「はた」を楽にする=自分以外の誰かの役に立つこと。
誰かに感謝される行為が、「働く」ってことなんだよね。
ところが、自己評価の低い人は、「こんなダメな自分が誰かの役に立つわけない」と思い込んでいる。
自分自身をこの広い社会の中で「一番最低の人間」と認知しがちなのだ。
もちろん、それは”認知のゆがみ”にすぎない。
なぜなら、どんな人にもその人しかもってない固有の価値が豊かにあり、同時にその価値を上手に活かせば、その人が無理なく稼げる仕事は作り出せるからだ。
たとえば、このブログ記事を見ている人は、「ネットを見るなんてイマドキ誰でもできることだろ?」と思いがちだ。
しかし、現実は違う。
パソコンやスマホに触れたこともない高齢者や低所得層の家庭の子ども、目の見えない人や、日本語のわからない在日外国人、養護施設で育つ子ども、ムショ帰りでパソコンが使えない人など、「自分だけじゃネットを見れない」属性の人たちは少なからずいる。
だから、そういう人たちを対象に、パソコンを一緒に買ってあげるところからネット利用の仕方の基礎中の基礎だけを教える自宅出張サービスを始めた田舎の元ひきこもりニートもいる。
彼は、その仕事を始めた初年度から年収が1000万円ほどになってしまった。
ライバルがおらず、元手0円で、自宅に車で客が迎えに来てくれる仕事だ。
「働く」とは、自分にとって当たり前にできることが、どうしてもできない人がいることに気づくことから始まるのだ。
他人よりすぐれた能力に鍛え上げなくても、”ありのままの自分”には、すでに知らず知らずのうちに蓄積してきた経験があることに気づけば、東大卒の平均年収(約840万円)を超えるなんて、そんなに難しいことではないのだ。
そのためには、自分が「低い」「弱い」「ダメ」と思っていることのポジティブな面をどれだけ気づけるかが重要になってくる。
たとえば、僕の友人に「寝たきり社長」こと佐藤仙務くんがいる。
彼については『ソーシャルデザイン50の方法』(中公新書ラクレ)で数年前にすでに紹介したが、最近はテレビ番組『夢の扉+』で紹介されてメジャーになってしまったので、名前にピンとくる人もいるだろう。
彼は、口を動かして話はできるものの、片手の指の第一関節しか動かせない重度障害者だ。
それでも、ホームページ制作やデザインを受注する会社を友人の重度障害者と一緒に起業し、今では新規事業をどんどん増やしている。
障がい者と聞いただけで、「~できない人」というネガティブな面だけを見て思考停止するバカが世間には多い。
おかげで、「かわいそう」なんて上から目線をする連中にグイグイ近寄れば、有名人ほどツーショット写真に収まってくれる。
それだけでも障がいをもってることは「他の人にはできない強み」なのだが、彼が賢いのは、自分と同じように障がいをもっている仲間を働ける人に育てる事業を始めたことだ。
一番重い障がいを負っているからこそ、その障がいによって何に困り、何に気を使い、どう励まされたいのか、どんな構えや言葉が自分をやる気にさせてくれるのかを知っている。
そして、何よりも、自分が働き場所にありつくのが大変で、既存の会社に雇用されることができなかった苦しみを知っているからこそ、同じ苦しみを他の人に味あわせたくないと思えたことが、彼の魅力なのだ。
「俺だけがこんなに不幸」で思考停止するのではなく、「俺と同じように苦しんでる人はいっぱいいる」と気づいた瞬間から、彼らを幸せにする仕事「JPA」を作り出したのだ。
精神障がいなら、同じことはできない?
