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■週刊文春の「元少年Aの顔とプロフ」がもたらすもの

週刊文春より
 2月18日発売の週刊文春を買った。
 「元少年A」に関する250日間の張り込み記事が載るというふれこみだったからだ。
 同記事は、マークした若い男が引っ越しを繰り返したのを経過観察し、近況の全身の写真を掲載したものだ。

 記事で書かれた男の特徴を列記すると、以下のとおり(※2016年1月26日時点)。

□ 身長は165センチ前後
□ 大学生と言われても信じてしまうほど幼い顔つき
□ メガネをかけている
□ 昨年12月から東京都23区内の駐輪場のあるアパートに住んでいる
□ 保証人・手数料・更新料が不要で、築30年以上の古い物件
□ 駅前からは遠く、周囲には緑が生い茂り、人通りは少ない
□ 近隣には複数の公園があり、放課後になると小学生たちが遊んでいる
□ アパートの間取りは2LDKで、家賃は約7万円
□ 窓には外部に光が漏れないよう遮光カーテンが引かれている
□ アパートの1キロ圏内に夜でも明るいショッピングモールや、駐車場付きのスーパーがある
□ 前方だけでなく、後輪の上部にもカゴのあるママチャリに乗ってる

 彼が33歳になった「酒鬼薔薇聖斗」なのか、それとも太田出版から手記を出版した「元少年A」なのか、あるいは最近「元少年A」を名乗りながら有料メルマガで儲けようとした人物なのかについては、記事では何ら証拠を出していない。
 記事には、こうある。

本誌は彼がAだということは複数の情報源によって入念に裏付けを取っている。
長期間にわたる取材の過程で多数のAの写真を撮影しており、いずれも本人でることを確認していた。
(週刊文春2016年2月18日発売号より)

 週刊文春はどんな情報源から本人確認をしたのかについては、明らかにしていないのだ。
 現時点では明らかにできない事情が文春にはあるのだろうが、文春が「酒鬼薔薇聖斗」=「元少年A」=「有料メルマガで儲けようとした人物」と見ていることは、わかった。

 いずれにせよ、上記のような詳細な属性と特徴的な頬骨が印象的な写真の報道によって、この男を特定することがカンタンになった。
 これだけの情報があれば、警察・探偵・報道関係者でなくても、「あれ、どこかで見たな」とピンとくる人が少なくないからだ。

 20146月に警察庁生活安全局生活安全課が公表した統計によると、警察に「行方不明者届」が出された行方不明者は、2013年には81193人もいた。
 その中で所在が確認された行方不明者は、79269人。
 行方不明者の周辺にいる市民からの通報や聞き込みによって、ほぼ98%が見つかってしまうのだ。


 週刊文春に全身の写真を公開された男は、もう写真に掲載された衣類では外に出られないだろうし、特徴的なカバンも使えなくなるだろうし、電車やバスで周囲からスマホを覗かれるかもしれない。
 よのなかには、雑誌の情報を元に人を探す仕事をしている人たちが少なからずいるし、街のいたるところに設置された監視カメラの録画内容をチェックする市民も多い。
 マンガ喫茶や、ウィークリーマンション、ホテル、駅やスーパーなどにすら監視カメラがある以上、「知らぬは本人だけ」という状況になったわけだ。

 もし、この男が「元少年A」だったら、印税収入を目当てに恐喝する輩も出てくるかもしれない。
 ただでさえ法律の締め付けで経済的に困窮しつつあるヤクザなら、この男をつかまえて若い衆の小遣い作りにしたがる人が出てきてもおかしくない。
 誰もが「元少年A」を探し出せるネタが揃った現在、包囲網のような状況が「男」を刺激することは、新たな惨劇の始まりを予感させる。
 どういうことか?



●命を奪った人の生きる価値は命を救う仕事でしか生まれない

 週刊文春は、全国で発売されている。
 掲載された顔写真は、すでにネット上に出回っている。
 日本のどこにいても、「男」がそばにいないかと不安になり、電車でもバスでも飛行機でも周囲に同じ顔の男がいるのではと勘ぐる人が出てくる。

 「あいつっぽい」と思った男を尾行したり、スマホで隠し撮りする人も出てくるだろうし、今後は週刊文春のライバルである週刊新潮が目を隠さないままの写真や現在の実名を公表するかもしれない。
 それは、視聴率が落ちているテレビや売り上げダウンの新聞も同じだ。
 男が匿名でいる限り、いつまでもメディアは追ってくる。

 もし、週刊文春に載った写真の男が「酒鬼薔薇聖斗」であり、記事に書かれていることがすべて事実だとしたら、この男が暮らしていける場所は日本に無い。
 だから、「酒鬼薔薇聖斗」が医療少年院を退院した直後から、顔と名前を公表し、人殺しという罪に見合うだけの償いをしなければ、生きづらいだけであることを何度もくり返し本やネット上に書いてきた。


 誰かを殺した人間を許す社会は、この世界にはない。
 法律がどうあれ、自分にとって大事な人間を殺されて許す人間などいないからだ。
 しかし、誰にも大事にされないまま生きてきた人間は、いつの時代も存在する。
 そういう人間が罪を犯した場合、更生させるのは難しい。
 罪を犯した人間を世間から守りきり、大事に育て直すには、世間を敵に回す覚悟がなければできないからだ。

