親は働きたくても、昼間に子どもを安心して預けておけるインフラがない。
そこで、すぐに子どもを預けられるように保育園を増やしてほしいと望む親は少なく無い。
だから、『保育園落ちた日本死ね!!!』という匿名のブログ記事に注目が集まったのだろう。
しかし、と僕は思うのだ。
保育園でなければ、いけないのだろうか?
「あなたも子どもができたら、悠長なことは言ってられないわよ」という批判をあらかじめ甘受するつもりで、選択可能性を広げるための発想を書き留めておきたい。
みんなが困っていること(=社会的課題)を目にした時、真っ先に政治や行政に期待するのは、ソーシャルデザインを知る者にとっては愚かな構えだからだ。
それに、政治や行政に期待したところで、明日の朝、近所に保育園ができてるなんてことは、ありえない。
政治や行政に期待してるうちに、子どもは小学生になってしまうだろう。
それより、民間で今すぐできることは本当に無いのか、考えておきたい。
保育園とは、親が働いている、病気の状態にある等の理由により家庭において十分に子どもを保育できない場合に、家庭に替わって子ども(0~5歳の乳児および幼児)を保育(養護と教育が一体となった保育)するため、児童福祉法に位置付けられた「児童福祉施設」という。
義務教育ではないので、通わせてない親もいる。
子どもの面倒をいつでも見てもらえる祖父母と同居していたり、魚屋さんや在宅ワークなど基本的に家で仕事をする自営業者でいつも子どものそばにいられるなら、保育園に行かせなくてもいい環境だろう。
ただし、それでも親の方は、いろいろと心配するのかもしれない。
「24時間ずっとそばに子どもがいると、安心だけど、仕事がはかどらない時もある」
「老いた親に預けても、いざという時にどこまでしてくれるか、わからない」
「小学校に上る前に、他の同世代の子たちと遊ばせる習慣を人並につけさせなきゃ」
「子どもを幼稚園に行かせないと、近所から”変な親”と思われやしないだろうか」
とくに初めての子を産んだ母親にとって、何もかもが不安なはずだ。
「妊娠した時点で保育園を申し込んでおけ」なんてネットの記事を読んでから、出産だって大変なのに、その後から次から次へと難題が振りかかる。
子どものうんちの色も、泣いてる理由も、声を出してる意味も、最初はわからない。
授乳だって、人前ではできないから家に閉じこもりきりで、社会から遠ざかってしまって余計に不安を募らせたママたちも少なく無いだろう。
しかし、仕事と子育てを切り離すところから、どこか無理が生じてくるような気もするのだ。

そこで参考になるのが、授乳服ブランドの「モーハウス」だ。
外でも気兼ねなく授乳できるデザインの服を作って産後のママを不自由から解放した社会起業家である同社では、ほぼ全員が子連れで出勤し、オフィス内には赤ちゃんがハイハイしてたり、歩き回っていたり、授乳服の中でお乳を飲んでいたりする。
女性はガマンするものという社会の常識を、ガマンしなくていい仕組みに変える。
これぞ、本物の社会起業家の仕事だ。
戦前まで、農作業を近所のママたちと一緒にやっていた日本人は、みんなの職場である田圃や畑に赤ちゃんを連れ出し、土の上で授乳したり、遊ばせ、代わりばんこに面倒を見ていた。
それだけ大らかに、良い意味で「適当」に、仕事と子育てを両立させていたのだ。
茨城県つくば市のモーハウスを視察すれば、なぜ同社に子連れ出勤が可能で、自社のどこを直せば子連れでも働けるのかについて、すぐに使える知恵をたくさん発見できるかもしれない。
(モーハウス代表の光畑由佳さんは、『働くママが日本を救う!』という本で、子連れ出勤の実践を紹介している)
●保育園の増設は、政治より民間事業に期待しよう

実際、モーハウスはこのスタイルで1997年の創立以来、20年間も授乳服の製造・販売を続け、業績を伸ばし続けている。
同社では、このスタイルを「ワーク・ライフ・ミックス」と呼んでいいる。
仕事と子育てを分けてバランスをとるのではなく、混ぜちゃっても大丈夫というわけだ。
小さな子をもつ働くママどうしが、たとえ2人でも一緒に職場で子連れ出勤する1日を試み、その1日をもう1日続け、さらにもう1日続ければ、本当に子どもがいると困るのか、何に困るのか、いても困らない(許される)仕組みは何なのかを企業社会に問うていける。
そこから、働くママたちにとって新しい未来を作れないだろうか?
