そこで、「これは面白い!」と思わず素直にほめたくなるグッド・ニュースを紹介したい。
クリームパンが2015年1月、ある言葉を焼き印しただけで短期間にバカ売れした。
なぜか?
全国大学生協協同組合連合会の公式サイトによると、真相はこうだ。
首都圏を中心とした大学生協の購買店で1月13日~23日の2週間、後期試験の最中に「単位」の焼き印が大きく押された円形の平らなパンを販売したところ、「単位を売ってほしい」という学生にウケて連日売り切れが続き、62の大学生協、129店舗で3万個を完売したのだ。
この洒落っ気を理解して購入した学生も素晴らしいが、学生ならわかってくれるはずだと、わざわざ「単位」の焼き印を新たに作って手押ししたメーカーもステキだ!
昨今の不景気によって、設備投資も満足にできない業界は少なくない。
しかし、商売は「誰にどんな価値を売るか」を考えてするものだ。
この原点に立ち返れば、切実に「単位がほしい」と望む学生たちのキモチに少しでも応えようとした生協の姿勢に共感が集まり、購買につながったことは、商いの理に適っている。
「お金がないなら知恵をひねり出せ」とばかりに、ネーミング一つで既存の商品の売上を一時的にでも増やした成功事例は、これまでも少なからずあった。
紳士用靴下の「フレッシュライフ」は「通勤快足」と名称変更してから売れ出し、「缶煎茶」は「お~いお茶」に変えてから世界的に有名になった。
今でこそ「ググる」という新語も定着した検索エンジンのGoogleだって、昔は「バックラグ」だった。
Backrubは「背中をマッサージ」だから、新語が生まれるほど親しまれることはなかっただろう。
つい最近も、ネーミングで既存の商品の売上アップを試みる例は後を絶たない。
100年以上も伝統的な製法を引き継いできた新潟のローカルお菓子「ゆか里」は、近年売り上げが減少傾向だったが、「浮き星」としてリニューアルされたそうだ。
そのままでも美味しく食べられるが、おすすめの食べ方はお湯に浮かべること。
そういう面白さをふまえると、「浮き星」という改名も、なるほど、うなづける。
●一般の商品と、「本」という商品の決定的な違い
元コピーライターで、今はフリーライター・編集者をしてる僕は、言葉の魔力を信じてる。
しかし、「誰にどんな価値を売るのか」という商売の原点を忘れていては、たとえ改名でも売れたとしても、プロとしては面白くない。
やはり、前述の「単位パン」のように、切実に「~がほしい」と望む顧客のキモチに少しでも寄り添えるネーミングを発想してほしいものだ。
内定がほしい就活生にはベタに「内定」という言葉をつけたフードは有効かもしれないし、受験シーズンの今頃だと、キットカットというチョコが「きっと勝つ」という商品名の響きがゲンを担げるということで販促に力を入れられている。
もっとも、2月にバレンタインがあるからといって、「LOVE」や「愛」は、その表現が集中するタイミングではインフレを起こし、食傷気味になるため、クリエイティビティが要求されるところだ。
そこでどんな表現が受けるかを考える際、「顧客のキモチに少しでも寄り添う」構えを忘れずにいたい。
そもそも、「単位パン」が売れたのは、いつも足を運ぶ生協の店で、いつものパンに「単位」と刻印されていたことに驚きと面白さがあったから、売り切れが出るほど共感されたのだと思う。
1月の学生が切実に欲しかったものが「単位」だったから、「単位パン」が売れたのだ。
学生にとって切実な関心事は、単位取得・就職内定などの他にもあるだろうが、単位と内定は鉄板のニーズといえる。
しかし、学生という均質な属性ではなく、一般の消費者向けに商品を売る場合、まだ可視化されていないニーズを掘り起こす必要もある。
だから、商売人は常にそのニーズがどこにあるかを知ろうとし、市場調査をしてみたり、 自分自身が不満に感じてることを洗い出したりしては、商品化されてないものは何かを考え続けるのだ。
その点は、本を作るビジネスにも共通する。
新しい本を出版する際に、新刊企画の内容に近い類書がどれだけ売れているかを出版社の営業マンは気にするし、編集者は同じ分野でも新しい切り口を求めて市場開拓できる余地を探る。
僕は編集と執筆の両方を経験しているので、著者として新刊企画を出版社にプレゼンする際も、初版部数がちゃんとはけるだけの説得力のある企画書を書くし、それゆえに毎年、新しい自著を3ページほどの企画書をプレゼンするだけで世に送り出してきた。
ただし、僕は「バカ売れ」を狙っていない。
バカ売れを狙うなら、今の時代の顧客が切実にほしいものを提供すればいい。
しかし、僕は少しだけ先の時代に顧客が必要になる知恵を本に込めたい著者なのだ。
それは、本を「未来へのラブレター」だと思っているから。
今の顧客のニーズにベタに応えようとすれば、すぐ時代遅れになってしまう。
その時は売れても、数年後には誰も手に取らない本など、ざらにある。
しかし、数十年後、図書館で僕の本を手にした高校生は、驚くはずだ。
「この人、こんなに早くこのことを書いてたのか!」と。
その頃にはもう、僕はこの世にいないかもしれない。
それでいいんだ。
子どもの頃から僕が読んできた本の著者の多くは、とうの昔に死んでいる人ばかりだった。
「墓 は建ててほしくない。私の墓は、私の言葉であれば十分」と寺山修司は書いたが、本という商品を作ること自体は本来、墓標を作るような仕事だ。
本は、目先の利益を追うだけでは見えない価値を歴史に刻むために作られる。
そこが、「単位パン」のように食っては消える一般の商品とは異なる商品特性なのだ。
それゆえににわかには報われにくい仕事なのだが、それでも自分の本を出してみたいと覚悟するなら、僕はいつでも相談に乗ろう。
それこそ、誰にどんな価値を提供したいのかが明確なら、タイトル一つを工夫しただけで売れてしまう本もあるからさ。
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