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■その苦しみは、社会の仕組みを変えれば終わる

 僕は、1990年からフリーライターとして飯を食ってる(※1997年以後は書籍編集者としても)。
 ライター生活も25年を越えると、今後の25年間の仕事のあり方について、いやでも考えてしまう。

 90年代は、児童虐待の取材を進め、その延長線上にあった自殺・家出について派生的に取材することが15年ほど続いた。
 だから、「生きづらい若者を取材しているライター」という印象が雑誌編集者の間にはいまだに根強くあるようだ。

 今年に入っても、『児童心理 3月号』(金子書房)の「つらさを抱える子どもたち」という特集記事の執筆を依頼され、「きみの声を待っている」という原稿を書いた。
 これは今でも書店の児童心理コーナーで売られているので、読んでみてほしい。
 僕自身がどういう構えや作法で生きづらい若者たちと接しているのかがわかる。
 心理職・教職・福祉職以外の読者にも、学校では教えてもらえない現実の深刻さを伝えるものだ。

 つい最近も、『児童心理』の特集記事で僕の原稿を読んだという『こころの科学増刊 中高生からのライフ&セックス サバイバルガイド』(日本評論社)というムックの編集者から執筆依頼を受け、「親に絶望してしまったときの生き方」という原稿を書いた。
 8月中旬に発売されたばかりなので、これも書店で容易に見つけられる。

 このムックの執筆には、上岡陽江さん(ダルク女性ハウス)、中野有沙さん(株式会社TENGA・LGBT当事者・臨床心理士)、紅音ほたるさん(タレント・元AV女優)など、メンタルヘルスの専門誌にしては珍しい”在野”の実践家の書き手が参加している。

 それぞれの現場で生きづらい若者へのメッセージを受け止め、メディアに発信するのは悪くないし、僕自身もいまだに「はじめまして」の相談メールを地方の若者から受け取ることがある。

 もっとも、個人へのエンパワメントや知識の提供だけでは、どうしようもない深刻な現実がある。

 たった一人の悩みを解決したくても、既存の社会インフラが十分に機能していない。
 たとえば、あなたが仕事の人間関係に疲れ、うつ病になり、失職したとする。
 病院には行っている。
 しかし、再就職ができるかどうかの不安から、うつ病の治る気配がしない。
 持ち金は日に日に目減りし、ひとり暮らしを続けられない不安から、ストレスフルな親子関係にさらされる実家に身を寄せることを考えだすが、なんとか避けたい。

 福祉事務所に相談したら、なんとか奇跡的に生活保護を受給できた。

 ところが、平日昼間に話せる友人はなく、土日でも交際費に使える余裕はほとんどない。
 いつ治るかわからないうつ病と、誰かに頼りたくても誰にも頼れない孤独。
 そして高まる自殺願望…。
 失業からの貧困も、病気による不安も、福祉による孤立化も、こじらせれば、人は死ぬのだ。

 そうした当事者たちと日常的につきあい、少しでも孤独をやわらげ、悩みの解決に伴奏しようと思えば、伴走する人には時間とお金、体力が必要になる。

 話をゆっくり聞くだけでも、膨大な時間を要するし、相談したい当事者が一人の伴走者に集中すれば、伴走者の方が先に倒れてしまう。

 伴走者が増えなければ、頼られたたった一人の伴走者が貧乏になり、生きづらい当事者と共に貧困へ堕ちてゆくだけだ。
 当事者と伴走者が同時に幸せになれる道はないのか?
 そうした疑問の果てに出会ったのが、「社会起業」(ソーシャルビジネス)という言葉だった。

 
●当事者満足度の高い課題解決の仕組みを作り出せ!

 以下の3点を見れば、ソーシャルビジネスが注目に値するだけの価値があるとわかるはずだ。

①貧困・病気・障害・格差などの社会的課題を解決する仕事を作り出し、当事者と伴走者の両者が満足できる仕組みを実現する
②当事者を自殺へ追いやられるずっと前の段階で課題を解決できる仕組みを作り出す
③課題に悩む当事者の自己責任にせず、課題を作り出す社会の仕組み自体を変える

 どんな社会的課題も、それに苦しむ当事者の自己責任だけでは解決しない。
 むしろ、彼らを苦しみに導いた社会の仕組みを変え、誰も同じ課題で苦しまずに済む社会を作った方がいいはずだ。

