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ミモレというweb記事に、「親の貧困、子に報い?『貧乏なら我慢しろ』の声に思う、生い立ちで制限される社会への違和感」というタイトルの記事が載っていた。
その記事では、ライターのヒオカさんの書いた本『人生は生い立ちが8割 見えない貧困は連鎖する』から、次のように引用していた。
「教育格差の解消に取り組む公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの調査では、世帯年収300万円未満の家庭の子どもの約3人に1人が、1年を通じて『学校外の体験活動を何もしていない』という。
直近1年で学校外の体験がない子どもの割合は世帯年収300〜599万円だと20.2%、600万円以上だと11.3%と、家庭の所得が子どもの体験の差に如実に表れている。
貧困家庭の子が留学したいと言ったとして、それってそんなに罵詈雑言を浴びせられて非難されるようなことなんだろうか。親が貧乏だとして、子どもには一切の非はない。
もっと言えば、その親だって、かつて貧困家庭の子どもで、負の連鎖から抜け出せていないのかもしれない。
それなのに、なぜ子どもは親の事情を受け入れて、身の程をわきまえた選択をしなければならないのだろう。身の程知らずの夢を見ることは、不道徳なことなのだろうか。
以前、とある生徒の部活に関する記事で、野球部の道具代や遠征代が高く、続けさせるのが厳しいという親の声が取り上げられたことがあった。
野球部はもはや経済的に余裕のある家庭しか所属できなくなっているという内容だった。
これに対して、ヤフーニュースの上位のコメントは『お金がかかるのは当たり前。野球などお金のかかる部活は贅沢だ』『お金がないなら選択肢が限られるのは当然』といったものだった。
正直、多額の費用がかかる習い事や留学などではなく、参加が必須の学校も多い部活に対し、『贅沢だ』『お金がないなら諦めるべき』といった声が大多数を占めたことは驚きだった。
みんな、そんなに親次第で子どもの人生が制限されることを肯定したいのか?
親ガチャという言葉が流行ったわりに、矛盾していないだろうか?
親ガチャをなくしたいなら、どんな家庭に生まれても、塾に行けて、習い事ができて、いろんな学校を受験することができて、留学したいならできる。
そういう社会にすればいと思うんだけど、違うのかな?
それって、そんなに絵空事なんだろうか。
どんな性別や家庭に生まれても、たとえ障害を持って生まれたとしても、他の人と対等に渡り合える。
努力したらある程度人生を好転させられる。そんな社会のほうが豊かではないか、と思うのだ。
生い立ちにおいてアドバンテージがある人は、安定した環境で育ち、塾や家庭教師、さまざまな習い事など、あらゆる投資をしてもらえて、人生を手堅く成功させていく。
逆に、ハンディを持った人は、十分な教育や投資を受けられず、あらゆる選択肢が閉ざされ、機会が奪われ、さらなる負の連鎖に組みこまれていく。それでも仕方がない、と言うのだろうか。
果たして、生まれで人生が決まるような社会でいいのだろうか。
明日の生活を心配するような余裕のない環境では夢見ることも難しく、何かを志したところで、貧乏人が何かを夢見れば心がへし折れるくらいバッシングを受けるような世の中だけど、どんな生い立ちでも、生きたいように生きられる社会を見てみたい」
以上の文章を書いたヒオカさんは、1995年生まれの女性ライターで、地方都市の貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学。
上京してライターになった後は、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーに活動をしているそうだ。
彼女の主張に、僕はおおむね賛成だし、共感もする。
ただし、ほんの少しだけ違和感を持った。
「どんな生い立ちでも、生きたいように生きられる社会を見てみたい」と望んでいる彼女は、婦人公論.jpでは「すべての人が望めば質の高い教育を受けられる社会の方が優秀な人が育ちやすい」と書いていたのだ。
彼女の言う「優秀な人」とは、どんな人なんだろうか?
単純に高学歴層を意味するなら、高学歴層の人たちは 「どんな生い立ちでも、生きたいように生きられる社会」を作り出してきただろうか?
残念ながら、高い偏差値の人たちは、そんな社会を戦後、作ってこなかった。
彼らは自分の高い学力を使って、自分より低い学力の人の所得を増やす仕組みを作らなかったよね?
たとえば、毎年3000人の東大卒が社会に出て行き、戦後80年だから20万人以上の東大卒が日本社会にいるわけだけど、「どんな生い立ちでも、生きたいように生きられる社会」を作り出してきた人物が、政治家や大企業の社員にいただろうか?
