著者の垣内俊哉さんは、大阪にある「ミライロ」という会社の社長だ。
車いすを日常的に利用する人だが、社員たちも障がい(ハンデ)を持っている。
ミライロという会社は、社員の身体が不自由だからこそ、自分たちを不便に感じさせる環境を具体的に指摘できる強みを持っている。
たとえば、段差が少しあるだけで、車いすでは移動できない。
腕の力をかなり使わないと開けられないドアは、自力では開けられない。
しかし、そうした不便な環境も、車いすをふだんから利用している当事者んら、どの程度の角度の段差なら無理なく移動できるのかを指摘できるし、力なくドアを開けるには上のネジに油をさしてゆるくしてもらえるだけで開けられるになると助言できる。
つまり、ハンデというバリア(障がい)があるからこそ、どう環境を変えればいいのかについて、具体的かつ実践的なアドバイスができるわけだ。
これを、「バリア バリュー」と垣内さんは名付けた。
切実に困っている当事者ほど、解決の姿をはっきりと知っている(はい、ここテストに出るよ!)。
これを、「当事者固有の価値」と僕は呼んでいる。
そして、この「当事者固有の価値」をふまえて、社会的課題を解決する仕組みを事業化しているのが社会起業家であり、彼らの仕事をソーシャルビジネスという。
その詳細は、拙著『よのなかを変える技術』(河出書房新社)を参照してほしい。
ミライロは、身体障害者が車いすで移動するのに困っているという一つの社会的課題を解決しようというものではない。
車いすユーザには、高齢者もいる。
車いすユーザに近い存在として、眠っている赤ちゃんを乗せたベビーカーのユーザもいる。
他にも、社会環境の中を移動するのに、さまざまな障がい(バリア)を感じている人たちがいる。
だから、ミライロの社員には、さまざまな障がい者やLGBTまでいる。
つまり、ミライロは社会環境がどんな人にも生きやすいものになっていないことを社会的課題としてとらえているのだ。
その解決が政治では満足にできないことを、垣内社長自身は身を持って感じてきた。
バリア・フリー新法ができたため、ホテルに行くと、車いすを見た途端に病室のような部屋に案内される。
そのたびに垣内さんはうんざりし、必ず「他の部屋」に変えてもらう、と言っていた。
「いかにも障がい者向け」というあおもてなしが、かつて長い入院生活をしていた彼にとって、病室のような部屋は忌まわしい記憶なのだった。
そのように、当事者の声を満足に聞かないまま一方的に社会環境を作り上げようとする政治に任せていれば、何かに切実に困っている当事者にとって満足できる社会にはならない。
これは、身体障害者だけの問題では無いはずだ。
●「弱い」と決めつけられた人が立ち上がると、社会が変わる
日本は、「おまかせ民主主義」で政治に社会設計を任せてきた時代が長かった。
だから、今でも政策立案や制度設計をする際、官僚や政治家は「学者」や「専門家」を招くことはあっても、「当事者」を招くことがほとんどない。
これは、市場原理で言えば、極めて奇妙なことだ。
新商品を作る際に、市場調査もしないまま、経済学者やマーケティングの専門家だけの意見を聞いて商品の開発にゴーサインをする経営者なんて、ありえない。
どんな人が、何について、どの程度の満足度を求めているのか?
