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子育て支援が、虐待死を止められない理由 #児童虐待


 3歳の子を残して、8日間も交際相手の元へ行っていた母親。
 当然、子どもは衰弱死。

 虐待死の事件が起こるたび、「子育て支援を拡充して!」と声が上がる。
 だけど、残念ながら、子どもを虐待する親は支援に手を伸ばさないし、相談窓口にも足を運ばない。

 なぜか。
 自分の育児に自信がないのを叱られるのが怖いからだ。
 自分が親として責任を満足に果たせてないことを、薄々自覚してるからだ。
 だから、子育てと仕事に追いつめられた弱者の取る選択肢は、結果的に現実逃避になる。

 行政がいくら「勇気を出して相談を」と広報しようと、その勇気を当事者の虐待親は出せない。
 それは、虐待された子どもも同じだ。

 勇気を持つべきなのは、むしろ支援する側だろう。
 役人は座って待っていれば、相談電話にも出られるだろう。
 しかし、毎日深刻に思いつめられている親や子どもが安心して相談できる雰囲気や構えを、役人自身は自己演出できていたか?

 相談を受ける側が、自分自身の構えの傲慢さに気づき、勇気を出して自分を変えようと試みていたなら、この親も子どもと一緒に早めに役所へ足を運べたかもしれない。
 そして、3歳児が命を失うことは、なかったかもしれない。

 子育て支援を担う役人は、想像してみてほしい。
 人にはそれぞれ弱みがある。

 役人が専門卒や大卒、資格所有者なら、高卒の親はまぶしくて近寄りがたい。
 何も悩みがないような笑顔で声をかけられたら、うつ病や発達障害の親はなんだか申し訳なく感じることさえあるのだ。

 子育て支援は、必要だ。
 しかし、現実を見れば、虐待親にとってその支援の手は冷たく、虐待防止策として有効に機能しているとは言いがたい。

 その不都合な現実を認め、失敗を反省するところからしか、子育て支援が虐待防止策として機能することは始まらないだろう。

 そして、何より重要なのは、親以上に子どもを支援すること。
 子どもへの支援が、この国にはない。
 児童福祉の専門家や研究者も、親権制度がどれほど子どもを追いつめているかについて、ずっと他人事にしてきたのだ。

 子育ての苦労を思いやる前に、虐待される子どもの苦しみから目をそむけないで。
 せめて『日本一醜い親への手紙~』をAmazonで買って、読んでください。
 そして、『子ども虐待防止策イベント』をあなたの地元で開催してください。



千葉県と市原市は、「虐待事件の非公表」を撤回して!
 http://chng.it/TPnr7Wm7 




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