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■読んだはずのニュース記事が説明もなく消えている

 編集権というものを、ご存知だろうか?
 編集権とは、新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・インターネットなどで記事や番組(以下、コンテンツ)を発信する際、そのコンテンツの内容を自由に決定する権利のこと。
 編集方針を決定し、それを実施して一切の管理を行える権限のことだ。
 この権利を誰が持っているかについては、これまでもしばしば議論の対象になっていた。

 コンテンツを発信する企業自体にあらかじめ保証された権利なら、編集権は経営者にのみ帰属することになり、社内の一部で実際にコンテンツを制作している編集部は経営者から編集権を委託されたものになる。
 あるいは、編集権を編集部自身が専有できる権利と考えるなら、その編集部を抱える会社の経営者はコンテンツの内容を左右するような権限を持たないことになる。

 編集権の持ち主が経営者なら、主に以下のような問題がおこる恐れがある。
★自社の経営者や広告スポンサー企業の考えにそむくコンテンツは作れない
★自社の経営者や広告スポンサー企業の悪い点やスキャンダルを報道できない
★自社の経営者を一般市民と対等にできないため、コンテンツ内容に自主規制が働く

 こうなれば、報道の公平性が担保されないため、どこかの独裁国家の報道機関のように、経営者にとって都合の悪い情報がシャットアウトされたまま、一般市民は毒にも薬にもならない記事や番組を見させられてしまうわけだ。

 報道は人間のやることだから、当然、何らかの間違いを含んでいる。
 だからこそ、正確な事実に基づかない記事や、誰かを不当に差別するような番組などである場合、訂正記事や謝罪コメントを編集部は発表しなければならない。
 それは、これまでもさんざんやってきたし、そうすることで記事や番組における報道内容に対する社会的信頼を保ってきたのだ。

 以上を平たく言うなら、編集権が経営側に専有されるなら、編集部は自由な報道をすることはできなくなり、読者や視聴者である一般市民は、本当に大事なことさえ知らされないままになるってことだ。
 たとえば、政府にべったりの新聞社の社長が編集現場に「自民党の悪口は極力書くな」と圧力をかければ、その新聞には自民党への批判は載らないことになる。
 もちろん、これは共産党の赤旗も同様だが、経営者が編集長を兼ねている編集部だと、問題はさらにややこしくなる。

 ただ、編集権がメディア企業自体に属する場合、経営者が編集部のコンテンツ制作を尊重して一切の口を出さずに、業務を完全委任するという形をとらない限り、報道の公平性は保てない。
 編集権が編集部だけの専有とし、企業自体には無い場合でも、コンテンツ制作によって経営が悪化したなら、経営者側は経営権を主張して編集部の人事を刷新できる。
 それを考えれば、編集現場に経営者が口を出したい場合は、「経営上の難点がある」という条件のみで良いはずだ。
 それで十分、報道の公平性が担保されるなら、一般市民にとっても真実を知る自由を守れることになる。
 でも、それが非現実的なことは、今日では明らかだ。



 近年、朝日新聞の一連の不祥事(従軍慰安婦の偽装記事や原発報道における「吉田調書」問題など)によって、朝日新聞社は編集と経営の分離を明確化した。
 以下のように発表したのだ。
「経営陣は編集の独立を尊重し、原則として記事や論説の内容に介入することはしません」
「経営に重大な影響をおよぼす事態であると判断して関与する場合には、関与の責任が明確になるよう、ルールをつくります」

 これは、編集権が編集部の専有できる権利であることを明言したものといっていい。
 権利とは、同時に責任のことである。
 事実を誤認した記事や、偏見に基づく番組を作ってしまい、一般市民にとって判断をおかしな方向へ導くコンテンツを垂れ流してしまったり、報道すべき社会悪を関心外にさせる編集方針で仕事をするなら、編集部はその結果責任を引き受けることになる。