それがハッキリしないかぎり、満足度の高い商品は作れないし、売れるわけもない。
ミライロは、社員の自分たち自身がハンデを抱えているために、自分たちと同じ不便を感じている人たちが共通して困っていることを理解していたし、それゆえにどんな解決策があればどの程度の満足度なのかも考えることができた。
だから、民間事業を通じて、自分たちが困らないように「この段差をこう直せ!」とユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどの娯楽施設を運営する企業に対してアドバイスするサービスによって、企業からコンサル料金を受け取る仕事ができたのだ。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンは、車いすユーザが無理なく園内を移動できる環境を作ることによって、身体障害者だけでなく、介護者、車いす利用の高齢者、ベビーカー利用の親子など3世代を集客できるようになり、そうした属性の人々は国籍を問わないので外国人観光客も呼び寄せ、利益をさらに拡大できる。
だからこそ、新しい大型アトラクションへ投資でき、さらに集客を増やせることになった。
企業は、自分たちの利益につながるとわかれば、何をどう改善してほしいのかを具体的に言えるミライロに金を出して相談するわけだ。
このブログより |
この「社会環境に対して自分が生きるのに困っていることを具体的に指摘できる」という価値は、障害者だけでなく、すべてのマイノリティがあらかじめ持っている。
精神障害、知的障害、発達障害の当事者はもちろん、難病、難民、ホームレス、ひきこもり、ユニークフェイス、低学歴層、被虐待児、犯罪被害者、前科者など、生きづらさを感じているすべての人が持っているものなのだ。
この「当事者固有の価値」は、ずっと生きづらさを抱えてきた人自身が蓄積してきた資産であり、収益化できる(=お金に換えられる)手形や小切手ようのなもの。
だから、自分が社会の何に苦しみ、何がイヤだと感じているのかを具体的に100個でも200個でも箇条書きにしていけば、「何をどう変えたいのか」を伝えやすくなる。
たとえば、うつ病患者にとって、職場や仕事の何がイヤなのか?
それだけでも100個くらい具体的に指摘できるのが、うつ病の当事者というものだろう。
それをカルタやロープレなどのゲームとして売り出して伝えることもできれば、昨年(2015年)から多くの職場に導入されたストレスチェック制度で社員を精神科送りにしたくない企業に、メンタルヘルス予防策として売り出すことも可能なはずなのだ。
べつに、当事者が1人で孤軍奮闘しなくても、当事者の苦しみと同じ社会的課題を解決するソーシャルビジネスを立ち上げたい人を探し、一緒に事業化を試みればいい。
その際、大事なことは、好都合なイメージを持つこと。
たとえば、「日本のどこの町にも『うつ病患者を優先的に雇い入れます』という企業があるといいなぁ~」という具合に。
日本人はただでさえ自己評価の低い国民で、精神病になると、さらに自己評価を低めてしまうけれど、「~だったらいいな」というイメージを持ち、それをネット上でもいいから、どんどん発信していけば、そのニーズをくんで、そのイメージを実現する人たちが現れる。
ニーズが多ければ、「解決すれば金が回る市場がある」ってことだから、ビジネスを通じて現実を変えられると思う人が増えるのだ。
ソーシャルビジネスが社会に浸透していけば、時間もお金も労力をかけずに課題を解決できる(=当事者が苦しまなくなる)すぐれた仕組みを作り出す人材も増える。
従来のように、「お金がないから無理」とか、「人脈がないからできない」で思考停止するのではなく、むしろ足りないものは多方面から「借り物競走」で集めてこれる人材は、もっと増やしていける。
僕は、ソーシャルビジネスにのびしろを感じているし、社会起業家がこの社会をどう変えたかをわかりやすく伝えるチャンスを増やしたい。
だから、全国各地に招かれて講演をやったり、ソーシャルデザインの本を書いたり、社会企業の講義の動画を公開してるんだ。
デモは苦しんでる国民を、たった1人でも救えたか?
答えは、「NO!」だ。
社会起業家は、福祉作業所で就労支援を受けてる障害者の工賃(月平均1万4000円程度)を健常者並みに引き上げたり、ホームレスを再就職に導くなど、苦しい現実をきっちり変えてるよ。
それこそが、人生の時間と労力の使い道としてベターな仕事だろう。
現実を明確に変えるアクションの方が、僕は信用できる。
バカな政治家や官僚が作った社会の仕組みによって苦しみ続けている人々が、一秒でも速く苦しみから解放されるためには、民間でソーシャルビジネスを増やしていくことが必要なんだ。
それが、「希望がない」といわれがちな時代に残された一つの希望なのだから。
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