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■不当なガマンをしないで済む社会の仕組みを作ろう


 イギリスのテレビ局Channel 4が、リオ五輪のパラリンピックのために素敵な動画を公開した。
 「Yes,I can」とくり返し歌い続けるこの動画は、出演者の全員がいわゆる身体障害者だ。
 足でドラムを叩く男の軽快な演奏から始まり、スポーツだけではない身体障害者の人生と生活を多様に描いている。

 ダンスをし、育児をし、車イスで窓をぶち破るスタントをこなし、自動車や飛行機を操縦し、学位を取得し、経営者になり、ギンギンのロックギターを弾き、ガソリンスタンドでも自分で給油する。
 そして、最後に「俺たちゃみんな超人だぜ!」という誇らしい言葉で終わるのだ。



 Channel 4は、wikipediaで「若者、マイノリティ、知識層などを相手にする番組構成で知られる」と紹介されているテレビ局だ。
 僕もChannel 4に依頼され、1999年にPornography : The Secret History Of Civilization(ポルノグラフィー:文明の中に隠されてきた歴史)という番組に出演したことがある(※27分30秒後から)。
 東京・渋谷のイメクラ店を舞台に、インターネットが孤独を救うというコメントを残している。
 Channel 4が公共放送としては光を当てにくい性風俗を真正面から取り上げ、性表現にまつわる歴史的遺産から現代の風俗までを拾い上げたことは、当時でも画期的なことだった。

 今回、Channel 4は、パラリンピックに対する関心を喚起するために、スポーツだけではなく、身体障害者の当事者を前面に出し、彼らの生活や人生を多様に描いたのも、一つには体の違いを特別なものではないとする態度からだろう。
 イギリスには、小人や大男、鼻などの身体の一部が大きい人などが脇役・主役に限らず登場するファンタジー映画も多数あり、社会の一部をなす存在として「平均ではない人間」を組み入れる歴史的かつ文化的な蓄積がある。

 それゆえに、現代のリアルな身体障害者たちをさまざまな形で一気に見せる動画は、ふだん身体障害者とつきあいのない人にも端的に「何が障害(ハンデ)なのか?」を考えさせる。
 どういうことか?


●不当なガマンに気づき、どんな仕組みに変えたいかを叫べ!

 前述したように、身体障害者と呼ばれようとも、彼らは健常者がするのと同じようにダンスをし、育児をし、車イスで窓をぶち破るスタントをこなし、自動車や飛行機を操縦し、学位を取得し、経営者になり、ギンギンのロックギターを弾き、ガソリンスタンドでも自分で給油することができる。

 そこで、「体の一部が機能不全のために苦労するだろう」と考える人もいるだろう。
 その考えこそが、健常者ならではの視点なのだ。
 健常者を「正常」とする”上から目線”なのだ。
 どんな体をしていようと、自分のやりたいことを満足にやりとげるには、努力や工夫が必要だ。
 しかし、個人的な努力は工夫では追いつかないことが、「健常者」と呼ばれない人たちにはたくさんあるのに、それに対して健常者の関心が薄かった歴史が長いのだ。

 たとえば、大学で大教室に入ろうとしても、大きな扉を片手で開けるには力がいる。
 もし車イスを日常的に使っている人や、筋力のない人だったら、この扉は開けられない。
 なぜ、そういう設計にしてあるのか?
 設計したデザイナーが健常者の使用を前提にしていたからだ。

 他にも、段差があるだけで車イスでは通れないし、公衆トイレもバリアフリー・デザインでなければ入れないし、使えない。
 そんな不便な環境を作ったのは誰か?
 健常者である。
 健常者が、健常者でない人に「障害」(ハンデ)と「障害者」という言葉を与えてきたのだ。

 健常者が健常者でない人に障害を与えてきたのは、建築のような環境ばかりではない。
 たとえば、福祉作業所では就労支援の名の下に障害者を月収1万3000円という低収入で働かせている。
 障害者の通う養護学校では、普通科ではない高校がビジネス実務を3年間みっちり身につけさせるプログラムがあるのに対して、起業教育を施さない。
 つまり、政治主導の制度の中でも、健常者ではないというだけで選択肢を狭め、ハンデを与えられる社会環境を築いてきたのだ。
 それは、健常者ではない人を「会社でふつうに働くことができない(=戦力外である)人」として位置づけ、「制度の保護下に置けばいい」という発想が根底にあるからだ。

 そのままでは、健常者ではない人は生きづらい。
 だから、昨今では、健常者でなくても生きやすくなるよう、社会の仕組みを民間から変えてしまおうという社会起業家が世界中で続出している。
 たとえば、スイスで始まった暗闇レストラン(ブラインドレストラン ※英語では「ダーク・ダイニング」)は、視覚障害者のスタッフが給仕の仕事をする店だ。
 日本でも、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が試みている。

 日本で最も「健常者ではない」属性をフル活用しているのは、大阪のミライロという会社だ。
 拙著『よのなかを変える技術』(河出書房新社)や『ソーシャルデザイン50の方法』(中公新書ラクレ)を読まれた方ならご存知だろう。
 ミライロの社員は、社長は車イスを日常的に利用する身体障害者、社員も視覚障害者など、障害者ばかりだ。

 ミライロ代表の垣内俊哉さんは、企業に対してバリアフリーのコンサル事業を手がけるほか、一般社団法人日本ユニバーサルマナー協会を立ち上げ、「ユニバーサルマナー検定」を実施している。
 健常者ではないからこそ、この社会や環境の中でどうしてほしいのかを知っているのだ。
 それは障害を与えられた人にしかわからないことであり、「当事者固有の価値」である。
 この「当事者固有の価値」に気づき、社会の仕組みをもっと生きやすいものへ変えていくことをソーシャルデザインと呼ぶ。
 何かに困っている当事者は、その困っていることを通じてその人自身の価値を社会に対してアピールでき、それによって社会の中に自分の役割(存在意義)を位置づけることができるのだ。

 前述のビデオには、「俺たちゃみんな超人だぜ!」という言葉があった。
 これは、「五輪に出られるぐらい超人的な能力者だ」という意味ではない。
 誰もが自分自身の「当事者固有の価値」に気づく時、障害(ハンデ)を強みに変えられるという力強いメッセージだろう。
 だから、スポーツ選手だけを英雄視するのではなく、育児中のママやロックギターを足で弾く人などを採用したんだろう、と僕は思う。

 もちろん、「みんな超人」という意味は、「健常者だって見えない障害(ハンデ)を負っている」という含みを持つ。
 誰もが自分自身の価値を貶める社会環境を生きている。
 ひとり家庭で貧しかったのに、高校がアルバイトを許さなかったために、卒業と同時に大学へ進学できなかった高校生もいる。
 黙って反対意見のプラカードを掲げただけで、公衆の面前で周囲から罵倒され、小突かれ、一人だけ無理やり排除された女性もいる。
 正義が通らない社会は、生きにくい。

 どんな社会の仕組みがきみの希望や選択肢を奪っているのか?
 その問いに答えを出し、生きやすい仕組みへ変えていくことこそ、誰もが望むことだ。
 「こんなガマンはもうイヤだ」と感じたら、もうガマンはやめよう。
 不当なガマンをさせる社会の仕組みを変えてしまおう。
 本当は、誰もが「超人」になれるんだよ!
 もちろん、きみもね。

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