でも、僕が気になっていたのは、国家公務員の月給とボーナス(期末・勤勉手当)を人事院勧告通りに引き上げることを盛り込んだ改正給与法の可決だった。
国家公務員の年収が、平均で5万9千円増えるというものだ。
ちなみに、民間の平均年収は414万円。
日本を元気にする会の松田公太さんは、これに反対していた。
彼のブログには、こう書かれている。
人事院が公務員と民間の給与格差を検討する際、ラスパイレス方式において参考にしている企業は、日本にある全386万社のうち上位約1%にあたる5.5万社でしかありません。
また、日本は世界でも極めて高い1200兆円もの債務を抱えていて、深刻な赤字の状態が続いています。
にもかかわらず、実際に調査される企業においては、経営状態が全く考慮されておりません。
もし、民間企業との比較をするのならば、大借金を抱えていて、大赤字の会社と比較するべきです。
大借金・大赤字の会社で、給与やボーナスを上げているところなど、聞いたことがありません。
至極まっとうな意見だと思う。
僕は、国家公務員給与は、国民の前年度の平均所得以下で十分だと考える。
本当に国民のために十分以上の仕事をデキた優秀な人材なら、公務員時代よりはるかに大きな額面で民間企業にスカウトされるのだから、そういう仕事が公務員時代にできないなら、民間と同等以下で十分なのだ。
本当に国民のために十分以上の仕事をデキた優秀な人材なら、公務員時代よりはるかに大きな額面で民間企業にスカウトされるのだから、そういう仕事が公務員時代にできないなら、民間と同等以下で十分なのだ。
行政・司法・立法が教科書で教わったとおり、正三角形のような三権分立のパワーバランスなら、議会に対して政治家の給与を民間の平均年収と同等以下にする働きかけを、官僚が徹底するなら、国家公務員の給与引き上げにも理解を示したいところだが、現実は違う。
国家財政がとんでもない「借金大国」状態にあるのに、一般国民より高い給与額面を設定することを、恥ずかしいと思わないのだろうか?
これでは、赤字会社で「給与泥棒」に居直る社員と同じだ。
国家も財政的に厳しいが、自治体はもっと厳しい。
だから、政治家が手本を示す例もある。
そして、同年4月以降の月給を96万円から67万2000円にし、退任時の月給を「1円」と定めた。
退任時の月給と在任期間を元に退職金を支払うため、退職金はたったの20円だ。
特例条例がなければ、退職金は1935万3600円だった。
約2000万円の税金が浮けば、この金で空き物件を利用して小さなライブハウスなどの文化施設の立ち上げ資金として市民団体に助成することもできるだろうし、この素晴らしい前例を作ったことで後続の市長にも「市長自ら手本を見せろ」と市民が迫ることもできる。
どんな市政にも一長一短はあるだろうが、莫大な退職金を浮かせたこと点は評価されていいはずのことだ。
この特例条例は1月21日に失効したが、22日に新たに就任した君島寛・新市長は、給料や退職金のカットについては「十分話し合って検討したい」と述べた。
辞職の際には2000万円ほど市に返納し、その金で次世代の育成基金にしてほしいところだ。
そうすれば、若い世代が選挙に関心を持つようにもなるだろうし、市民が誇れる市長の仕事ぶりを全国にアピールすることもできる。
●市民の暮らしレベルと役人の仕事・給与をひもづけろ!
公務を担っているのが、公務員だ。
彼らの給与は、主に税金から支出されている。
足りない分は、国民から借金してまで払っている。
その借金を減らす画期的な仕組み作りや政治決断ができない議員を議会に送り出しているのは、僕ら市民・国民だ。
だから、僕ら一般人にも責任はある。
というか、国民主権が憲法に明記されている民主国家ニッポンで生きる以上、責任主体は僕ら自身になる。
責任を引き受けるのが僕らなんだから、僕ら自身の甘えは当然、自戒する必要がある。
そのうえで、官僚が自分たちの給与を上げようとする動きに対しても、それを可決に持ち込もうとする議会の動きに対しても、「ふざけんな、バカヤロウ!」ともっと怒っていいはずだ。
公務を担っている以上、民間の給与以上の額面がもらえない仕組みにしない限り、公務員は自分の仕事の社会的責任の重さを十分に理解することはできないだろう。
「自分の毎日の働きの成果として給与がある」という当たり前の感覚を持てないまま、「自分が誰のために働いているか」がわからないままでは、税金や借金で自分が飯を食っていることにも鈍感なままだ。
そこで、民間人が貧乏になれば、公務員も貧乏になり、民間人の収入を上げられる行政サービスを打ち出せたら公務員の給与も上げられる仕組みにすれば、公務員は必死になって民間事業の厳しさに向かい合うことができるだろうし、それができる自信のない人は公務員にならないだろう。
自分の仕事が民間人と直接にひもづけられて初めて、公務員は社会的責任を動機づけられるはずなのに、その仕組みを強く要求しないのは、民間人である僕らが民間事業として公的な仕事をするという社会的責任に目覚めていないせいかもしれない。
実際、自分が当事者にならないかぎり、当事者の苦しみを理解することは難しい。
たとえば、福祉課の役人が生活保護の受給を求める市民に対して認めるか・認めないかという「窓口問題」がしばしば議論になる。
そこで、生活保護を受給した市民が年に1人以上、自殺した場合、担当課長は1年以上、生活保護を受給するひとり暮らしを研修として義務づけられるような施策を試みれば、ただ福祉予算の範囲で受給を認めるかどうかではなく、当事者にとって必要な自立支援や自殺対策などを「自分事」として考えた上で受給の条件を再設定できるかもしれない。
法律をそのまま運用すると、不具合が出てくることは、行政の仕事現場ではしばしば経験しているだろうから、税金で飯を食わせてもらっている以上、市民と同じ苦しみを負うことで、議会や首長に対して本当に生きやすくなるために法改正や撤廃などにつなげていけるだろう。
当事者性の共有なしに役人の立場を弁明されても、困るのは市民の方だ。
「誰に食わせてもらってるんだ?」は、親が子を、夫が専業主婦の妻を恫喝する際に使われるイヤなセリフだが、市民はむしろ役人や政治家に納税者としてはっきりそう告げる必要がある。
今週は、教科書会社12社が国の検定中の教科書を教員ら5000人以上に見せ、うち10社は4000人に謝礼も渡していた問題で、文部科学省が調査に乗り出すという問題も報じられた。
しかし、カネを出されても、受け取らないのが、公務員ではなかったか?
民間の出版社だけが糾弾され、カネを受け取った公務員たちがおとがめなしでは、まるで北朝鮮のような「役人天国」ではないか。
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