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■おまえが大きくなった時 ~仕事の中で変化を作ろう

 32年前に「表現の不自由」を心配し、歌っていた歌手というブログ記事を書いていて、思い出した歌がある。
 かぐや姫が1978年に発表したアルバム『かぐや姫・今日』に収録された「おまえが大きくなった時」(作詞・作曲:南こうせつ)だ。
 南こうせつさんは1949年生まれなので、29歳の時にこの歌を作ったことになる。
 この歌の発売当時(1970年代の終わり)、僕は中学生だった。その頃は、フォークやニューミュージック、テクノポップやアニソンなどが大ヒットする時代だった。
 まずは聞いてもらおう。


おまえが大きくなった時 あの青い空に
白い紙飛行機が 夢を運ぶだろうか
おまえが大きくなった時 あの枯れた大地に
咲いた名もない花が 命を語るだろうか
ごらん あの街を あかりが揺れてる
おまえのあたたかい この手を握りしめれば
ああ 聞こえる ふるさとのうた

おまえが大きくなった時 このビルの谷間に
やさしい唄が 流れているだろうか
おまえが大きくなった時 この灰色の窓辺に
沈む夕陽が やすらぎをくれるだろうか
ごらん あの街を あかりが揺れてる
おまえのあたたかい この手を握りしめれば
ああ 聞こえる ふるさとのうた

おまえが大きくなった時 この小さな胸に
確かな喜びが 育っていくだろうか
おまえが大きくなった時 この手のひらに
愛する心が 通い合うだろうか


●仕事で作り出す変化こそ、父がわが子へ残す「生きた証」

 お聞きの通り、『おまえが大きくなった時』は小さなわが子の将来を心配している歌だ。
 60年安保闘争に疲れた当時の若者たちは、フォークソングのもつやさしさに癒やしを求めた。
 そこで熱狂的に支持されたのが、「かぐや姫」の歌だった。
 国家を論じる政治より、女の子との恋愛や生活の方がリアルな現実として受け止められたのだ。
 それは、戦後すぐに生まれた世代が、社会との向き合い方に素直になった証拠ともいえた。

 彼らの世代は現在、60代後半になっている。
 僕は1965年生まれなので、彼らより15年以上若いけれど、この歌の意味にはピンとくる。
 テレビや車、冷蔵庫にエアコンなど、高度経済成長で暮らしがみるみる豊かになってゆく日本を見ながらも、幸せになりきれない恐れも同時に生まれたのだ。

 湾岸に並び立つ工場から出る煙によって、僕の住んでる京葉コンビナートの街の空は、乳白色のスモッグで覆われて夜も明るく、今日でも「光化学スモッグ注意報」が発令され、「屋内に入ってください」と市のバスがアナウンスに回ることがある。
 工業化による温室効果ガスは、南極の氷を溶かすだけでなく、世界中を砂漠化させ、「枯れた大地」は増える一方。

 僕の父親は、そのコンビナートで働いていた。
 スモッグという公害を垂れ流す、石油メジャー会社の一人だった。
 世界に公害を垂れ流すことで、僕自身の暮らしや進学が成り立っている申し訳無さ。
 たとえこの街の人がスモッグに耐え忍んでも、スモッグは空を選ばない。
 「あの街」である他の街にも、僕らと同じように家族がいて、子どもとの団欒もあるだろうに、スモッグはそこへも届くのだ。
 そこで、「成長のためには公害も仕方がない」と開き直れば、僕もさだまさしさんが『空缶と白鷺』で歌った「卑怯な顔」になってゆくだろうと思った。

 今日では、歌やCM、テレビ番組、新聞記事にもクレームがつき、クリエイターやアーチストは表現仕事の「自粛」を求められている。
 「今日も一日よくがんばったなぁ」と満足気に夕陽をながめるには、自分のがんばりとその成果が釣り合っていない。

 それでも、と僕は思うのだ。
 自分の毎日の仕事に取り組む時、「次世代のため」の思いながら仕事内容を少しずつ変えていけば、長い年月の中では大きな変化に育てることは、どんな職場でもそう難しくないんじゃないか、と。

 たとえば、介護業界では、収益を増やせずに職員に低賃金を強いているという社会的課題がある。
 入居条件を厳しいままにしているために入居希望者が絞られていることも、収益が上がらない一因なのだ。
 犬を飼っている高齢者などは、介護施設に入居する際、犬を保健所で殺処分されかねない。

 しかし、一緒に入居できるようにした特養では、犬がいるおかげで会話も増え、犬をなでたり世話をすることがリハビリにもなり、勇気や生きがいにつながると、Sippoという動物関連ニュースサイトが伝えている。
 介護施設で働いていて、入居者を増やしたいなら、「ペット同伴」で入居しても困らない仕組みを、スタッフ間で話し合うチャンスさえ作れば、犬は殺されずに済むし、飼い主の高齢者も安心して入居できるし、介護事業者にとっては収益を増やせるのだ。

 そのように、他の業者がまだ熱心に取り組んでいないことを真っ先に試みれば、次世代の子や孫の代では「介護施設にはペット同伴で入れる」という常識を作り出す布石を作ることになる。
 現実の社会をより生きやすい場所に変えるには、このように毎日の仕事の現場で、平社員が「こうだったらいいのにな」ができる仕組みを考え抜き、上司や周囲にかけあうことが必要だ。

 現実を少しだけも「より良いもの」に変えるのに、ためらう必要はない。
 ワクワクする理想のためには、それを実現できる仕組みを具体的に考えればいいだけだ。
 障壁は、どんなことにもある。
 犬の散歩につきあうほど、正社員はヒマではない。
 それなら地域の住民や学生などに声をかけ、散歩のボランティアを募集し、7人も調達すれば、1人あたり週1回だけの無理のないボランティアになる。

 できない理由をあげつらうより、できる仕組みを考えだすほうが楽しいし、本気で動き出せば、協力者も続々と現れるものなのだ。
 父親が自分の仕事を通じて少しでも変化を作る時、その変化こそがわが子へ残す「父の生きた証」になるんだろう。

 もう一度、『おまえが大きくなった時』を聞いてみよう。
 明日の仕事の中で、次世代につまらない宿題を残さずに済むよう自分ができることを考えるために。

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