大分県別府市の市長・長野恭紘(40歳)さんは1月22日、平成28年度に担当ケースワーカーを増員してまで、生活保護法に基づく受給者への調査や指導を強化する方針を明らかにした。
対象は、市内のパチンコ店や市営競輪場などを訪れている受給者。
生活保護法は受給者の義務として、「生計の状況を適切に把握し、支出の節約を図り、生活の維持および向上に努める」ことを明記している。
別府市は、この条文を根拠として、生活保護申請者に「遊技場(パチンコ、競輪場など)に立ち入る行為は、浪費を助長するため、慎む」などとする誓約書の提出を求めている。
この報道を1月23日付けの産経新聞の記事で見て、「この市長は生活保護を受給者の立場では見ていない」と僕は思った。
長野市長の公式サイトには、「市民に寄り添い、理想を語るだけでなく行動で示し、次の世代へすてきな別府をわたしたい」なんて書かれてるけど、生活保護の受給者も市民ですよ。
ここでは、長野さんの市政における2点のおかしさを指摘しておきたい。
① 行政の責任より先に受給者の責任を問うのはおかしい
② パチンコを辞めさせようとすれば、さらにパチンコに依存するリスクを高めかねない
①についてだが、生活保護法の第1条には以下のように書かれている。
この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮する全ての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
「最低限度の生活を保障する」ために、公金を受給する権利を与える。
しかし、それだけではなく、「自立を助長する」のが目的なのだ。
助長するのは誰?
役人じゃん。
受給者のムダ遣いは話題になりやすいが、自立を助長するために行政がすべきことが話題になることは少ない。
理念だけで言えば、受給額の範囲で何に金を使おうが、それは人それぞれだ。
それを「あれはダメ」「これはいい」と行政が判断すること自体にためらいがないとしたら、それは議会を越えた法の運用になりかねない。
パチンコを禁止するか・しないかという議論より、「役人はどこまで受給者の求める自立に対して助長(支援)できているか」の方が、市民にとってははるかに重要なことなのだ。
自分がいざ受給しなければならない状況になった時、早めに受給されなくても生きていけるだけの確かな支援の仕組みがあるなら誰にとっても安心だが、受給したら使い道をあれこれ監督されたり、受給の条件を厳しくされてしまっては、困るのは市民だからだ。
これから中流資産層以下の低所得層が老化で働けなくなって「下流老人」が続々と出てくるのだから、行政からの自立支援策がますます緊急度を増すのは明らかだ。
そこで、「あなたはパチンコに金を使っていないか?」をチェックするために役人を増やすなんて、生活保護法の理念を理解してないのと同じだろう。
役人を増やすなら、むしろ生活保護の暮らしから一刻も早く抜け出せる仕組みを作り出すのが、本筋のはずだ。
大阪府豊中市では、生活保護を受けている人たちが気軽に集まれる場所を設けている。
血圧や体重などを測り、健康管理も行うことで、家に引きこもらずに日常生活から見直し、就職の第一歩にしている。
この「中間的就労」と呼ばれる支援の仕組みでは、まず定期的に外出する機会を作って日常生活を立て直すことから始め、次に地域のボランティア活動などを通じて社会参加を促す。
その後で市の施設などで職場体験を行い、働くことの喜びを感じてもらい、就職を目指す。
もっとも、生活保護の暮らしに追い詰められる背景には、「地元に自分が働ける就職口がない」という自治体もたくさんある。
だから、自立支援の本筋は、受給者それぞれが無理なく働ける職場・仕事・職種を作り出すことにある。
しかし、役人は民業についてほとんど知らない。
そうなると、真っ先に取り組むべきは、ホームレスや障がい者などの就労・工賃アップに成果をあげている社会起業家に業務委託することではないか?
