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■戦争を準備する? 戦争させない仕組みを作る?

 どんな社会に暮らしたいのか?
 それを想像し、自分の求める社会の仕組みを自ら作ろうとする(=社会を設計する)のが、主権者としての誇りだ。
 基本的に「自分自身が日常的な仕事を通じて社会を変える主人公である」という意識が、主権者意識というものだ。
 もちろん、自分だけでは満足な社会設計はできないから、仕方なく必要悪として自分の代わりの人間を選び、自分の財布から税金を払って雇うのが、政治家というものだ。

 しかし、主権者意識を教育によって育ててもらえなかった日本人の多くは、今日でも、社会の変化を自然現象や「運命」だと勘違いしたままだ。
 「自分も自分の暮らす社会を作る主人公」という意識が乏しいのだから、自分の手で社会を変えられることを期待することもないし、想像したことすらない人も珍しくない。
 だから、いざ戦争を準備する動きが起これば、「うちの国も他国と同様に防衛のために軍事予算を増やすのは当然」とか、「政治家がそう動き出したら仕方がない」なんて簡単に受け入れやすい。

 このように、主権者意識が乏しいことは、自分が雇っているはずの政治家を下から見上げる構えを温存してしまう。
 そういう国民は、政治家にとって支配しやすい。
 だから、安倍・自民党は、着々と「戦争のできる日本」へと改造を進めてきた。


 防衛関係予算とは、軍事費だ。
 戦争になれば、政治や富裕層、インテリ層は戦地に行かず、真っ先に安全圏に身を隠す。
 真っ先に最前線で死ぬのは、戦争を準備する政党に投票した国民自身だけだ。
 賢い国民は、なるだけ早めに国を出るなど安全策をとる。
 だって、全体主義で国民の自由を奪う国家のために自分の1個しかない命を差し出す理由なんて、どこにもないんだから。

 そういう賢い国民が増えると戦意高揚ができなくなるので、政治家は「国家のために」とか「非国民」なんて言葉を持ち出してくるんだよ。
 戦争をしたけりゃ、総理自身が「俺が最前線で真っ先に死ぬ」とはっきり国民の前で約束し、死んでみせればいいのに、やらないよね?
 総理や政治家なんて、いくらでも代わりがいるから、真っ先に死んでくれて構わないのに。
 つまり、国民を守る覚悟なんてそもそも無いから、自分の命を差し出すなんてことはしない。
 戦争は、政治家と富裕層、インテリ層などの「強者」を守るために、それ以外の大勢の国民の命を優先的に差し出す行為なんだ。
 気がつけば、平和憲法をもっているはずの日本は、世界5位の軍事大国になっていた。


 安倍・自民党は、軍事に税金をじゃぶじゃぶ使い始めただけではない。
 2013年、特定秘密保護法が成立した(翌年、施行)。
 この法律では、何が秘密かを判断する基準があいまいだし、この法律で完全に無実な人を「あいつはスパイだ」「テロリストだ!」と勝手に決めつけても、その過ちを誰も止められない。
 たとえば、反戦や反原発の運動でも、国が一方的に「お前はスパイ!」と判断すれば、逮捕のありうる時代を、安倍・自民党は作ったわけだ。

 2014年、武器輸出三原則に代わる新たな政府方針として『防衛装備移転三原則』が閣議決定された。
 これは、武器の輸出入を基本的に認める180度の方向転換だ。
 戦争を放棄した憲法を持つ日本で、武器を「防衛装備」と言い換えることは、ダブルスピークそのものだ。
 本来の意味を伝えれば警戒される恐れがあるから、多くの人が思わず納得しやすい言葉に言い換えるレトリックだ。

 「武器」といえば、人を殺す道具だ。
 でも、同じ意味を「防衛装備」といえば、自分を守るのは悪いことじゃないという印象を与える。
 戦争で自分を守ることは、相手を殺すことなのに、自分にだけ都合の良い発想を国民に刷り込もうとしているから、こういうダブルスピークを平気で採用するのだ。

 北朝鮮の正式名称は、朝鮮民主主義人民共和国。
 しかし、現実の北朝鮮には、「民主主義」も、「人民共和制」もない。
 金さんの独裁国家だ。
 それは誰の目にも明らかだ。
 自民党の正式名称は、自由民主党。
 「自由」や「民主主義」を彼らが大事にしているなら、なぜ長期政権の中で、戦後70年間も国民の間に主権者マインドを育ててこなかったのか?