そんなことはない。
咲セリさんは、思春期の頃から自らのアダルトチルドレン性を自覚し、 自己喪失感、ヒステリー、 自傷、自殺念慮、精神薬依存、アルコール依存、恋愛依存、不安障害、強迫性障害、境界性パーソナリティー障害、双極性障害などを抱えている。
しかし、『死にたいままで生きています』(ポプラ社)などの本を書いている。
彼女がネコに助けられたのは、自分が生きる理由を持てる大きなチャンスだったろう。
実際、自殺を思いとどまった人の中には、「自分が死んでしまうと自分が飼ってるネコまで死んでしまう。それは嫌だ」と考える人は少なくない。
子猫を飼うこと自体が有効な自殺予防策であることを、自殺未遂の経験者は他の人に教えられる。
何度も自殺未遂を起こし、そのつど死を思いとどまらせた何かを知っている人は、他人の命を活かせる大きな価値をもっている。
それは、苦しんできた人にしかわからない固有の知恵だ。
そして、長い間に味わってきた苦しみは、お金に換えられる大きな価値なのだ。
●学校文化・企業文化に毒されてないこと自体が起業では強み
世間が勝手にネガティブに判断しようとすることは、たくさんある。
病気だけでなく、不登校や学校中退もその一つだ。
学校文化に毒された人は、学校に行かないこと自体を問題視したがる。
しかし、不登校や学校中退の経験者は、学校文化に毒されてないからこそ、つまらない常識にとらわれず、思いきったことが発想できたり、誰もできなかったことをやってしまえるのだ。
小・中学校もろくに行かないで、今は若手起業家として和歌山では知らない人のいない小幡和輝くんについては、この動画を見てほしい。
ネトゲ廃人のひきこもりとして3歳から12年間もひきこもった彼は、地元があまりにもクソつまらない「さびれた町」なので、面白い有名人を和歌山に招いて講演会を主催したり、高校の枠を越えた合同文化祭を仕掛け、今日では学生が社長を選んで就活する「社長訪問」という面白いサイトを立ち上げている。
ここで、学校文化に毒されるとはどういうことなのか、説明しておこう。
☆田舎に住んでいる無名の学生では、有名人や有名企業の社長に声をかけても相手にしてもらえないと思い込んでしまう
☆10代や障がい者の起業家が日本を含めて世界中で急増しているのに、「あれはレアケース。俺には無理」と思い込んでしまう
☆これまで誰もやらなかったことは、自分がやっても成功しないし、失敗したら恥だからやらない方が傷つかなくて済むと考えてしまう
こういう構えで「社会にとって都合の良い子」や「会社にとって都合の良い子」になろうとも、残念ながら社会はいざという時にクソの役にも立たない。
それは、生活保護を受給する人が全国平均の自殺率より2倍以上も高い現実が教えてくれる。
勤務先の経営状態を知らないままの社員がのんきに働いてる会社も同じだ。
僕はバブル期に就活を迎えた世代だが、当時Sonyに入社できることは「世界一の企業に入れて良かったな」とうらやましがられることだった。
あれから約30年、時代はすっかり変わった。
40代でリストラされた元Sony社員には、よほど優秀なら仲間を集めて起業する挑戦に賭けるが、大企業でぬくぬくやってきた社員の多くは、生活を根本的に見直さなきゃ生きていけない。
持ち家のローンは返済できないから賃貸に引っ越し、中高生の子ども2人は私立から公立へ転校してもらうしかないし、専業主婦の奥さんはせめてパートで働いてもらわないと、迫り来る親の介護に備えられない。
こんな社員は、Sony以外でも珍しくない。
経営者にお任せの企業文化しか知らないことは、今日では悲劇を先送りしてるだけなのだ。
現時点で悲劇を想像すらできない人も、備えなければ、突然その日はやってくる。
経済的な破綻は、子どもにも暗い影を落とす。
実際、僕の相談事業には、有名な企業や大学で働いてる親から、「子どもがひきこもって暴れて困る」とか、「20年以上も無職の子をどうにかしてくれ」という切実な声が届いてる。
だからこそ、会社がどうなろうとも、自分の仕事ぐらい自分で作れるようになるのが今日の教育の目的でなくては困るし、起業や自営を当たり前のようにやれる人材に育てることが、失業率を高めずに済むリスクヘッジの国策になるし、医療や福祉の歳出を抑制できる政策になるはずだ。
すでに失業し、無職歴が長くなった人を、「精神障がいだから福祉作業所へ」と導いても、健常者並みの収入が得られないどころか、刑務作業のような単純作業しかさせてもらえず、当事者満足度は低いままだ。
しかし、同じ属性でも健常者並みの収入を作り出している社会起業家も増えてきたし、それによって従来の国策がどれだけ障がい者をバカにした愚かなものなのかも日に日にハッキリしてきた。
しかし、どんな人も、他人の役に立てる。
苦しんできた人ほど、その苦しみの価値を収益化できる。
10代や障がい者にできて、ひきこもりや無職者にできない理由は、どこにもない。
あるとすれば、当事者の周囲の人間が「おまえには無理」という視線を向け、当事者の挑戦を応援しない場合だ。
そういう声に負けないでほしい。
あなたにとって朝飯前にできることが、どうしてもできない人が、この世界には山ほどいる。
それに気づいた時から、あなたが他人の役に立てる仕事を作り出せる。
他人より優秀であることより、自分が味わってきた苦しみを他人に背負わせたくない気持ちの方が、面白い仕事を作れるのだから。
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