とにかく、いろいろな意味で面白い友人たちが多彩にいる。
僕が「面白い」と感じるレンジは広いし、成長すればするほどそのレンジは拡大していくので、友人が増えてしまい、1人あたりの関係濃度が薄まってしまうジレンマを抱えてしまうほどだ。
今回の記事では、直接の友人だけでなく、「東大」という属性について考えてみたい。
もちろん、これは個人的な印象なので、東大生の実像とか平均などではないことをあらかじめ断っておこう。
幼なじみがラ・サールから東大を受けて失敗し、早稲田に入ったので、浪人してた僕は1年遅れでその幼なじみと再会することになった。
1985年の頃の話だ。
彼から紹介された東大生は、新宿ゴールデン街の「深夜プラスワン」という店に入り浸っていた。
その東大生は卒業後に労働省(現・厚労省)で働き、その後フリーライターを始めたと思ったら、ハードボイルド小説でデビューし、今では賞までとってしまう有名な作家になってしまった。
西村健、その人である。
彼とはフルコンタクト空手の話で盛り上がり、極真空手の大山倍達さんが死去された際は、一緒に池袋の本部道場前で酒を飲んだ。
西村はただのインテリではなく、九州の泥臭さを背負った味のある男だった。
僕にとっては、上京して初めて会う「東大生」だった。
しかし、学生の頃から作家志望だった彼は、「東大属性」の中ではかなり異質な方だ。
その後、東大卒の官僚や起業家には何人も会ってきたけれど、西村ほど味のある男はいなかった。
ライターなら、いる。
1990年代前半に出会った社会学者の宮台真司さんは、正確無比な論理構築で冷たい人のように勘違いしてる人もいるかもしれないが、実はとても人間くさく興味深い人物だ。
海のものとも山のものともわからない僕から依頼されても、これまで書籍での対談やトークライブ出演などに気軽に応じていただいた。
小室直樹仕込みのわかりやすい論理説明も、どれだけ宮台さんが社会的に有益な存在かを示している。
2007年には、東大の駒場(教養学部)で学生自治会の承認による自主ゼミの講師を仰せつかって、約1年間、ほぼ毎週、東大に通った。
ソーシャルビジネスを教えるゼミで、東大生でなくても誰でも受講できるようにしたので、女子高生から60代まで受講していた。
そのように社会人もいるさまざまな属性の受講生たちが集まる中で、とんでもない発言を平気でする東大生がいて、苦笑することがしばしばあった。
「東大に入れなかった人はコンプレクスをもっているんじゃないですか?」と言った学生には思わず絶句してしまい、「よのなかには大学に入りたくもない人もいるんだよ」と丁寧に説明するのさえ忘れる始末だった。
「僕は経産省に入るつもりなので…」と言った学生には、「入ってから言えよ」と言葉を遮った。
この学生は、千葉大卒で起業したゲスト講師が社員を雇っていると聞き、「10年後にその会社はあるんですか?」と半ばからかう口調で尋ねたのだ。
ゲスト講師は「月給300万円以上」を何年も続け、年収は3000万円を超え、資産は1億円近くあり、今後もビジネスを続けていくと説明していた。
しかも、高級車やハコモノを買うような属性でないことはひと目でわかる身なりをしていたし、10年後には何億円も資産を形成しているだろうから、会社を必要としなくなり、今いる社員に仕事を任せる可能性の方が高い。
それにピンとこないまま、国家公務員になれそうな自分の立ち位置だけで、不安定を安定に変える起業の苦労に関心を持たないなんて、想像力や世間知がなさすぎる。
「もしかして、東大生って教科書に書かれたこと以外、本当に知らないんじゃないか?」と疑ってしまったが、その疑惑を深めてしまう出来事がその後、本郷でもあったのだ。
●先輩が作った社会的課題を誰が解決するの? お前でしょ!