その1回の試みがSNSでシェアされ、「その手があったか!」と全国各地の働くママが同じ境遇のママどうしで同じことを試みる時、保育園問題の深刻さは確実に薄まっていく。
社内に保育施設を作る会社も増えるだろうし、同じ地域の中小企業が業界を超えて出資して保育園やそれに準じる施設を職場から歩ける距離に作ろうと動き始めるかもしれない。
あるいは、そのまま職場に子連れで出社しても、子どもどうしでプレイルームで遊べる仕組みを経営者たちが考えるかもしれない。
そうした動きがテレビや新聞に取り上げられるようになると、不動産デベロッパーは色めき立つだろう。
空き物件に困っている彼らは、保育施設(or 保育サービスが提供できる仕組み)を新築・増改築の賃貸・分譲の物件に加えることを真剣に検討するようになるはずだ。
小さな子をもちながら仕事をする人を対象にした賃貸物件で、保育を考慮したサービス物件は既に現れている。
保育園経営者、建築家、シェアハウスプロデューサー、不動産コーディネーターなど各分野のプロフェッショナルが集まることで、日本で初めてのシングルマザー専用シェアハウスとして誕生した「ペアレンティングホーム」は、第1弾の高津、第2弾の二子、阿佐ヶ谷、金沢文庫と既に4件も運営されている。
東急電鉄は、コミュニティ型賃貸住宅「スタイリオ元住吉II」を、2015年6月に開業した。
神奈川県川崎市に誕生するシェアハウス・デイサービス・保育園融合の賃貸マンションで、1階店舗区画にはデイサービス「オハナ元住吉」、川崎認定保育園「みらいっこぷち」が入居している。
不動産デベロッパーやゼネコンにお願いしたり、期待して待つ以外にも、市民が今すぐできることはある。
それは、子作りを決めた時点から、同じ地域や産婦人科でプレママ・プレパパ(※これからママ・パパになる人)の仲間を中心に寄り集まり、保育サービス付きの物件を自分たちで企画、施工依頼、建設、運営するというものだ。

自分たちが住みやすい集合住宅を作り、入居したら保育や介護、料理や掃除などまでお互いに助けあって生きるコミュニティ主体の住環境スタイルだ。
実際に、そのようにして入居希望者たちが集まって理想の住環境を作り上げる事例が今、増えている。
『これが、コレクティブハウスだ!』という本も出ているので、読んでみてほしい。
日本初のコレクティブハウス「かんかん森」(東京・日暮里)の12年間を描いたものだ。
政治や官僚に文句を叫んでも、現実の苦難はちっとも変わらない。
だが、消費者として「子どもを安心して預けられる住まいを作ってほしい」と望んだり、労働者として「子連れで働ける職場環境にしてほしい」と声を上げれば、そのニーズは民間事業として速やかにカタチになりうる。
そのように社会を自分たちの生きやすいものへ変えていくことが、本来の仕事というものだろう。
もっとも、保育園でなくても、親の仕事が満足にできて、子どもを安心して預けられれば、不安の半分は解消するはずだ。
残り半分は、むしろ親自身が子育てを「人並にしたい」「完璧でないと不安」と思い込んでしまっているのではないか?
●市民は、無力じゃない。まずは地元のカフェに集まろう
1時間500円で近所の顔見知りのママに、わが子を預けられる仕組みがある。
神奈川県で2009年に起業したAsMama(アズママ)の「子育てシェア」サービスだ。
AsMama代表の甲田恵子さんも、仕事と子育ての両立に悩んでいた一人だった。
結婚し、出産後も働き続けていたのに、会社から突然のリストラ宣告。
再就職しても、また同じ悩みに苦しむことになる…。
「頼れる人はいないの?」
SNSでそう書くと、「そういう仕組みがあればいいのに」と同じ境遇のママたちから伝えられた。
そこで奮起した彼女は、2009年、AsMamaを起業。
同じ悩みを持つママどうしが集まれるイベントを数多く手がけるようになり、地域の企業やさまざまな協力者を得ていった。
だが、集まってるママどうしの関係が深まらないことに疑問を覚えた。
NEC社会起業塾で業務を学び直した甲田さんは、2ヶ月も路上でママたちに声をかけまくって1000人アンケートを試み、お互いに頼り合える仕組みを作り出すこと、それが近所の顔見知りのママであることを発見。
同じ悩みを持つ当事者であるママどうしの出会いの場を、イベント開催とSkypeミーティングで全国レベルまで進めていった。
自分の近所に住んでいるママどうしの中から自分とウマの合う相手を選び合うチャンスを増やすことで、地域社会の中に信頼関係を構築・育成するものだった。
顔見知りからでも信頼関係さえ育めれば、安心してわが子を預けられるし、相手の子どもも預かれる。
しかも、頼り合う両者の所得の差に関係なく一律に1時間500円の感謝を示すので、自己負担は最小化できる。
AsMamaはママたちの間で急速に支持を拡大し、同時に頼れる相手の「見える化」として、送迎・保育を担う「ママサポーター」を公募し、育成・拡充していった。
子育てシェアを活用した送迎・託児の時間内にケガや食中毒などの事故や破損があった場合にも、有償で活動する全支援者に保険が適用されている日本初の仕組みだ。
子育てを頼り合える文化を日本全国に根付かせるため、各地で大企業や自治体と提携したイベントを精力的に進めていった。
同社の登録会員は今、本社のある神奈川だけでなく、全国各地に急速に広がっている。
AsMamaは、「子育てを頼り合える文化」を社会インフラとして拡大・定着させつつあるのだ。
「子育ては親一人の責任」から「子育ては頼り合うもの」へと常識を変える。
これぞ、本物の社会起業家の仕事といえよう。
(フェミニストや社会学者は、こうした社会起業家の仕事にもっと注目してほしい)
大人自身が「困った時はお互い様」とお互いに頼り合うことで、子どもも「困った時は頼り合っていいんだ」という信頼関係をあたりまえのように信じられる人に育っていく。
それは、保育園に行かなかった子と行った子を、大人自身が無自覚に差別しているのをやめることから始まるのではないか?
