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■朝日新聞「家出少女につけ込む大人」とは誰か?

 朝日新聞2018年10月12日付の記事に、あまりにも被虐待児に対して配慮を欠く内容が載っていたので、思わずfacebookに語気を荒げた文章を書き連ねてしまった。

 その記事を読むたびに、ムカムカしてくる。
 そこで、何に対してムカムカしているのかを整理する意味で、facebookに書いた内容をベースに書き足した文章を、ここに残しておこう。

 児童虐待の相談件数ワースト1の大阪では、NHK大阪が今年1年間レギュラー番組に虐待について特集を組んでいる。
 一方、ワースト2の東京にある朝日新聞では、まるで縦割り行政のように「虐待は虐待。家出は家出」と言わんばかりのトンデモ記事を発表。

 家出せざるを得ない子が、あたかも「あたたかい家」で暮らしてきたかのように…。


SNSなどで児童ポルノや児童買春といった被害に遭った子どもは2017年に1813に上り、10年で2倍以上
 警察に行方不明者届が出された10代の人数は1万6412人(2017年)で、理由は『家庭関係』が6205人で最多

 記事には、そう書かれてる。
 なのに、全国の児童相談所に寄せられた児童虐待の相談件数が年間13万件を突破し、26年間で130に増えた深刻な現実は書かない。
 あわせて書けば、「家の中」の人間と「家の外」の人間のどちらが危険で、どちらが優先的に取り組まなければならない課題なのかが、一瞬でバレてしまうからだ。

 SNSなどで出会った「家の外」の人間による被害者より、「家の中」にいる親から虐待されている子どものケースが2ケタ以上も多いのだ。
 そういう現実をふまえない記事を書くのは、記者自身が家出についてちゃんと取材していないからだ。

 家出は、親による虐待からの自主避難である。
 震災後の場合、路上にちらばるがれきで傷ついても、がれきを払って立ち上がり、避難所など安心の居場所を探し求めるだろう。
 子どもにとって、親から虐待されるという事態は、災害そのものなのだ。

 この認識がないから、この記者たちは全国webカウンセリング協議会の安川雅史・理事長のこんなコメントを載せてしまった。

「親を含め、周りの大人が子どものネットの使い道に無関心過ぎる。家族や学校が子どもたちと向き合い、使い方や危険性などの教育を地道にしていくしかない」

 これがまったく筋違いのコメントであることは、賢明な読者ならもうお気づきだろう。

 そもそも、「10代に人気の最新のアプリ」はめまぐるしく変わっている。
 それをいちいち把握するなんてほとんどの大人にとって無理だし、「子どもたちと向き合い、使い方や危険性などの教育を地道に」できる家庭や学校なら、子ども虐待はそもそも起こりようがなく、家出する動機も生まれないではないか!

 なぜこの記者たちは、家出せざるを得ない子も読む新聞に、「家の外」よりはるかに危険な「家の中」にい続けた方がいいと勧めるかのような記事を書いたのか?
 おそらく、この記事を書いた2人の記者は、警察庁がネットで公表している統計をちゃんと見てない。

 そこには、未成年の家出人で犯罪の被害者になったケースが1.7%しかいないレアケースであることが、ちゃんと公表されているのだから。
 「家出=不良行為=危険」という勝手なイメージから抜けきれないまま、警察庁の統計を見れば、記事を書くのに都合の良い部分にしか目を通さないだろう。

 その通りなら、ジャーナリスト失格だ。
 サラリーマンとして、現実より上司の顔色をうかがって定年まで働けばいい。
 退職後は、「あの人、朝日新聞の記者だったのよ」「あら、偉いわね~」とご近所にほめられながら、その優等生的な人生を突っ走ればいい。

 逆に、公表されている数字を知っていながら「家の外」の危険をことさら強調する記事をあえて書いたなら、明らかな印象操作であり、購読者に対して不誠実だと言わざるを得ない。

 それどころか、家出を危険視する記事に異議を申し立てることができない弱い立場の未成年に対して、一方的な物言いや勝手な解釈をする構えは、子どもの人権を侵害しているといっていいかもしれない。

 もし成人女性や高齢男性が「家の外」で被害に遭ったら、被害者にその事件の経緯や事実を確認するはずだ。
 なぜ、未成年の家出人にはそれをせず、当事者をかやの外に置くのか?