もし、そのような志で仕事をしてきたのが、東大卒の大半だったら、政治はもっと良くなったはずだし、大企業は下請け先の中小企業も含めて賃上げできただろうし、子ども食堂が全国に1万か所も生まれるような貧困家庭が増えることはなかっただろう。
だから、ハッキリ言っておこう。
高学歴になったからといって、「どんな生い立ちでも、生きたいように生きられる社会」を作り出す動機は生まれないし、そんな社会を作れるような優秀さは身につかない。
残念だが、東大卒のような高学歴になっても、彼らは自分の高い所得を守ることが最優先であり、生い立ちによって貧困化させられる家庭の子どもには無関心なのだ。
それに、たとえこれから日本の大学を目指して大卒になろうとしても、大学受験は既に全入時代に入っており、大学や学部を増やすか、留学生枠を狭めるようなことをしない限り、大卒者を増やすことはできない。
今日では6割以上の高校生が大学へ進学しているが、それ以上、大学進学率を高めるのは難しいのだ。
つまり、これから大学に入りたくても入れない高校生が3割以上もいる。
これを忘れないでおきたい。
日本は既に少子化を止められずにいるので、大学は留学生の受験者数を増やして定員を確保しないと運営できない。
大学や学部を増やせるのは偏差値70以上の高偏差値の一部の大学だけになるが、そこまで高い偏差値の大学に入るには、幼稚園の頃から教育投資のできる家庭だけだろう。
親の学歴が高ければ、子どもの所得も高くなることは10年前から、ハッキリ統計に表れている。
たとえば、父親が中卒なら、子どもの世帯年収は682万円。高卒なら734万円。大卒なら903万円だったのだ。
こうした親子間の貧困の連鎖は、女性の貧困にも影響している。
つまり、大卒者の親は自分の子どもを大卒にしたがるが、大卒でない親は自分の子どもを大卒にしたくてもできずにいるのだ。
だから結果的に大企業に雇われれば勝ち組になるわけだが、日本の企業の99%以上は中小企業だ。
そこで中小企業にへばりついたままでは、高卒以下の人は雇われている限り貧困化し、子どもを幼い頃から大学へ進学させるだけの教育投資ができないまま、子どもも高卒にさせてしまう。
この現実をふまえて、「どんな生い立ちでも、生きたいように生きられる社会」を作り出すには、大学進学や雇われることにこだわり続けるのはやめて、むしろ高卒でも、雇われなくても、東大卒と同じ程度の年収を確保できる働き方を選ぶしかない。
ちなみに、日経転職版の年収調査によると、2022年の時点で、東大卒の20代の平均年収は約637万円だった。
高卒でも、半年間に雑誌編集部に片っ端からあいさつ回りの売り込みをちゃんとやれば、いきなりフリーランスの自営業を始めても、東大卒と変わらない年収を作り出すことはできるのだ。
もっとも、小学生や中学生の頃から自分で仕事を作り出す起業というものを、意識せずに学んでいた経験はあった。
ヤンキーやギャルなど、勉強嫌いの友達が多かった僕は、彼らから多くのことを学んだ。
中古レコード屋が出始めの頃だった1970年代後半の頃、ヤンキーは定価の10%で中古レコード屋に自分のレコードを売るより、教室で仲間に売る方が半値か30%で売れるので、儲かることを知っていた。
1980年代初頭の高校時代は、ヤンキーが通うFランク高校の生徒たちは留年や退学の不安に揺れていた。
そこで、追試テストで点を取れるように指導してあげると、10万円など万単位の謝礼をくれる富裕層の家の子もいた。
彼らは勉強が苦手だとわかっているから、学校の教科とは異なることを商売にしていた。
バイク好きの男子高校生は、バイクの修理で手数料をとっていたし、ギャルの女子高生は望まぬ妊娠をした子がいたら、何も聞かずに堕胎手術をしてくれる医者を紹介して手数料をとっていた。
彼らは仕事づくり、つまり起業するのが上手かったのだ。
学校の勉強ができないからといって、起業できないわけじゃない。
むしろ逆だ。
雇われても安い賃金しかもらえない低学歴なら、自分のやりたい仕事を自分で作り出す起業に挑戦する方が、所得を増やす早道なのだ。
そして、今日では、中高生はもちろん、小学生まで続々と起業している。
耳に穴をあけることに抵抗を感じるものの、イヤリングのようなアクセサリーはつけたいと思った小学生の女子児童は、穴を開けずに耳たぶに引っ掛ける形のアクセサリーを自分で作り、特許まで取得した。
化学記号でカードゲームを開発して出版社から販売した中学生もいれば、自宅で塾を開業した小学生もいる。
一部の頭の悪い大人たちから批判されがちな不登校YouTuberだったゆたぼんくんのチャンネルの登録者は15万人以上もいるので、それだけで東大卒の平均年収を余裕で超えているだろう。
YouTubeは番組制作による広告収益ビジネスなので、気軽に参入できる小学生の憧れの仕事になっている。これも起業の一つと言える。
小中学生は労働基準法のせいでどこにも雇われないので、自分で仕事を作り出すしか手持ちのお金を増やせない。だから、ゆたぼんくんはあこがれの的になるわけだ。
他にも、紹介すればきりがないほど、小中学生の起業家が日に日に増えているので、ニュース検索で「中学生」「起業」という2つの単語で調べてみるといい。
そのように、子どもの頃から稼ぐ力を身に着けて行けば、受験塾の費用や大学の学費などを自分で賄えるようになっているかもしれない。
しかし、既に学生を増やせなくなっている大学に自分が入ることは、誰かを蹴落とすことであり、同時に大学に入れない子を救う志を奪われることでもある。
むしろ、起業がうまくいった子は、事業規模を大きくして、1人でも高い賃金で雇える会社を作り、東大に入らなくても、障害者であっても、病人であっても、親や自分が高卒でも、東大卒と変わらない年収を作れる経営者に育ってほしい。
それが、どんな貧乏な家庭に生まれても選択肢を奪われない仕組みを作ることであり、それを実現できる人こそ本当に優秀な人材ではないだろうか?
子どもができることは、大人でもできる。
月に数万円ほど所得を増やしたいなら、真面目にスモールビジネスを考え、実践し、結果を出しながら、ビジネスを育ててみてほしい。
そこで、みなさんにお尋ねしたい。
あなたが起業、つまり自分の仕事を作り出すのに、壁になっていることは何だろう?
たとえば…
●元手が無いと何もできないのでは、という不安がある
●1日1時間の時間を作ることもできないほど多忙だ
●子育てで時間を取られ、資格をとる勉強すらできない
●そもそも何をしたいか、わからない
●お金に困ってないので、仕事を作る動機がない
あなたの意見も、以下の動画のチャット欄やコメント欄に書いてみてほしい。