「うちの子は保育園に行けなかった」とわが子を不憫に感じる必要はないし、よのなかにはさまざまな事情で保育園に通わなかった子も少なくない。
小学校を卒業する頃には、「保育園に行ったかどうか」なんて親も子どもも気にしない。
近所にいる大人どうしが近隣住民を思い浮かべる時、「たいして親しくないから」で思考停止したまま、信頼関係を育てることを忘れてること自体を問題視した方がいいような気がしてくる。
保育園の不足問題が暴いてみせたのは、行政の不備・政治の怠慢だけではない。
近所の住民どうしの間で「お互いに子どもを預かり合えるコミュニティや交際のチャンスを育てる」ということが、見失われていたのだ。
頼り合える文化を作り、子どもたちに残すことは、増税と借金でしか歳入不足を埋め合わせられない無能な政治家に真っ先に解決を期待する「政治家まかせ」の姿勢を改め、市民自身が自分たちで困りごとを解決するという「自治」の姿勢を育てる。
「自治」こそが民主主義の基本だから、ようやく日本は国民主権を理解するのかもしれない。
核家族によって祖父母から離れ、移住・転勤などによって過去の地域コミュニティは崩壊した。
それなら、自宅から気軽に足を運べる身近な行動半径の中にいる大人たち自身がお互いに誘い合い、誰もが孤立しなくて済むように信頼関係を育めるチャンスを作り出していくという仕事を始める必要があったのだ。
その仕事は、政治や行政に強いられてやることじゃない。
むしろ、民間で自由に自分たちが心地よいスタイルで始めればいいだけのことだ。
僕自身、毎月1回カフェで市民を集めるイベントをブログで呼びかけ、1年間試みたことがある。
最後の12回めに市長の参加を求めて、市長にメールを出したら、なんと顔を出してくれた。
地域には、血はつながっていなくても、年金生活で時間だけはある元気な高齢者もいれば、子どもがいないで地域貢献がしたい専業主婦もいるし、時間の融通の利く独身の自営業者もいる。
そうした地域住民たちが公民館やカフェなどに集まり、お互いに話のできるチャンスを増やすだけで、信頼関係は育てられる。
まずはネットからでも、「近所で集まりませんか」と同じ地域の市民に声をかけてみてほしい。
お寺で檀家さんのみなさんが事実上の保育サービスを担ってもいいだろうし、保育を学ぶ学生がOBと一緒に学内で実地研修として試みてもいいはずだ。
信頼関係を築けた相手が増えれば、その人数分だけ代わりばんこに子どもを預かることもできるだろうし、保育園も不要になるかもしれない。
部屋の中で孤立しているひきこもりの若者にも「最近近所で面白い人と出会ったよ」と伝える兄弟や友人のメールが届くかもしれない。
社会の閉塞感(とそれによる孤立)を突破するのは、近所におけるちょっとしたアクションと、そこにさまざまな属性の市民たちが持ち寄る知恵のように思うのだ。
僕のように”独身・子無しの中年男”でも、子育てに関心をもって解決事例を調べてる市民すらいるのだから、「近所にも自分の想定を越えて頼り合える関係の築ける人がいるかもしれない」と信じてほしい。
モーハウスやAsMamaだって、最初はそうやって集まるところから始まったのだから。
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