人材を育てる必要があった。
だから、大人たちは「高学歴になれば高所得になれる」と鼓舞し、10代を受験戦争へ巻き込んでいった。
だが、それは「低学歴になれば低所得にしかなれない」というメッセージの刷り込みでもあった。
このメッセージと現実は、実は異なる。
学力で誰かを蹴落とさなくても、音楽・ダンス・お笑い・演劇などの芸能や、文章や美術などのアートやマスコミ、野球・プロレス・ボクシングなどのスポーツなど、学歴不問の職種はたくさんある。
文科省が勝手に決めた「学力」に才能がある人は高学歴を目指せばいいし、体力に自信があればプロスポーツを目指せばいいだけの話だ。
しかし、学校でも家庭でも、「勉強ができなければ他のことにも才能がない」かのように子どもを育て、子どもを自己評価の低い人材に仕上げてしまう傾向がいまだに根強い。
これは、大卒を当たり前に考える官僚や学校教師が、高卒以下の学歴で東大卒と同等に稼げる仕組みに関心が乏しかったことで、進路指導が「地元の町工場」のような手頃な就職先に生徒を入れておけば、問題視されなかったことが大きいだろう。
たとえ学業成績が劣っていて、おまけに体力やアートセンスがゼロで、既存の職種ではどこにも積極的に雇われにくい10代であろうと、その子自身に固有の能力や経験、スキルをふまえ、その子にしかできない仕事を作り出し、起業させることで食いっぱぐれない仕組みを作れば、少なくとも失業のリスクは最小化できたはずだ。
今日、障がい者やホームレスなど「一般企業への就職がきわめて困難な属性」の当事者にとって無理なく働けて、一般労働者並みの所得を得られる新しい仕組みを、社会起業家たちが続々と作っている。
まるで、戦後教育が放置してきた「大事な宿題」①の解決を肩代わりしているようだ。
②の「学力以外で自尊心を保てる多様な価値基準」は、①よりはるかに深刻な課題だ。
日本で一番偏差値が高い東大に入っても、自己評価の低い若者は珍しくない。
むしろ、10代で受験戦争から降りた低学歴ヤンキーの方が、早めに職人の現場仕事や結婚・出産・子育てのような強度のある人生によって自己評価を高める場合もある。
もっとも、総じて日本人は自己評価が低く、「みんなと同じ」という呪縛からなかなか降りられないまま、自分の人生に対する満足度と現実の間がどんどん離れていることを「自分が悪い」と個人的なガマンに甘んじる。
「よのなかの仕組みがそうなってるんだから、しょうがないじゃん」という構えで、負け犬に居直るのが大人になることのように刷り込まれているのだ。
しかも、昨今では「高学歴だからといって仕事のできる人材とは限らない」ことを企業の人事採用側もわかってきたので、学歴に関係なく雇用不安が広がっている。
自分で自分の仕事を作り出せる起業のスキルを習得していないために、「クビになって再就職が無理ならニートかホームレス」という恐怖から逃れられないのだ。
僕が障がい者やホームレスなどに仕事を作り出す社会起業家に関心を持つのは、彼らが社会の仕組みを生きやすいものへ変えているから、だけでなく、彼らの仕事の作り方を知ることで自分自身の生存戦略を増やしたいからだ。
社会起業家は、「学力も低く、体力もアートセンスもない」と思われがちの人材にもそれぞれに多様な価値があることを発見し、その価値を最大化させる仕組みを作り出している。
だから、彼らは社会を変える仕事ができるのだ。
これも、世間知らずの官僚や政治家、学校教師には無理なことかもしれない。
そして、低学歴層を低所得者層に貶めている致命的な間違いが、社会が「高学歴インテリ文化」と「低学歴ヤンキー文化」に2極化し、それぞれ価値基準が異なることに気づいていないことにある。
若い世代では2人に1人が大学に進学しているが、親の所得と子どもの学歴が正比例している時代になっているため、金持ちの家では幼稚園から大学まで私立へ通い、貧しい家の子は教育投資を受けられないまま、中卒・高卒で社会に出る。
この属性の異なる両者は、子どもの頃から大人になるまで、近所に住んでいても深くつきあうことがない。
40年前の1970年代までなら、金持ちの家の子も貧しい家の子も一緒に遊んでいた。
だから、自分の家や親がよそとどれだけ違うのかを、幼い頃から学べたのだ。
1980年代以降、親どうしの所得が釣り合う子どもどうしで遊ぶことが増えてしまった。
そして、低所得層が貧困層に転落しようと、中流資産層や富裕層は関心を持たなくなった。
ボンボンを総理にした国民は、富裕層と大企業しか幸せにしない政治を平気でやらせている。
国民の半分しか選挙に行かないという投票率の下落は、「政治に期待していても日本は変わらない」と気づいた人が増えたからかもしれない。
学校教育で「ノブレス・オブリージュ」を動機づけられていない大卒の官僚や政治家は、考える余裕を自分や自分たちの「高学歴インテリ文化」を幸せにすることにしか使わない。
よのなかの仕組みを考えられるだけの経済的かつ時間的な余裕のない「低学歴ヤンキー文化」の価値に対して、「高学歴インテリ文化」は関心を払ってこなかったのだ。
だから、高校や大学の中退者が増えると、「中退」そのものを課題として認知したり、低学力層に少年犯罪が多いという統計を「課題」として認知しては、大学進学率を上げるという「解決」に落とし込もうとする。
だが、学歴不問で東大卒の平均年収を越える方法や事例を教えるという発想には至らない。
自分がどれだけ狭い世界で生きてきたのかを、高学歴インテリ文化の人は自覚できていないのだ。
偏差値70以上というマイノリティには、社会で一番大きな社会的責任を期待されているということが、わかっていないのだ。
自分とは生きてきた文化とは異なる国民を幸せにできない官僚や政治家、学校教師は、端的に低能である。
異文化を分断するひとりよがりな「みんな同じ」信仰は、学歴だけでなく、LGBTや難民、障がい者やホームレスなど、さまざまなマイノリティ属性について、自分を幸せにするのと同じ速度で幸せにはしない。
ふと、思う。
日本の保守政治は得票になる高齢者層に金をばらまいているが、高齢者が本当にほしいのは金だろうか?
僕は、年金生活によって労働から解放された母が本当にほしいのは、実は若者と同じように自尊心なんじゃないかと思っている。
そして、高卒ヤンキーから左官で成り上がった挟土秀平さんが題字を作った大河ドラマ『真田丸』を黙ったまま一緒に観るのだ。
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