 だから、僕は10年以上前からソーシャルビジネスについて精力的に取材を続けてきた。

 もっとも、この「ソーシャルビジネス」という言葉が十分に普及しているかといえば、「No」だ。
 言葉だけは聞いたことがあっても、「社会貢献をする仕事だろ?」というざっくりした理解しかできない人は少なくない。
 ソーシャルデザインについても、「デザインの力で社会的課題を解決する」というおかしな理解が一部で広まっている。

 ソーシャルデザインとは、社会設計のことだ。
 社会にある生きづらい仕組み(※法制度・内規・常識・習慣・差別など)を、生きやすい仕組みにデザインし直すことであり、社会的課題を解決する新たな手法を、当事者ニーズに基づいて当事者固有の価値(※当事者にしかできないこと)を活かす形で生み出すことだ。

 ソーシャルビジネスやソーシャルデザインを教える学校は増えているのに、その価値が十分に伝わっていないとしたら、これは教育の貧困なのだ。
 教える側に、既存の生きづらい社会の仕組みをなんとしても変えて、もっと生きやすい社会を実現したいという志がなければ、教えられる側が「社会の仕組みを変える当事者」として自覚するのは難しいだろう。
 「べつに変えても変えなくてもどっちでもいいや」という構えなら、教えられる側は社会を変える手法に関心も持たないだろうし、自分自身が社会を変えられることにもピンとこないだろう。
 今この時も、社会起業家やソーシャルデザイナーたちは社会を変えているのに。

 社会的課題は、それに苦しむ当事者の自己責任を問うだけではいつまでも解決されず、社会の仕組みが悪いことによっていつまでも引き起こされる。
 それは、生きづらい社会が続いていき、仲の良かった友人・知人・家族などが死に追いやられる不安を抱える現実を変えられないってことだ。
 この認識が広く共有されない限り、ソーシャルビジネスやソーシャルデザインの価値に多くの人が気づけるチャンスも調達できない。

 もちろん、日本の義務教育では戦後70年間、主権者である国民に主権者意識をマインドとして教えることはなかったから、いまだに「社会問題? 政治家に任せておけ」という作法が常態化していて、なかなか社会を変える当事者意識に目覚めることが難しい面はあるだろう。
 社会的課題を解決する主権者は国民自身なのに、真っ先に政治家に解決を求めてしまう。
 これでは、政治家に「もっとたくさん税金を使ってくれ」と頼んでいるのと同じだ。
 無策の政治家にそういう構えを見せれば、借金と増税という形で貧しい人ほど当事者負担率が高くなって困ることになるのに、ピンとこない人は少なくない。

 しかし、お金も時間も体力も人並み以上にある中流資産層以上の人たちが語るソーシャルデザインは、どこか「アイデア勝負」か「ビジネス優先」になりがちだ。
 実際、大手の広告代理店が手がけるソーシャルデザインは、その多くがローカルデザイン、もしくは一部の属性の人にしか響かない社会的排除に基づいたありようになっている。
 偏差値50未満の国民にはピンとこない事業内容だったり、消費者になりえない低所得者層をあらかじめ切り捨てたモデルであることも珍しくない。

 だから、僕は『よのなかを変える技術 14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)で、社会的課題に切実に困っている当事者と泥臭く深く付き合い、彼らがあらかじめ蓄積している「当事者固有の価値」を発見し、その価値を喜んでくれる市場を見つけるところからビジネスを興すと無理がないことを指摘しておいた。

 当事者とのコミュニケーションに時間・資金・労力をかけない限り、当事者ニーズを的確に把握することは難しく、「当事者固有の価値」を発見するには至らず、結果的に当事者満足度の高い課題解決の仕組みは作れないからだ。
(※すでにソーシャルデザインやソーシャルビジネスを教わっている学生は、先生に当事者とのコミュニケーションの経験値がどれほどあるか、尋ねてみるといい)

 詳細は本を読んでほしいが、依頼があれば、地方のどこへでも講演・講義に駆けつけるし、Skypeや電話でも相談に応じている。
 今年は既に東京で1回、京都で2回、ソーシャルデザイン/ソーシャルビジネスの講義を行ったが、以下のようなニーズにも柔軟に対応したい。

★これから授業でソーシャルデザインを教える予定の教職者向け研修会
★学園祭や文化祭などで学生・教師が企画する講演会
★CSRアクションをもっと洗練させたい企業の社会貢献セクションによる研修会
★自治体あるいは青年会議所・商工会議所などでの講演会
★今後のビジネスの持続性を考えるセミナー・講習会など

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