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今年2026年4月1日から改正民法が施行される。
テレビや新聞では、離婚後の共同親権だけを取り上げることが多いが、僕が関心を持ってほしいポイントは、そこではない。
何しろ、民法が改正されるのは、明治時代以来の約120年ぶりなので、親権制度一つとっても、昨年まではと大きく変わっている。
そこで、とりあえず2本のweb記事を読んでみたい。
一つは、事実婚のカップルに、法律婚という選択肢が開かれたというHanasone(ハナソネ)の記事。
記事の最後に、こう書かれていた。
「制度に合わせて生き方を変えるのではなく、自分たちの生き方に制度を近づけていく。その感覚にこそ、今回の改正の意味がある」
制度に振り回される大人の生きづらさを問題にするなら、子どもも制度に振り回されてきたことを、思い出してほしい。
共同親権になれば、親からひどい扱いを受けている子どもは、命を奪われる危険性が高まるのだから。
だから、離婚後の共同親権が施行されたら、子どもにとって危険だと警告する弁護士は、珍しくない。
そこで、共同通信の記事を読んでみよう。
この記事では、男社会である裁判官に対しての不信感が見て取れるが、実際、離婚後の共同親権が選ばれても、一緒に住んでいない父親が、子どもと会おうとする際、つい先月までは、子どもは会うことを拒否する権利が無かった。
しかし、民法改正によって、子どもは親から命令されても従う必要がなくなった。
民法818条から、「成年に達しない子は、
父母の親権に服する」という文章が削除されたからだ。
実は、子どもにとって民法の改正は、親の奴隷である立場からの解放であり、革命なのだ。
これからの日本の子どもは、親から何を命令されても、従う法的根拠はない。
ということは、両親が離婚して、一緒に住んでいない父親が「子どもと会いたい」と言ってきても、子どもにはその命令に従う義務はないから、会わずに逃げることができるのだ。
もちろん、一緒に生活している母親が子どもを生きづらくなってしまう育て方をしていれば、子どもは家出するかもしれない。
しかし、子どもにはもう親に従う法的根拠はないのだから、親=親権者である大人が「家にいなさい」「帰ってきなさい」と子どもに言ったところで、意味がない。
親権者には、子どもの居場所を一方的に決める居所指定権があるが、子どもはそれに従う必要がないのだから、家出を不良行為と呼ぶこともできなくなるだろう。
もっとも、民法改正で子どもは親の奴隷からは解放されたが、大人と同程度の権利を法律上、獲得できたわけではない。
親権者には「子どもの利益」のために親権を行使しろと義務づけたが、何が「子どもの利益」にかなうのかについては、日常生活では親が判断することになる。
子ども自身は、自分の権利として自分の利益を考え、守る権利すら、法律で保証されてはいないのだ。
親を親権者から外す権利もないので、親が自分を生きづらくする危険人物なら、子ども自身が親権者を選択・排除・追加する権利を法律に明記する必要がある。
人間関係は、相手から関係を断たれるのが怖いから、相手の人権を尊重し、傷つけないようにしようと試行錯誤を要求されるものだ。
では、親は、子どもから捨てられないように、子どもの人権を尊重し、傷つけないように、試行錯誤してくれてるだろうか?
そういう親が多数派だったら、日本の子どもはいつでも親を相手取って裁判ができるようになっていたはずだ。
子どもには、親を相手取って裁判ができる権利が法律で認められているのに、実際にはその権利を行使できない。
同じ屋根の下で生活している親を訴えたら、親からどんなにひどい仕返しをされるかわからないし、裁判費用もないからだ。
もっとも、未成年の自分に裁判を受ける権利があることを知らない中高生の方が多数派だろう。
自分に権利があるなんて、ほとんどの子どもは思いもつかず、何をやろうにも、親に「ねぇ○○していい?」と許可を求めるのが習慣になっているじゃないか。
民法が改正された今、親や先生などの大人が子どもに伝えるべきは、「自分のことは、自分の頭で考えて、自分のできることを増やしていこう」ってことだと思う。
子どもがやりたいことを見つけた時、邪魔にならないようにするのが、大人の役割だ。
あなたは、子どもにとってジャマになってはいないかな?
