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■若者に強いる「徴介制」より年金生活者へ「徴育制」を

 「若い人に介護をさせろ」という”徴介制”を新聞に投書した人がいるそうだ。
 これが50代の出版業界人が投書したものだと知って、同じ50代の出版業界人の僕としては、「やれやれ」という情けない気持ちになった。
 「50代の出版業界人、バカですいません!」と若者たちに謝りたい気分だ。
 ま、とりあえず、どんな投書か、見てほしい。

 そもそも、徴兵制を引き合いにして、「徴介制」とブチ上げてしまったのは、反発を呼ぶよね。
 それが従軍であろうと、介護であろうと、国から強制される制度が増えるのを喜ぶ人はいない。
 しかも、たとえ制度化されようと、「受け入れる介護施設はほとんどない」とJ-CASTニュースが、介護現場で働く人の声を紹介していた。

 J-CASTニュースは38日、この投書を寄せた本人に、彼女が役員をつとめている出版社を通じて、メールで取材を申し入れた。
 だが、担当者から「今回の件について回答することはできない」と返信があったそうだ。

 何でもすぐ国の制度や法律で解決したがるのは、戦後日本人の悪いクセだ。
 戦後やっと民主主義になったはずなのに、真っ先に政治に頼るとしたら、「増税と借金をもっと増やしてくれ」と政治家に頼んでるのと同じ。
 制度や法律を作れば、税金でそれを運営するわけで、大幅な歳出カットを政府がやらない限り、増税と借金がいつまでも続くことになる。

 それで困るのは、より若い世代だ。
 ただでさえ、歳入不足を増税と借金でしか埋められない無能な政治家と官僚のおかげで、彼らは日々ますます生きづらくなってゆくのに…。
 だから、僕はtwitterにこう書いた。



●年金生活者がチームを組めば、孤立した親子を救えるかも

 もちろん、「徴育制」というのは、冗談だ。
 前述したとおり、国民を強制的に動かす制度は、増えないほうが好ましいのだから。

 しかし、今日の日本では、結婚・育児・就労すら大変である若者が多い反面、時間も金も持て余している年金生活者は大勢いる。
 それなら、介護を必要としていない年金生活の高齢者が、自分の孫ではなくても、自宅から無理なく足を運べる範囲にいるワーキング・マザーやシングル・ファーザーの子育てに少しだけ手を貸してもいいのではないか?

 制度として強制されるまでそれをしないとしたら、高齢者が40年以上も働いて作ってきた日本社会は決して誇れない。
 むしろ、自分が認知症や車いす生活になる前に、地域の小さな子どもたちの面倒を見てあげるくらいの貢献をしてもいいんじゃないか?

 おじいちゃんやおばあちゃんがチームを組んで、「地域で子育てと仕事の両立に悩んでる若い親たちがいないか?」と散歩がてら調査を始め、そういう親を見つけたら複数の高齢者が一人の子の面倒を一緒に見る仕組みを作ったらどうかな?

 おばあちゃんは育児経験があるし、おじいちゃんでも自分の孫を預かった経験もあるだろうし、若い頃に保育・医療・福祉などの仕事をしていた年金生活者も地域にはたくさんいるはずだよ。
 そうした「元プロ」1人を指南役に入れた少人数チームを作って増やせば、小さな子と一緒に孤立したまま心中する親子を1組でも減らせると思うの。

 それに、「チーム育爺・育婆」がいざ認知症になりかけたり、足腰が弱くなった時、わが子の面倒を見てもらった若い親子は、「お返しに何かしてあげたい」と思える寛容な人に育つだろう。
 孫世代のために年金生活者が動く見本を見せれば、そのアクションはやがて自分の老後の不便を解消してくれる人材を育てることになるんだから、やりがいもあるはず。

 責任をもつ役割が与えられれば、認知症の予防にもなるだろうし、単身の高齢者が地域の中で孤立してしまうことも避けられる。
 だから実際に、そういう動き(←クリック)が進みつつあるんだ。
 いざ子どもを産んでも、育てられない不安があるから少子化は加速してしまう。
 でも、いくら産んでも、子どもの世話を近所の年金生活者がしてくれるなら、安心して働ける。
 保育園に入れなくても、困りはしない社会になるかもしれない。
 そうすれば、保育の教育費も浮かせられる。
 いずれ小・中学校に通う際にも負担する教育関係費は増えるのだから、働ける時に働くことが教育投資を担保するのよね。

 もっとも、年金では暮らせない高齢者には、元プロから最低限度の知識とスキルを学び、一定の実践経験を積めば、チーム認定の「育ジイ・育バァ認定バッジ」を発行し、子育て参加が収入になる仕組みを作るといい。

 その収入の財源は、チームでのボランティアが1年以上の実績があれば、青年会議所や商工会議所に属して地域に貢献したい地元企業にスポンサードを要請できるだろう。
 高齢者は、昔なじみの地元企業ともなじみが深いから、話は早いはずだ。

 他にも、地域で「育児協力基金」を立ち上げて誰もが寄付できるようにしてもいいし、地元の名士や地元出身の有名人に声をかけるのもいいだろう。

 大学生や高校生が、自分たちの尊敬する地元出身の作家やミュージシャンにお願いし、印税から一部を寄付してもらうのもいい。
 若者は、若者自身がときめくことに背を押してくれることを言ってくれる大人を信用する。
 おじいちゃん・おばあちゃんが「育児協力基金」を作るのに若者の力を頼ってくれて、しかも自分たちがワクワクできる有名人と交渉できるチャンスを与えてくれたら、面白がってやるはずだ。

 若者たちがそういう有名人と交渉をボランティアで動き出せば、「社会的課題は同時代のあらゆる人材に声をかければ解決していける」という実感を得る。
 それは、自分たちで自分たちの生きやすい社会を作る自意識を育む。
 それは、戦後日本がかりそめの「おまかせ民主主義」でやってきた歴史を変え、自治マインドによる本物の民主主義を生み出すチャンスになるかもしれない。

 頭も体も元気なうちに、そういう誇らしい仕事をしてこそ、若い世代に大事にされながら、自分の命をまっとうできた喜びの中で死んでいけるんじゃないかな?
 そして、政治にばかり課題解決を真っ先に期待するのではなく、市民自身による課題解決を進める社会起業(ソーシャルビジネス)やソーシャルデザインを学ぶことが、凋落していくこの国の希望であることにも思い当たるだろう。

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