 問題が生じた場合、訂正記事では済まないかどうかを判断するのは、経営責任者の側だ。
 経営側は、編集長だけをクビにするか、編集部をまるごと解散させて人員を刷新するか、あるいは媒体ごと消滅させるかを決定しなければならない。
 それを考えるなら、編集権が編集現場に専有されることで報道の平等性を担保する以上、編集者たちが法を遵守し、公共性の高い編集方針を守っていくことが、報道の社会的責任を果たし、経営権による現場介入をはねのける手段になる。

 経営者が納得するような市民ニーズの高い内容でより多くの読者・視聴者を獲得できるだけの高品質なコンテンツを作ると同時に、(権力者も含めて)誰におもねることなく自由に編集するというのが、編集権のまっとうな行使の仕方だってことだ。

 ところで、長々と「編集権」について書いてきたのには、理由がある。
 いまだに多くのメディア企業は、編集権を自社そのものに帰属させ、事実上、経営者から編集現場への介入を容易に許す仕組みのままだからだ。
 そのこと自体がメディア・ビジネスを疲弊させる爆弾を抱えてるのと同じなのに、後発のメディアであるインターネットの情報発信サイトすら、編集権の所有者をあいまいにしている。
 これは、編集部や読者はもちろん、経営権を持つ人間も、フリーランスの記者も含めて、誰も幸せにしない。
 どういうことか?



メディア企業が記者と読者を軽視すれば、経営がやがて傾く

 たとえば、一度発表されたニュース記事が突然、読者に一切の説明もなく、そのニュースサイトから消えたとする。
 実は、「記事が説明もなく突然ニュースサイト上から消える」というおそろしい案件は、すでに増えていることなのだ。

 内規によって決められた公開期間が終了したわけでもないため、一部の読者は「あれ? 消えてる。おかしいな」と気づく。
 さらに、その記事を書いた人が、そのサイトにその後から書くことがなくなったとしたら、ますますそのサイト運営企業に対して不信感を覚えるだろう。

 こうした疑問は、少しずつ少しずつ火山から降る灰のようにネット上のアーカイブとして蓄積されていく。
 すると、遅かれ早かれ、多くの人が気づくようになる。
「あのニュースサイト、実はヤバイんじゃないか?」

 そうなると、他の記事までその信ぴょう性を眉唾に感じる人が出てくるし、それはPVの減少にもつながっていく要因になる。
 PVが減れば、広告収入も目に見えて減っていく。
 広告出稿をニュースサイトから頼まれる企業も、自社のイメージをいかがわしいものと思われたくないからだ。


 では、なぜ「読者に一切の説明もなく、そのニュースサイトから消え」るようなことがおこるのか?
 メディア企業の経営者に、社外のフリーランスの記者に対するリスペクトが足りないからだ。
 編集権を経営側から独立して行使できる社員編集者なら、一度公開した記事を削除したり、訂正する際は、書き手の記者と協議し、削除や訂正の理由を読者に明らかにした上で編集責任を負う。
 それが、編集権の結果責任をとる一つのあり方であり、記者と一緒にコンテンツ制作をしている者として信頼関係を示すことだからだ。

 そういう事例はこれまでも多々あった。
 たとえば、マイナビなら、お詫びのための専用サイトまで設けている。
 しかし、編集権が事実上、経営者にしかないメディア企業の場合、削除や訂正の事情が明らかにされないまま、記事がサイト上から突然に消えるのだ。
 これは、著作権に対する明らかな圧力でもある。
 社員編集者に編集権が無いに等しいのだから、編集者を責めることはできない。
 経営者側のおそろしいまでに貧しい報道倫理に呆れる他にない。

 1本の原稿のために、フリーランスの記者が「削除するな」とメディア企業に訴えかけても、時間と労力のムダである。
 そんなことをするよりも、アホな報道倫理による経営が、やがて一般市民の読者に支持されなくなる日を待つことを選ぶだろう。
 記者は読者に向けて価値ある内容を書いているのであって、アホな経営者をこきおろすことが主眼ではないからだ。