 政治家・富裕層・インテリ層にとって、困るからだ。
 彼ら以外の一般国民が主権者意識に目覚め、多様な意見をもってしまうと、いざ戦争を始める時に「俺たちの安全のために一般国民のお前だけ死ねよ」という現実にピンとくる人が増えてしまって、徴兵拒否や反戦運動が高まってしまい、彼らだけが幸せになれる仕組みを強いてきた責任が問われるからだ。


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 2015年、安倍・自民党は安保関連法を強行採決した。
 こんな法律がすでに成立してしまったのだ。

★集団的自衛権を認める
★自衛隊の活動範囲や、使用できる武器を拡大する
★有事の際に自衛隊を派遣するまでの国会議論の時間を短縮する
★在外邦人救出や米艦防護を可能になる
★武器使用基準を緩和
★上官に反抗した場合の処罰規定を追加

 そして今、安倍・自民党は、自衛隊を「国防軍」(軍隊)として位置づけ、憲法第9条を変えようとしている。
 9条には現在、こう書かれている。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

 だが、自民党の改憲案では、こう書かれている。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する
国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。
この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

 安倍・自民党は、軍事力さえあれば、平和が保てると盲信しているようだ。
 しかし、ナイフを持っている相手には拳銃を備えたくなるように、相手が拳銃を持つなら自分はマシンガンを持つという発想をいつまで続けていっても、それは憎しみと警戒感だけを増大させ、その競争自体が互いに相手を支配したがる憎しみ合いを呼び、いつまでも緊張感の関係しか生み出せない。

 しかも、いざ戦争を始めてしまえば、日本はもう、どこの国にも勝てる勝算がない。
 理由はいくらでもある。
① 日本がどこの国と戦争しようと、日本よりはるかに軍事力のある国々にとっては、日本と敵国の両方をぶんどる方が美味しいビジネスになる
② 敵国という異文化のエトス(作法)を社会学的に研究・理解して戦略を立てなかったために、前の戦争に負けたのだという冷静さが、政権与党の政治家にない
③ 戦争を続けられるのに十分な資源もエネルギーもない国土であるだけでなく、借金と増税を重ねてきたために戦費の調達が難しい
④ 自衛隊には戦後70年間も人を殺した実戦経験がなく、日本より軍事費で上位を占める国々とは戦力・戦術・戦意などあらゆる点で大きな開きがある

 戦争では絶対に勝てないなら、どうするか?
 むしろ、平和憲法を最大限に活用し、「平和の方が儲かる」「武装解除した方が豊かな国になる」という見本を見せる方が、よっぽど世界中の市民から称賛と憧れ、共感を集めるだろう。
 世界中の市民から愛される国を目指せば、どこの国が日本を武力で支配しようとするだろうか?
 そんなことをする政府は、自国民に嫌われ、政権が維持できない。

 戦争は、相手国の市民が憎いから始まるわけではない。
 むしろ、政府が自国の市民に「私たちの国を脅かす国があるんですよ!」とけしかけることによって不安を煽り、煽られた市民が愚かにも政府の言い分を鵜呑みにしてしまうことで起こる。
 実際の戦争は、政治家や富裕層、インテリ層は安全圏にいて、国民だけが損をするのだ。
 国民は、憎くもない外国人に銃を向けることを政府から強いられる。
 戦う相手国の市民も、べつに銃を向ける外国人を憎いわけではないのだ。
 だとすれば、どこの国も市民も、市民自身がバカな政治家を国会に送らないようにすればいい。

 

 今回の参院選で、たとえ野党連合が負けても、平和への希望を捨てる必要はない。
 なぜなら、社会は政治と民間の両輪の仕事で作れるからだ。
 数年に一度の選挙より、毎日続けている自分自身の仕事によって社会を変えられることを知ってほしい。
 実際、社会は政治よりも民間の仕事によってはるかに大きく変えられるのだから。
 政治に期待しても保育園はいつまでも作ってくれないが、お母さんが本気を出せば自分で作ることだってできるのだ。
 東京・墨田区の「ちゃのま保育園」は、そうやってママが自分で作った

 平和も、それと同じだ。
 相手国を攻撃すれば、自分の国が困ってしまう仕組みをお互いにいろいろ作れば、政府のかけ声で戦争を始めるようなことはできなくなる。
 たとえば、日本と外国の間に相互依存的な商売の関係をたくさん作ってしまえばいい。
 相手との関係を、緊張や警戒ではなく、安心に変えればいい。
 それこそが、どこの国の市民とも分かち合える世界共通の価値のはずだ。

 日本にしかない環境保全の技術を中国に上手に売るだけでも、中国は日本を攻撃できなくなる。
 日本の技術なしには公害で汚れた空気をどうにもできず、人民の支持を得られないからだ。
 同時に、中国の安い労働力でユニクロなどのファストファッションは成立しているのだから、ユニクロのような日本企業は中国と戦争を起こそうとする政党を支持しないだろう。
 同じことは、北朝鮮やロシアなど他の「仮想敵国」にも応用できる。
 政治家の暴走は、民間のビジネスによって食い止められる余地が大きいのだ。
 少なくとも、自由に国際間のビジネスができる環境が許されている限りは。

 なお、僕の本『よのなかを変える技術』(河出書房新社)には、PeaceWorksというアメリカの企業が中東の紛争を食い止める仕組みを作ったことを紹介している。
 政治家になめられて、「政治にしか社会を変えられない」なんて勘違いを続けてちゃダメさ。
 社会を変えるのは、あなた自身の毎日の仕事だよ。
 それを少し工夫するだけで、政治家が勝手に仮想敵国にしている国々とも仲良くやれるんだ。
 あなたも、この社会を少しでもマシなものに変えられる主人公なんだよ!

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