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■アメリカのドッキリ番組2 多数派も間違える


 アメリカで放送されているWhat Would You Do?(おまえだったらどうするよ?)というドッキリ番組を観ると、日本のドッキリ番組『モニタリング』が子ども騙しに見えてくる。
 そこで、以前の記事ではWhat Would You Do?を3本紹介して好評を博したが、今回はそれの第2弾だ。
 まずは、以下の動画を見てみよう(約9分間)。

 アリゾナ州コロラドシティーに住むモルモン教原理主義者の間では、現代でもポリガミー(複婚)が常識で、未婚の少女が高齢の男性との結婚を強いられている。
 ポリガミーはアメリカのすべての州で違法であり、本人の意志を無視した婚約も無効だが、コロラドシティーでは時間が止まったままなのだ。

 この番組では、「もしその少女を救えるチャンスがあったら人はどう振る舞うのか?」を、街にあるレストランを舞台に試そうとする。
 その店に架空の「ジョーンズ一家」が食事をしに訪れ、テーブルを囲む。
 この家族は全員、俳優たちによって演じられているが、モルモン教原理主義を信じる伝統的な家族としては、その街では珍しくない設定だ。
 そして、この設定は、この街では日常茶飯事のリアルなのだ。



 熱心な信者である「家長」のフランクは、複数の妻と一緒によってたかって、まだ幼い15歳のスーザンに「第4婦人」になることを説得しようとする。
 何しろ、結婚式は明日なのだ。
 スーザンは泣きながらそれを拒否し、「せめて数年待ってほしい」と言うが、家長は歯牙にもかけない。
 他の夫人も「神のご意志なのよ」と言い、少女を追いつめる。
 家長は言う。
「私に従うのが、おまえの義務なのだ。質問をしたり、疑問をいだいてはいけない」

 そうした家族の会話は、他のテーブルの市民の耳にも届いているし、一家だんらんの空気ではないことは誰の目にも明らかだ。
 しかし、ほとんどの人は「家族の事情」に介入することなく、見て見ぬふりをした。
 100人以上が目撃していたのに、少女の救済に手を貸したのは、たった4人にすぎなかった。
 しかも、その4人のうち、3人は女性だったのだ。


●僕らが忘れても、虐待されてる子どもは今も苦しんでる

 モルモン教の原理主義者は、アメリカの中では少数派だ。
 彼らが児童虐待を正当化しようとしているのは、間違っている。
 しかし、被害者となる少女を目の前にしても、見て見ぬふりをしたのは多数派だ。
 多数派もまた、間違いを犯すのだ。

 誰だって「多数派の中にいたい」とか「浮くようなことはしたくない」と望んでしまう。
 その方が自分自身の責任を追及されずに済むし、勇気も必要としないからだ。
 僕だって、よその家族に介入し、とばっちりを受けたくはない。
 内心では「間違ってる」と思いながら沈黙してきたことは、少なからずある。
 だから、偉そうなことを言える資格など無い。

 それでも、児童虐待を放置したいとは思わない。
 「自分だって子どもの頃は大人から不当な扱いを受けていたじゃないか」という思いがくすぶっているからだ。
 喉元過ぎれば熱さ忘れるというのでは、部活動で先輩が後輩に対して支配的に振る舞ったり、いじめたりするのを、今度は自分が先輩になったら後輩に対してくり返す愚かさを継承するのと同じだとわかっているからだ。

 1997年に『日本一醜い親への手紙』という本を編集し、その1点で10万部のベストセラーにした。
 児童虐待の被害当事者が自分の経験を親に向けて綴る、手紙形式の体験告白手記集だ。
 宝島社で企画を断られ、メディアワークスから出版した。
 あれから20年目。
 児童相談所が虐待の相談を対応した件数は、約9万件に上っている。
 これは、全国調査を国が始めた1990年からの24年間で約90倍に増え続けてきた結果だ。
(同時に、児童虐待というテーマが多くの人の関心を集めるキラーコンテンツとして定着したことも意味している)


 日本の児童虐待は、この20年間でその種類も増えてきた。
 身体的虐待、心理的虐待、ネグレクト、性的虐待の4タイプだけではないのだ。
 経済的虐待と、文化的虐待は、まだ十分に知られていない虐待だろう。
 そして、統計では少ないとされている性的虐待も、若い被害当事者の声を聞くたびにその実態は増えている印象がある。

 だから、『日本一醜い親への手紙 21世紀版』をなんとか出版したい。
 これまで企画がなかなか通らず、昨年は僕自身が胆嚢摘出の手術入院をしていたので、今年こそ志のある編集者を見つけ、児童虐待の深刻さを伝える仕事を作り出したい。

 もし、目の前に16歳の少女がいて、本人の意志に反して周囲から嫌な相手との結婚を強いられているとしても、僕は冒頭の動画に出てきた4人の勇者のように動けるかといえば、わからない。
 しかし、そういう偶然の出会いを想定しなくても、すでに親から虐待されている子どもは、この日本に無数にいる。
 「私に従うのが、おまえの義務なのだ。質問をしたり、疑問をいだいてはいけない」と親から強いられ、声も上げられないまま、「良い子」を演じ続けなければ生きられない子どもは、2016年の今も本当にたくさんいるのだ。

 彼らを解放するには、経済的自立や住居、親や教師にとって代わるメンターなどが必要だ。
 しかし、その前に「自分は親に虐待されてきたのだ」と自覚できるチャンスが必要であり、そのためにこそ『日本一醜い親への手紙 21世紀版』を作る必要があると思っている。
 わずかでも子どものためにできることがあるなら、ちゃんとやり通したい。
 だから、断られても、断られても、僕は企画書を練り直しては、売り込みを続けてる。
 僕に力を貸してほしい。
 このブログ記事が、出版社で働く社員の書籍編集者の目に留まりますように…。

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