 はっきり言ってしまおう。
 新聞記者が、家出したい(or 家出した)中高生から信頼されていないからだ。
 新聞記者はどうせ「家出するな」と言いたがることを、彼らは見抜いている。
 だから、新聞記者に家の事情に関する相談を彼ら自身から持ちかけたりせず、新聞記者の側も取材対象にありつくことが難しいままなのだ。

 インテリ風を吹かしてると、苦しんでる当事者から嫌われやすく、しかも「良い子」がそのまま大人になったような記者を見れば、「この人に『あたたかくない家』なんてわかるのだろうか…」と不信感を持つのは当然ではないか?

 「家出するな。家の外には怖い人がいるぞ」というキャンペーンは、本当に愚かだ。
 家出せざるを得ない子どもにとって、家こそが最悪に危険だから仕方なく出るのであって、それに比べれば、外は「相対的に安全」なのだから。

 たとえば、父親からレイプされてきた娘にとっては、援助交際だろうが、「泊め男」とのセックスだろうが、父親によるレイプより「まだマシ」かもしれない。
 毎日、精神的に危うい母親から刃物を振り回されている息子にとって、ネットで知り合った誰かに傷つけられることがあろうとも、「母と同じ家で寝るよりはるかに安心」だろう。

 日常的に親から虐待されてきた子どもにとって、愛情たっぷりに育てられてきた人の無邪気な笑顔や安心は、すわりの悪いイスになってしまうことがある。
 むしろ、「家の中」と同じように自分に与えられる不当なガマンを対価として一時的な安心を得る方が、ずっと慣れ親しんできた「いつもどおり」の「仕方ないこと」として、どこかホッとしてしまうところがあるのだ。

 そういう家庭で育った子どものもつ固有の事情や倒錯的な感覚をすっ飛ばして、「家の外は危険」だけを書きたがる新聞記者は、脳内お花畑と言われても仕方ない。

 では、新聞記事で書かれる「ネットを使って家出したら危険」というお決まりの文脈は、なぜ繰り返されてしまうのか?

 簡単だ。
 子どもを不自由にする記事を読んでも、子どもは記者を叱ることもできないし、新聞代を払ってる購読者でもない存在だから、新聞社側も子どもの気持ちを平気で無視できるからだ。

 そういう子どもの弱い立場にあぐらをかいて、「家の外は危険」とばかり言いたがる記者は、いつまでも家出せざるを得ない子の気持ちをくもうとはしない。
 くもうとしなくても上司に叱られないし、自分の給料が減るわけでもないからだ。

 何も困らないから、家出せざるを得ない子の話も聞かないまま、自説にとって都合の良いコメントをくれる人に都合の良い言葉だけを引き出して、記事を作り続ける。
 それは、その記者自身が「家庭はあたたかいもの」(→だから家出は悪いこと)という幻想に取りつかれていることに無関心だから、かもしれない。

 しかし、その安っぽい幻想は、やがて「家庭はあたたかいものであるべきだ」という原理主義を生み、そんな家庭を望んでも、どうしても届かない無力感にうちひしがれている多くの親たちを追いつめ、自責の念から生まれたストレスは、子どもへの虐待を動機づけてしまう。
(家族幻想を「べき論」のように万人に強いるようすは、小学校で成績の良い子が悪い子をさげすむまなざしによく似ている)

 そういう現実が続けばこそ、虐待はいつまでも社会的課題のままであり続け、深刻な記事として読者のニーズが担保され、記者はいつまでも「こんなに深刻なんですよ」と読者を釣り上げることができ、自分の仕事を守れる。
 これぞ、マッチポンプ!

 結局、記者自身の仕事を守るために、「家族はあったかいもの」という理想を万人に強いるのだ。
 絵に描いた餅を見せ続けることで、不幸な家庭に生きる人々は永遠に否定され続け、自己責任を強いられる。

 親から虐待されている子どもは、そんな親から避難することを「悪いこと」だと思わされて、家にも外にも行けない自分の無力を責め続け、「もう何でもいいや」とやけを起こし、相手がどんな人だろうと「自分なんかどうなってもいい」という気持ちで家を飛び出してしまう。

 家出は、親による虐待からの自主避難である。
 だからこそ、家出を正当化できる文脈と方法を広めない限り、被虐待児の精神は壊れ、自殺や自傷行為のように家を飛び出すことを動機づけてしまうのだ。

 それが、僕が1999年に『完全家出マニュアル』を出版した動機だった。
 でも、それからの20年間、家出を報じる新聞記者の取材不足は変わってない。
 だから僕は、noteでこつこつと『21世紀版・完全家出マニュアル』を書き始めてる。
(※Amazonで古本が1万円以上の値がついてしまっていることも耐えられないから)

 被虐待児を「家の外」へ避難させず、「家の中」に縛りつける記事を書くことによって、読者の子どもが自殺しようが、精神病になろうが、新聞記者は「自分は良かれと思って書いただけ」とうそぶくのだろうか?



