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■良い子のまま死ぬか、仕組みを変えて楽しく生きるか


 社会の仕組みには、習慣や常識、法律や社則・校則などの内規など、さまざまなものがある。

 こうした仕組みには、誰にとっても生きやすいものもあれば、特定の人には生きにくいものもある。
 それなのに、「そういう仕組みなんだから」と従うばかりでは、精神的に病んでしまうほど追いつめられる人も出てくる。
 中には、仕組みの遵守に追いつめられて、自殺してしまう人さえいるのだ。

 このように、仕組みを馬鹿正直に守る「良い子」は、家庭や学校の教育によって作られる。

 だから、教育現場こそが、教えている内容に対して、教えられる側が客観的かつ自発的に疑えるだけの仕掛けを担保しておく必要がある。
 その仕掛けとは、たとえば教師に対して盲目的に信頼することをやめさせるために、教師自身が生徒の前で道化を演じ、おふざけの中で「権威」や「絶対的帰依」を自ら脱いでいくようなことだ。

 あるいは、教師自身が、自分の教え方に関して客観的に考えられる材料を、生徒たちや保護者たちに真摯に示すことだ。

 そのように、生きていくうえでは常に「良い子」である必要がないこと、馬鹿正直な「良い子」のままだと実社会でずるい人たちにカンタンにダマサれてしまう恐れがあることなどを、きちんと伝えてこそ、教育の社会的価値は担保される。

 それを親や教師ができなければ、テレビや新聞などの報道関係者、ノンフィクションやマンガなどの作家、映像や音楽などのアーチストが、手を変え品を変え、伝えていけばいい。

 平和な時代には、「良い子」を周囲から求められる同調圧力によって、若い人ほど過剰適応を引き起こしやすい。
 事実、15~39歳の死因1位は「自殺」になっている。



 弱い人を苦しめる法律は、ただちに改正する必要がある。
 それをいつまでしないなら、それは政治家の怠慢だ。
 政治家が怠けているために国民が死ぬなんて、バカバカしい。
 死ぬぐらいなら、馬鹿正直に従順な「良い子」なんかやめて、法律を破ればいい。
 守るも、守らないも、生きていてこそ、だからだ。


●主権者意識に目覚めさせない教育は、国民をじわじわと殺す

 2WINという双子のヒップホップ・ユニットは、One Way Rideという曲で、こう歌った。
僕らの街には悪魔が住んでるから
強い意思がない奴は流されていく
俺はマイナスをプラスに変えてから死ぬ

 しかし、こんな当たり前の生存戦略が、義務教育では煙たがられるらしい。

 以下の約17分間の動画を観てほしい。



 小学校の教師だった湯本雅典さんは、小学校の英語教育をめぐって、英語教師の免許がない教師では授業準備が難しい実態に検証を求める投書を朝日新聞に送った。
 それが掲載されると、勤務先の校長から異動を言い渡された。
 仲間の応援もあって、結果的には転勤を免れたが、心には大きな傷が残った。
 薬の量が増え、音楽なしには通勤できない状態に陥った。

 そして、26年間勤めてきた小学校の教員を中途退職する決断をする。
 51歳になっていた。
 教職には留まりたかったが、自身の体調不良、高齢の親を心配して退職を決意したのだ。
 現在は、親のマンション経営を引き継ぎ、その傍らで子どもたちのための「じゃがいもじゅく」を運営している。

 僕が湯本さんの作品を知ったのは、震災後の福島の学校を撮影した動画がYoutubeにアップされていたのを観て以来だ。
 『学校を辞めます—51歳の僕の選択』は、毎年開催されているヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》コンテストで2008年度に最優秀賞に選ばれた作品。
 今ではDVDが1000円(税込み・送料別)で売られている。

 理不尽で不当な異動を命じる学校・校長に対して、たった一人の孤独な戦いを始めなくてはならなかった湯本さんは、カメラを持ち、自分自身の抱えた問題が社会的な課題であることを明らかにした。
 個人的な問題は、常に政治的な問題であり、同時に社会的な問題なのだ。
 一人で悩むぐらいなら、自分を苦しめる社会の仕組みを表に出そう。
 一人で唇をかみしめ続ける必要なんて、どこにもないのだ。
 僕らはスマホで不当な現実を撮影し、いつでもYoutubeにアップできる時代を生きている。

 不当なガマンだと感じても、孤立を強いられないでいる人は「みんなもガマンしてるんだから」と考え続け、ガマンしなくてよい仕組みを作り出すことに労力を払わない。
 そして、より若い世代に対しても、自分と同じ苦しみを与えてしまう。
 不当なガマンを取り除くことこそ、ガマンしてでも取り組むだけのやりがいのある仕事なのに。

 18歳選挙権が実施される今年、教育現場では、地方自治体・国家予算の額面や収支、借金の増大、戦後の投票率の推移など、実際の数字をふまえた上で政策を考えさせることがない。
 フリーハンドで絵空事の政策を考えさせて模擬選挙をしても、それは「社会的課題の解決や社会の仕組み作りは、有権者である市民自身が取り組む前に真っ先に政治家に頼め」と教えているにすぎないのだ。

 そうした”おままごと”のような教育では、いつまでも国民主権の矜持に基づいた近代的な民主主義には目覚めさせず、「政治家まかせ」の文化をいつまでも継承させ、若者たちのこれから生きていく人生を少しずつ高い税率で苦しめさせることになる。
 「市民の自分自身がこの社会を作る主人公」という主権者意識に目覚める機会を教育が作らない以上、今こうしている間も、これからも、日本の政権与党は借金を重ね、増税をくりかえし、国民の首をじわじわと締め上げていくからだ。

「生きのびるためにこそ疑え、そして不当なものには従うな」
 僕は悪役を買ってでも、そう言い続けよう。
 弱者が生き残るためには少々他人に迷惑をかけてもいいし、生きづらい仕組みを変えるためなら、多くの人に助けを求めてもいいのだと。

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