 医療少年院時代に「酒鬼薔薇聖斗」と関わった大人たちや同世代の少年たちは、世間を敵に回しながらも、「酒鬼薔薇聖斗」と接してきた。
 退院後も、世間を敵に回す覚悟をしながら、「酒鬼薔薇聖斗」とつき合ってきた人たちもいる。
 しかし、「元少年A」が「酒鬼薔薇聖斗」であるならば、彼は彼の周囲の人たちが自分に向ける愛情や覚悟を理解することができなかったのだ。

 周囲の人たちの精一杯の愛情が「酒鬼薔薇聖斗」を満たせないほど、「酒鬼薔薇聖斗」が求める愛が大きすぎたのかもしれない。
 あるいは、どれだけ愛情を示しても、「酒鬼薔薇聖斗」にはそれをあたたかいものとして感じ取れる感性がそもそも無いのかもしれない。
 だから、遺族を傷つけても、自分の生活のために印税収入を欲しがってしまったのだろう。


 しかし、事実がどうあれ、人を殺した人間がその後の人生を生きていく意味は、誰かの命を救うこと以外にありえない。
 自分の命を差し出しても、誰かの命を救うこと。
 それが、命を奪った人間がこの世に生を許されるために逃れることができない仕事だ。
 誰かを殺してしまった以上、生きたくても生きられない事情をもった人々の命を少しでも輝かせることにしか、生きてゆく価値は無い。

 人を殺してしまった人間が、世間から憎まれ、表通りを歩けず、生きづらいのは当たり前だ。
 どんな事情で殺人を犯そうと、それは変わらない。
 したくもない戦争に参加し、自分が生き延びるために敵国の市民を銃殺した人も、愛されるぬくもりをまるで知らないまま社会を呪って無差別殺傷事件を起こした人も、貧困から立ち上がるために金持ちを殺して金を奪った人も、殺しただけの人生で終わるなら、死ぬまでつらいだけだ。

 だからこそ、週刊文春に顔とプロフをさらされた男が、本当に「酒鬼薔薇聖斗」であり、「元少年A」でもあるならば、今すぐ弁護士に頼んで記者会見を開き、顔と名前を自分から公開し、今後の人生を命がけで特定の誰かの命を救うことに使い果たすことを宣言する以外に、全日本人からの監視と蔑視の視線を受ける生きづらさを軽減する方法はない。
 いつまでも隠れ続け、新たに他のメディアに実名や目線なし写真を暴かれるよりは、ずっと良い。


 実際、現代日本には、「酒鬼薔薇聖斗」よりはるかに深刻な生き苦しさを覚えながら、今日1日を必死で生き延びようとしている人たちがたくさんいる。
 明日の朝には凍てついた遺体で発見されるかもしれない路上のホームレス、部屋で孤立しながら認知症が進んでいる貧困老人、対人恐怖で部屋から一歩も外へ出られないひきこもり、仕事がほしくても就労の機会がめったにない難民、薬物依存症になって閉鎖病棟から出られないままの精神病者…など、数え上げればキリがない。

 そうした消えかかっている命を1日でも価値あるものへ変えていくお手伝いのできる仕事に、文字通り、命がけで挑戦していく他に、「酒鬼薔薇聖斗」がこの社会で生きていける仕事は無い。
 もし彼が「元少年A」ならば、文才すら無いに等しいのだから、匿名で物書きを続けられるなんて期待は捨てた方がいい。
 それよりも、命を投げ出しても誰かの命を救うなら、手を貸す人は現れる。
 『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙 ~生きてゆく人として』(宝島社)を読めば、わかるはずだ。

 このまま匿名で逃げ続けようとするなら、新たな惨劇が起こる可能性は高まるばかりだろう。
 それは、「酒鬼薔薇聖斗」の自殺かもしれないし、また誰かを殺して刑務所の中で過ごしながら死刑を待つことかもしれない。
 しかし、そのどちらも、誰も望まないだろう。
 14歳という分別の微妙な時期に犯した罪、精神病質ゆえの人殺しなどの要素をふまえれば、その後の人生のあり方次第で、殺人者が死なずに生きていける道はあるのだから。


 「酒鬼薔薇聖斗」は、自分よりはるかに弱い子どもを殺した。
 「元少年A」は、遺族の気持ちをふみにじる内容の本を書いた。
 そして、週刊文春に顔も名前も覚えられ、写真に記録された。

 この事実は、変わらない。
 これからまた誰かを殺して犯罪者数の1人になるか、3万人の自殺者数の1人になるか。
 しかし、自分より弱い人間を救う現実を作り出す仕事をするなら、そこに唯一の救いがある。
 そういう仕事をしてこそ、本物の物書きとして目覚める日も来るかもしれない。

 自分の罪から逃げることは、生きづらさをふくらませるだけだ。
 逃げる苦しみをいつまでも負いながら、自分の命の延命にこだわるか?
 その命に価値をもたらすために、誰かの命を救うか?
 命がある限り、現実は変えられる。

 「酒鬼薔薇聖斗」が医療少年院を退院する直前、僕は手塚治虫さんのマンガ『火の鳥・鳳凰編』を差し入れした。
 本人に届いているかは定かではないが、このマンガの主人公は、人を殺した後、自分の人生でやるべきことに気づかされる。
 それは、自分のために金を稼ぐことではない。
 自己弁護のような文章を、才能も無いのに本にして出版することでもない。
 読めば、わかることだ。


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