有近隆史さん、田中聡子さん、僕の講演を取材してよ!

 朝日の今回の記事に対しては、子どもに対する直接の悪影響も懸念される。
 家出せざるを得ない子に「体を貸せば家出できるのか!」という気づきを与えてしまいかねないからだ。

 90年代初頭にブルセラや援助交際が流行った時も、そうした記事を見て「そんな簡単にお金が入るんだ」と気づいて始める10代が、報道が増えるたびに増えていった。
 それは、若者取材の長い40~50代の記者なら記憶しているはずだ。

 しかも、該当記事は、「泊めたら性行為」という刺激的な見出しで朝刊の一面にでかでかと掲載された。
 「自分なんてどうなってもいい」と衝動的に家を飛び出す少女にとって、「家の外」の危険を保証してくれる新聞記事は魅力的に映る。

 今回の記事で家出トラブルが新たに起きれば、記者にとっては新しい記事が書ける。
 家出少女は、新聞記者にとって猿回しのサルにされている。
 つまり、記者自身が「家出少女につけ込む大人」なのだ。

 それを裏付けるように、記事の最後には、「生きづらさ」などを抱える人たちの相談をSNSなどで受け付けている主な団体を、厚生労働省のHPから引用する形で紹介していた。
 相談する子ども自身がどれだけ満足している活動なのかも独自で精査することのない安っぽい引用で、紹介されたのはすべて「トラブルがあった後」の活動団体ばかり。

 家出のトラブルが起きないように、いつだって避難できる社会インフラを作ったり、自立の知恵を学べる環境を整える必要性とその成功事例を、なぜこの記者たちは取材して書かなかったのか?

 親権の強さによって児相にすら保護されない被虐待児が山ほどいて、毎日どこかで1人の子が親に殺されている日本では、命からがら生き延びても精神病を患ったり、大人になっても親に植え付けられた自己評価の低さから自殺してしまう若者が少なからずいるというのに…。

 こうした深刻な現実を掘り下げる泥臭い取材は、この2人の記者にとって他人事であり、面倒な仕事なのかもしれない。
 しかし、調査報道の仕事は、上司が求める模範回答を得るテストではないはずだ。

 苦しんでる人間と傷つけ合いながらも本音で付き合い、自分の足で見たくもない「不都合な現実」を掘り起こし、自分自身の頭でよくよく考え、それまで見えてこなかった現実や文脈を発見するのが、報道の仕事ではないの?

 新聞の購読者は親なので、親を批判する記事はためらわれ、子どもに警鐘を鳴らす構えで記事を書くのが基本姿勢になっていないか?
 それって、金を出す人に対する忖度では?
 そうでないなら、なぜ家出せざるを得ない子どもが生きる社会の仕組みを疑わないの?

 その程度のことがわからないままだから、朝日新聞のSDGsのサイトには、現実の表面だけをなぞったようなペラッペラッな記事が並んでるんだよ。
 これで、「ダイバーシティ」(多様性)なんて語るなよ。
 インテリがひとりよがりで語る社会観には、ほんと、反吐が出るぜ!

 オペラやバレエに熱狂してるインテリ人種には、各地の温泉旅館のステージを転々とする旅回り一座の大衆演劇に興じる人たちの気持ちは、一生わかるまい。

 読売に次ぐ国内2番目の販売部数を誇る朝日新聞の記者として、今回の記事を書いた有近隆史さん、田中聡子さんには、僕の「子ども虐待防止策」の講演会に足を運んでもらいたいもんだ(※取材目的でも入場料は払ってね)。

 講演に足を運ぶ前には、親から虐待されたつらい記憶と戦いながら、勇気を出してくれた10~50代の100人が執筆した『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO刊)くらいは読んでおいてほしいね。