担当の役人と資金を社会起業家に提供し、生活保護の暮らしからなるだけ早めに抜け出せる仕組みと支援のあり方を役人に徹底的に学ばせ、経験とスキルを得た役人が新しい制度設計のプランを策定して市長に提案し、議会に提出すればいい。
ソーシャルビジネスについて知らない不勉強な市長なら、「生活保護の受給者を段階的に雇う事業者には一定期間、雇った分だけの人件費を提供する」という条例を決めてもいいかもしれない。
パチンコの話をするのは、そのように「雇用の受け皿」を十分に作った後でいいはずだ。
まずは、行政が社会的責任を果たしてから、市民に責任を求めるのが筋だろう。
長野市長は、「貧困などで苦しんでいる方々に対しての生活支援などを、縦割りではなく、全庁的に考えていくためのプロジェクトチーム設立も検討しています」と言う。
それなら、そのチームに成果が出てからパチンコの話をしてほしいものだ。
産経新聞は、こう報じている。
調査強化の背景にあるのは別府市の生活保護受給率の高さだ。
人口約12万人に対し、生活保護受給者は約4000人。
市民1000人あたり約32人で、県平均(約17人)の2倍近く。
つまり、パチンコの自粛を求める動きには、受給者の事情より歳出抑制を優先したいという思惑があるのだ。
「市民に寄り添いたい」なんて言葉は、選挙の時だけのキレイゴトだってこと。
聞いて呆れるね。
●依存症を理解できない人は問題をこじらせ、苦しみを増やす
長野市長は、調査強化の理由について、産経新聞の取材に応える形でこう言っている。
「ギャンブルは、最低限度の文化的生活を送るために必要でしょうか。
生活にまったく楽しみがないのはおかしいと思いますが、酒とか煙草とかおいしい食事とは違う。
ギャンブルはお金を失うことがほとんどです。
とはいえ、生活保護が本当に必要な方が、周囲から攻撃されることは、あってはなりません。
そのためにも、不正などには厳しい措置も辞さないという姿勢を、行政がぶれずに貫くということが大事だと考えています。
生活保護は、トランポリンのように従来の生活に戻れるような仕組みにしたいのです」
長野市長は、受給者に会ったことも付き合ったこともないのだろう。
「トランポリン」という比喩表現を平気で用いる感性に驚いてしまう。
精神病やケガ、長い期間の孤独や貧困などの深刻な事情を持つ人が生活保護を受給するのに、「トランポリン」のように暮らしが上がったり下がったりが自在にできるか?
しかし、それよりはるかに問題なのは、依存症への理解がない点だ。
ギャンブルや酒などにはまり、ムダ遣いとわかっていても、消費を続けてしまうことが自力ではやめられない人は少なくない。
それは、「依存症」という立派な病気なのだ。
しかも、この依存症を理解してない人は、良かれと思って当事者の依存症を長引かせたリ、問題をこじらせてしまいかねない。
たとえば、アルコール依存症をこじらす人の周囲には、たいてい当事者から酒を取り上げたり、隠したり、酒量をコントロールしたがる人がそばにいる。
そうした世話好きの人を「イネイブラー」という。
イネイブラーは、「私がこんなに良かれと思ってがんばってるんだからいつかこの人は酒をやめてくれる」と信じようとし、常に酒びたりの当事者の行動を支配しようとする。
そして、当事者が酒で失敗すると、「ほら、私がいなかったら困るでしょ」と主張し、自分に依存させ、自分がいないと当事者が困る関係を強いるのだ。
この両者にある関係を、「共依存」という。
自立とは180度、努力の方角が違う。
福祉担当のケースワーカーを増員させ、生活保護の受給者がパチンコを辞めさせようとすれば、受給者は当然ながらケースワーカーに隠れてパチンコをやるようになるだろうし、それが発覚したらケースワーカーは受給者の所持金を見て「ほら、私がいなかったら困るでしょ」と迫るだろう。
その怒った顔を見て、受給者はすまなそうな気分にさせられ、さらに巧妙な方法を考えぬいてはパチンコにはまっていく。
つまり、パチンコをしているかどうかなんてことにうるさくなればなるほど、受給者がさらにパチンコに依存するリスクを高めかねないのだ。
それでも、ケースワーカーは「私は公的な仕事としてやってるんです」と役所のお墨付きのついてる自分の仕事に居直るだろう。
ケースワーカーによるチェックから逃れることに疲れ果てた受給者は、パチンコを辞めるかもしれないが、競馬などのべつのギャンブルに走って散財しやすくなるかもしれないし、人によっては覚せい剤などの違法麻薬にはまって逮捕されたり、向精神薬のオーバードーズの依存症になって自殺してしまうかもしれない。
依存対象が、さらに危険なものへスライドしていくことは、依存症の人にはよくあることだ。
それでも福祉職や市長は責任を取らず、「自分の職務を全うしただけだ」と居直るのだろう。
長野市長は、生活保護の受給者になった地元の市民たちとゆっくり話す機会を作り、自分の考えがいかに浅はかなものかを思い知るといい。
そうすれば、市長の自分自身がイネイブリングをしている本人であることも自覚できるだろう。
市政は税金で運営されているのだから、市民の苦しみをさらに大きくすることに使われたら、たまらない。
市政は税金で運営されているのだから、市民の苦しみをさらに大きくすることに使われたら、たまらない。
【関連ブログ記事】
共感していただけましたら、下にある小さな「ツィート」や「いいね!」をポチッと…