2013年、僕は東大の本郷キャンパスに招かれた。
夏休みに現役の東大生が渡米し、L.Aでソーシャルデザイン関連の映像制作をするそうで、ソーシャルデザインに関する基礎知識を教えるオリエンテーションで学生向けに講義してほしいと依頼されたのだ。
どこで講義しても僕は「中学生でもわかる」レベルの話をするし、専門用語は一切使わない。
しかし、社会的課題とは何か、どんな社会的課題がよのなかにあって、それを解決するためにどんな仕組みが作り出されているかという事例をひと通り話し終えた後、ピンときていたのは、トランスジェンダーと思われる一人の学生だけだった。
他の東大生は、まるで火星にでも舞い降りたようにポカンとした顔をしていた。
スカイプで教室とやりとりをしていたL.A在住の東大教授OBのおじさんたちも、「よくわからなかった」と言った。
よのなかに、社会の仕組みが悪いために切実に苦しんでいる人たちがいるというリアリティそのものが、彼らには不思議に感じられたようだった。
しかも、よその大学で講義したなら、ワクワクした顔で勢い良く手を挙げて質問する学生も珍しくないのに、そんな人すらいない。
仕方ないので、理解を深めるために、こっちから話題を振ってみた。
「たとえば、日本にも東京駅や渋谷の宮下公園などにはホームレスの方々がいますよね?」
「……」
自分が何かの社会的課題に切実に苦しんだ経験があるか、あるいは苦しんだ友人がいるなら、僕の話にピンとくるはずだ。
トランスジェンダーの学生には、差別などの思い当たるフシがあったのかもしれない。
しかし、他の方々には、にわかにはピンとこなかったのだろう。
幸せそうで、何よりだ。
受験戦争の頂点に立った東大生は、自分たちが社会の中でどういう立ち位置なのか、ご存知でないらしい。
そもそも東大は官僚を養成するために作られ、やがて日本社会をリードする人材を養成することが期待された。
だから、血税から東大に与えられた運営費交付金は年間800億円を超えて、全国の国立大学の中でダントツ1位だ。
800億円と聞いて、あまりに莫大すぎてピンとこないかもしれない。
何と比べればいいかも、にわかには設定できないほどだ。
もっとも、日本一学力が高い学生と教授がいるなら、4年に1度くらいは国から金を受け取らず、東大関係の人材だけで800億円くらい自前で調達してほしいものだ。
OBも優秀なら、「そんなこと朝飯前!」くらいの気持ちでやってくれよと思う。
韓国の大学在学中からアフリカビジネスを始め、卒業後はフリーターになったものの、4年でグループ年商300億円にまで育て上げた1981年生まれの石川直貴さんという若者もいるぐらいだから、頭の良い東大のみなさんなら800億円くらいサクッと稼げるはずだ。
(※『プータロー、アフリカで300億円、稼ぐ!』マガジンハウスより)
それはもちろん、皮肉だ。
東大属性の人間が現状のままどれだけ「知」を集めたところで、プータローにすら勝てるわけないんだから。
はっきり言えるのは、東大生が自分の幸せだけを求めて学んだり、卒業後も自分の幸せだけを求めて働くとしたら、それはただの「税金泥棒」にすぎないってことだ。
パパやママに「東大に入って良い稼ぎになれよ」と励まされ、それに何の疑問も覚えずにうなづく良い子ちゃんをやってきたとしたら、もう「国賊」へ一直線だ。
じゃあ、東大生は何のために学び、何のために働くの?
社会のためだよ。
日本で一番税金を使う学生と教職員は、日本で一番重い社会的責任を背負ったことになる。
しかし、そもそも「社会」が何なのかを理解できないのなら致命的なので、説明しておこう。
日本の社会には、東大生のように親が金持ちでわが子への教育投資を十分にできる国民だけが生きてるわけじゃない。
2人に1人は高卒どまりで、進路指導もずさんのために、低所得を強いられている。
そういう親の下で育った子が思春期に、ただ学力がつかないだけで「幸せになれる仕組み」に乗れない恨みによって暴れたり、心を病んでしまう現実は、東大を頂点とする高学歴層が自分にだけ都合よく作った社会の仕組みのせいともいえる。
「バカとブスほど東大へ行け!」なんてマンガも、東大に入れない事情を持つ多くの人にとっては、とんでもなく差別的な価値観を温存するにすぎなかった。
全国に高校生は322万人もいて、東大に入れるのは3144人。
高校生の中のたった0.09%の人間しか、東大に入れない。
東大を受験できるのは、高校生だけでないし、日本人だけでもなく、浪人生もいるが、そのへんの誤差を無視しても、限りなくわずかなエリートの存在であることは間違いない。
頂点にいる「エリート」が社会の広さを知ろうともせず、低所得層や貧困層を救える仕組みを作り出す責任を果たさず、その優秀さを社会的弱者の救済に惜しみなく使うことがないのなら、せめて莫大な税金で大学を運営するのはやめてくれ。
東大の「知」で作られる社会の仕組みに左右されるほど、国民の命は安くない。
社会をリードし、社会の仕組みを作る側に回るなら、先代が残した社会的課題を解決できる新しい仕組みを作り出し、一刻も早く苦しんでいる国民を救ってくれ。
東大属性の人間がノブレス・オブリージュを果たさずに、誰が苦しんでる民を救うんだよ?
東大の学生と教職員が真っ先にやるべきことは、苦しんでいる国民と深くつきあうことだ。
そういう当事者と向かい合う経験もなしに専門家まかせにする悪習慣を改めない限り、「知」はいつまでも更新されないまま、国際的な大学ランキングから凋落していくだけだろう。
日本で一番社会的責任が重い場所へ飛び込んだのだから、落とし前はきっちりつけてくれ。
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