 この講演会の開催は、すべて一般市民が進めている。
 彼らの中には、イベント開催の未経験者もいれば、精神科に通院中の方もいる。
 彼らは、僕を招く費用や開催費などを賄うため、寄付や入場者を必死に集めてくれている。

 それは、僕も各地の主催者グループもみんな、「親から虐待される子どもをこれ以上、増やさないようにしたい!」という熱い思いを持っているからだ。

 講演当日の聴衆にも、親から虐待され続けたのに、メディアによって「家出=悪いこと」と刷り込まれた世間の同調圧力の中でどうしても家出できず、「家の中」で精神病者になってしまった人が珍しくないだろう(過去の講演会でもそうだった)。

 そういう方々のリアルな声を真摯に聞いたうえで、「家の外は危険」を訴える記事を書いてしまった安っぽさと罪深さをまじめに考えてみてほしい。
 「今回の朝日新聞の記事はおかしい」と感じてるのは、僕だけでなく、twitterにはたくさんいるのだから。

 昔、朝日新聞の某記者から僕はコメントを求められ、「家出OKは会社として載せられません」と却下されたが、遺恨など持っていない。
 親に虐待されている子どもより、大人の自分や世間体を大事にする文化は、新聞社に限ったことではなく、日本社会自体が抱え続ける恥ずかしい文化だからだ。

 でも、本当のことを書くのが新聞であってほしい気持ちは、今も変わらない。

 朝日に限らず、大手の新聞記者は、家出・売春・リストカットなど子どもに関する行動を、不良行為か病的な行為(=問題行動)としてと否定する構えで取材してる。
 そうした構えを疑わないことが、インテリ記者が会社の方針と折り合うように仕事をする作法だし、自分自身が社員として定年まで安定した地位を守るための生存戦略だからだ。

 もっとも、そのように色眼鏡で現実を見る記者は、性的虐待する父親から逃れるために売春しか家を出る手段がない地方の少女の苦しみを想像すらしたこともないのだろう。
 取材される少女の方も、初対面の記者が書きたい物語に付き合ってあげて、本当につらいことや求められる物語にとって不都合な事実は秘匿する。

 残念なことだが、実はこのように安っぽい取材で記事を作る習慣は、「子どもの問題行動」(とインテリ記者が一方的に決めつけた行動)を報じる際にはよくあることなのだ(※テレビのニュース番組も同様)。

 その結果、自分の頭で考えるリテラシーのある少数派の読者には違和感を与えるものの、「朝日新聞」のブランドを信じて鵜呑みにする大多数の読者には、何ら問題のない記事に映る。
 新聞社は、その程度のクオリティの記事の作り方を後輩の記者に伝えて、購読者数を伸ばせるだろうか?

 「家の外は危険です」なんて、小学校の新米教師ですら言える。
 そこで「本当にそうだろうか?」と風説を疑い、調査して確かめる程度のことを怠るなら、ただでさえ急速な勢いで販売部数を減らしてる新聞は、今後もますます売れなくなるだろう。

 再度、言う。
 家出人のほとんどは、不当な性行為を対価にして居場所を得ることもしなければ、犯罪にも巻き込まれていない。

 それに、正確を期すなら、プチ家出(何度も家に帰ってくる漂流)や夜遊び、深夜徘徊やあてのない旅、自殺するために衝動的に家を飛び出した事例などは、「家出」と呼ぶには実態から遠すぎる。

 家族に内緒で飛び出したからといって、それだけで家出だと勝手に決めつけるのは、あまりにもざっくりとした認識であり、家出に無縁な人がドラマや映画などの虚構を妄信してきたゆえの偏見にすぎない。

 現実の家出人は、家族の知らない安全な場所に生活拠点を移しただけ。
 だから、「家の外」の危険は、むしろ避けたがる。
 セックスを対価に宿を得るなんて危険は、わざわざおかさない。
 「家の中」が一番危険だと気づいた彼らは、もう危険などごめんだからだ。

 そのように必死で自主避難した未成年に対して、「初対面の相手とセックスして常宿にしてるんだろ?」という色眼鏡を数百万人の読者に与え、マイノリティである家出人の尊厳を傷つけた記事の罪は、とてつもなく大きい。

 有近隆史さん。
 田中聡子さん。
 僕は、メディア業界の片隅で細々と仕事をしてるただのライターです。
 朝日新聞に勤めるご両人の仕事には、ジャーナリストの魂を見てみたい。
 そんなものが本当にあるとして、の話だけど。


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