去年2024年、福岡県みやま市の小学校で、小学1年生(当時7歳)が給食のウズラの卵をのどに詰まらせて亡くなった。
この子の父親は、ウズラの卵の危険性について指導が欠如していた、窒息事故について発見・救命措置の遅れがあったと指摘し、慰謝料など6000万円の損害賠償を求め、みやま市に対して提訴した。
このニュース記事をYahoo!ニュースで見た時、そこについてるコメントがあまりにも醜悪だったので、あえて紹介しておく。
「何でもかんでも学校のせいにしちゃいかんと思う。いちいち言わんでしょ、『ウズラの卵を丸飲みしてはいけません』って。どちらかというと、家庭での躾の問題かと」
こんなコメントに「共感した」が8万人以上もいたのだ。
1日のうちで子どもが過ごす時間が一番長いのは、家庭ではなく、幼稚園・小学校などの学校だ。
しかも、学校内での事故は法律上、基本的に学校が法的責任を問われる。
学校保健安全法という法律で、学校には「安全配慮義務」というのが課されている。
具体的にはこういう条文だ。
(学校安全に関する学校の設置者の責務)
第二十六条 学校の設置者は、児童生徒等の安全の確保を図るため、その設置する学校において、事故、加害行為、災害等により児童生徒等に生ずる危険を防止し、及び事故等により児童生徒等に危険又は危害が現に生じた場合において適切に対処することができるよう、当該学校の施設及び設備並びに管理運営体制の整備充実その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
この法律によって、過去にも学校で起きた窒息による事故については、学校側が法的責任をとってきた。
実は、学校で食べ物による窒息でなくなるケースは、本件が初めてではない。
2012年、栃木市の幼稚園で2歳の子どもが白玉団子をのどに詰まらせて窒息。
2013年、札幌市で特別支援学級2年の子どもがプラムの種をのどに詰まらせて窒息。
2015年、大阪市の小学1年の子どもがうずらの卵などを詰まらせて窒息。
2021年、新潟県佐渡市でも給食の米粉パンを喉に詰まらせた小5の男児が窒息。
2023年、鹿児島県の保育園で生後6カ月の女児がすり下ろしたリンゴを食べて窒息。
ニュース検索をするだけで、こうした事例の一部はすぐに見つかるが、これはあくまでも氷山の一角にすぎない。
学校以外でも、歯医者さんや家庭など、さまざまなところで、食べ物をのどにつまらせて窒息する子どもが大勢いる。
東京では、救急搬送されただけで、年間1000人以上の子どもが、食べ物をのどにつまらせているのだ。
6歳以上から17歳までの未成年を含めれば、さらに年間1000人程度が見込めるとして、日本全国なら、少なくとも年間2万人の未成年に窒息の危険があると予測できる。
もちろん、学校給食で子どもの体に合わせて学年別に食材の大きさを小さく切り分けたり、家庭でも「よく噛んで食べよう」とか「急いで食べるのは危険だよ」と教える必要はある。
しかし、同じ学年でも体の大きい子もいれば、歯が生え変わる時期の低学年で食材をかみ切る力の弱い子もいる。
安い学校給食に過剰な期待を抱いても、できることには限界があるだろう。
それは家庭も同じで、共働きで子どもを1人だけにしてしまうことはゼロにはできず、丸いアメやこんにゃくゼリーを親の知らない時に食べてしまうことは避けられない。
せめて知識として、親も子も危険な食事を避けられるように、日本小児科学会のホームページを紹介しておこう。
文部科学省が発行する「食に関する指導」(2019年改訂版242ページ)では、「丸い形状のものは、のどに詰まる危険性が高い」と書かれている。
日本小児科学会も「窒息につながりやすい食品」として、ブドウやミニトマトとともに、ウズラの卵を挙げている。
しかし、教職員や親たちがこうした窒息の危険を学ぼうとしないなら、同じ悲劇はくり返される。
今回、遺族の父親が提訴した福岡県みやま市の教育委員会は、うずらの卵が「危険な食材という認識はなかった」「2015年の事故(大阪での子どもの窒息事件)に関する通知はなかった」としていて、過去の事故の教訓が共有されないままなのだ。
文科省から通知されないと対策を取らないという学校の居直りは、「あれもこれも学んでいる余裕はない」という教職員の悲鳴かもしれない。
実際、子どもにとってのリスクは、食べ物の窒息だけではない。
先生からいやらしいことをされたり、教室でいじめられて一人で亡くなったり、親に虐待されるなど、リスクはイヤになるほど多いのだ。
しかし、学校はあくまでも国家にとって都合の良い人材を生み出す目的で運営されているため、あれもこれも無限に責任を取ることはできない。
子どもが命を奪われるようなことが起きない限り、先手を打つようなことはほとんど無理だろう。
しかも、公立校は政治の結果として税金で運営されているため、有権者の大人が子どもの安全や人権に関心を持たない限り、公立校は変わりようがないのだ。
もちろん、子どもに関する問題の責任を一手に引き受けるために作られたこども家庭庁は、給食の安全性に関する専門家を集めて、緊急に安全給食マニュアルの改訂版を作り、教育現場に導入しやすいものを発表すべきだろう。
それでも、有権者である大人たちが政治に対して「子どもの安全のためにちゃんと動けよ!」と突っ込んでいかない限り、こども家庭庁は何もせずに安穏としていられるし、その結果、学校も変わらずに子どもに危険な給食を提供し続けるだけだ。
では、そもそも多くの日本人は、子どもの安全や人権に関心があったか?
そう自問してみれば、「子どもの時は自分の人権を考えていたけれど、大人になってからは子どもの人権について考えることは減った」と感じる日本人がほとんどではないか?
子どもの人権を深刻に考える有権者の大人が過半数もいるなら、親に傷つけられている子どもの問題も減っているはずだが、児童相談所への相談件数は30年以上も増え続けるばかりで、一度も減っていない。
僕ら日本人は、大人を前提に子どもの生きる環境を整えようとしていないか?
多様性を重視したいなら、「大人にはカンタンにできても、子どもにはほとんどムリ」という社会の仕組みに関心を持つ必要がある。
そこで、みなさんに質問したい。
あなたが気づいて悶々としている、「大人にはカンタンにできても、子どもにはほとんどムリ」という社会の仕組みとは何だろう?
たとえば…
●子どもにも裁判する権利があるのに、親を訴えようとしても、同居中だし、お金もないから、実際には提訴する権利が使えない
●給食の中身に自分がアレルギー反応を起こす食材が入っていたけど、先生に言っても「全部食べなさい」で処理されてしまい、交渉できない
●18歳で成人を迎えたら、未成年の頃に親に渡したお金のうち、養育費や進学費などを除いたお金は返される法律なのに、1円も返してくれない
●子どもの権利として何ができて、何ができないのかについて学ぶ機会がほしいのに、公教育でも民間でも子ども向けに教えてもらえる機会がない
●高齢者や障害者、ペット向けの防災マニュアルはあるのに、子ども向けの防災マニュアルがないので、大地震が来たらどう備えていいか、不安
●アルバイトしても、その稼ぎを全部親が「子どもの財産管理権」を持ち出して奪ってしまうので、自分の欲しいものが買えずに困っている
●子ども食堂で食事をしたくても、親が反対するので友達と一緒に行くことができず、フードバンクで食材をもらおうとしても親に拒否されて困っている
●子どもを裸にさせる学校の校則や指導内容がおかしいので、学校に文句を言いたいが、どのように解決していいか、わからない
●18歳成人になっても、パスポートや自動車免許証、マイナンバーカードが無いと、スマホを契約することができない
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