 いずれにせよ、フリーランスの記者に対してリスペクトがなく、安いギャラで仕事をさせ、取材経費も出さず、著作権も平気でふみにじる経営で飯を食ってる連中は、どこにでもいる。
 もっとも、雑誌なら3万円のギャラになる取材・執筆の仕事を、「5000円しか払えない」と居直るメディア企業には、「5000円」に見合う原稿しか提供しないのがプロというものだ。
 当然、「安いのだからマズいよね」という記事がオンラインニュースになるわけだが、そうしたあり方は、編集権が経営者にあるニュースサイトでは問題視されない。

 それゆえに、他のメディアでは問題視される日がいずれ来る。
 記者はいろんな媒体で仕事をしているし、本やブログだって書くからだ。
 フリーランスどうしのつながりの中で、どこのメディア企業がどんな仕事ぶりなのかは、しっかり共有されているから、「悪いウワサ」として速く広く伝播しやすい。

 それに何よりも、読者はバカばかりじゃない。
 「あ、これは何か変なことが起こったのだ」と気づく人もちゃんといるのだ。
 読者をバカにするメディアは、ビジネスの持続可能性を担保できない。
 昔、毎日新聞社が不買運動で一度つぶれたように、広告依存型のニュースサイトなど、企業から嫌われるような案件があれば、途端にキャッシュ・フローが悪くなって、倒産だってありうる。

 どこのメディア企業がその第一号になるかはわからないが、そのリスクは、フリーランスの記者をリスペクトできないでいるうちは、爆発事故を待つ原発のように拡大していくだけだろう。
 そのリスクを回避し、メディア・ビジネスの健全性を早めに回復させたいなら、以下の4点の課題を解決するのが早道だ。

★オンライン記者のギャラを相場の2倍以上にし、経費も潤沢に提供できる仕組みを作る
★削除や訂正をする際は、編集権を持つ担当者の名前を明記した上で「お詫び」を発表する
★削除や訂正の前に、編集権を専有する者と記者が事前に協議し、お詫びの文案を作る
★経営者・広告スポンサー企業・政府権力の圧力を受けない編集権・人事の仕組みを作る

 この課題を早めに解決できるメディア企業だけが、良質なコンテンツ制作を実現していくだろうし、広告収入以外の収益源も豊かに作っていけるだろう。
 読者が本当のことを知りたいと望む限り、取材経費はそれなりに必要になるし、取材にあたる記者にとってギャラと経費が満足に与えられない場合、事実に基づいたコンテンツの価値は高められず、PVの向上も見込めないからだ。

 事実を深掘りできないコンテンツでは、オンライン記事はいつまでもテレビや新聞、雑誌に勝てるほどの高い品質にはなりえない。
 逆に言えば、フリーランス記者と一緒にコンテンツの価値を向上させるつもりなら、より多くの読者を獲得し、コンテンツの品質管理の精度も上がり、画期的なニュースサイトに成長できるだろう。

 まぁ、いっつもアメリカのITベンチャーに発想の点で先を越される日本のIT企業が、どの程度の知恵とコミュニケーション力を持っているかを考えると、お寒い限り。
 広告収益を主軸にして報道の公平性を担保できると考えるのは、あまりにも幼いし、広告に依存しない収益源を作り、増やせないのなら、メディア企業の経営者としては端的に無能ということだ。
 期待できる見込みのない既存のIT企業に対して、僕は何らアクションを取るつもりはない。
 彼らは、年月の経過とともに市場原理で淘汰されていくだけの話だからだ。

 ただし、これからITベンチャーを立ち上げる若い世代にとっては、チャンスを示したつもりだ。
 バカな経営者の先輩を見て、いくらでも勝てる余地があることを学んでほしい。
 アホな現実は、いつだってより若い世代が変えていくのだから。

 編集権について興味をもってくれたら、下記の10分程度の動画も参考にして、考えてみてほしい。



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