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娘を性的虐待した父が無罪になった県からの回答

 2017年に愛知県内で実の娘(当時19歳)と性交したとして準強制性交罪に問われた男性被告に、名古屋地裁岡崎支部が「被害者が抵抗不能な状態だったと認定することはできない」として3月26日に無罪判決を出した。

 公判で検察側は「中学2年のころから性的虐待を受け続け、専門学校の学費を負担させた負い目から心理的に抵抗できない状態にあった」と主張。
 鵜飼祐充(うかい・ひろみつ)裁判長は判決で、性的虐待があったと認め、「性交は意に反するもので、抵抗する意志や意欲を奪われた状態だった」と認定したものの、「以前に性交を拒んだ際に受けた暴力は恐怖心を抱くようなものではなく、暴力を恐れ、拒めなかったとは認められない」と指摘した。

 原告側の名古屋地検の築雅子・次席検事は、「上級庁とも協議の上、適切に対応したい」とメディアにコメントしていたが、その続報はこれから注視するとして、なぜ愛知県の淫行条例に引っかからなかったのかを疑問に感じた人もいるだろう。

 そこで、素人ながら調べてみた。
 愛知県青少年保護育成条例には、こう書かれている(※全文はコチラ)。

第1章 第14条 何人も、青少年に対して、いん行又はわいせつ行為をしてはならない。
      2 何人も、青少年に対して、前項の行為を教え、又は見せてはならない。

7章 罰則 第29
14条第1項の規定に違反した者は、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する
 2 14条の2の規定に違反した者は、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

 これだけを見ると、父親を有罪にできるじゃないかと思う人もいるだろう。
 しかし、この条例では青少年を「18歳未満の者」としている。
 被害女性が2017年に19歳だったことを考えると、現在は20~21歳。

 そこで4月11日、愛知県の県民生活部社会活動推進課にメールで質問してみた。

★この条例は、いつ施行された内容ですか?
★第14条の「淫行、わいせつ行為の禁止」の時効は何年ですか?
★以下の事件で、県条例違反を問わなかった地裁の裁判長について、愛知県は行政としてメディア向けにコメントする予定はありますか?
 また、広く県民にパブリック・コメントを求める予定はありますか

https://www.sankei.com/affairs/news/190404/afr1904040036-n1.html


 すると、4月16日に以下の回答が届いた。



 この回答でわかったのは、3年前、被害女性は18歳で性的虐待に遭っていたのではないか、ということだ。
 もし17歳だったなら、検察側は淫行条例による罰を期待できただろうから、19歳時点での強姦ではなく、17歳時点の性的虐待について立件したはずだ。

 つまり、被害当時に「青少年」としては対象外だったため、淫行条例を適用できないと考えたのだろう(※同様の理由で監護者性交等罪の適用外になる)。
 もし裁判が1年早く行われていたら、淫行条例を適用できたかもしれないが、今となってはどうしようもないことだ。

 未成年への性的虐待の時効期間がたった3年なんて、愛知県民は納得してるんだろうか?
 13歳以上の者に対する強制性交等罪(旧強姦罪)の公訴時効は10年なのに、自治体で定める条例の方が国の定める刑法より甘いのは、あまりにも青少年にとって残酷ではないか?

 そもそも、性的虐待を子どもが誰かに相談することは非常に難しいのに、なぜ時効を設けるのかも、僕にはさっぱりわからない。
 大人たちが「子どもは有権者ではないのだから文句を言えないだろう」という構えで、勝手に自分たちに都合の良い条例を作ったとしか思えない。

 愛知県では、県議会議員の選挙も、名護市議会議員の選挙も、4月7日に終わってしまった。
 せめて、新しい議員たちが条例における事項を見直してほしいと思うけれど、冒頭の事件で地裁の無罪判決について、愛知県は行政としてメディア向けにコメントする予定もなければ、広く県民にパブリック・コメントを求める予定もないという。

 愛知県民には、選挙で1票を投じた議員に「淫行条例の罰則に時効をつけるのはやめて」と申し入れる人は、1人もいないの?




●虐待の時効は撤廃し、親を相手取った裁判で勝たせてよ!

 昨年(2018年)12月までにネットで公募したみんなの「親への手紙」にも、娘の自分をレイプした父親に対して裁判を起こす事例があった。


 刑法でも「無罪」になり、条例でも間に合わないとすれば、民事事件として損害賠償請求をするしか、救われようがない。
 しかし、損害賠償請求権は、たった20年で切れてしまう。

 もちろん、親に対する性的虐待の損害賠償請求を認めた判決例はあるが、子どもの頃のつらい過去を思い出すだけでも精神に大きな負荷をかけることを、現行法は考慮していない。
 それどころか、司法では虐待による苦しみをふまえない判決が言い渡されている。

 20181月、自宅で父親(当時44歳)を包丁で刺して殺害したとして、殺人罪に問われた少年(19歳)の裁判員裁判の判決で、横浜地裁は懲役4年以上7年以下(求刑懲役5年以上10年以下)を言い渡した。
 判決理由で深沢茂之・裁判長は、少年や母親に対する父親の暴力があったと認定したものの、口論になった両親を見て、少年が「母親に危害を加えられると誤信してもやむを得なかった」としたし、「他に取り得る手段があり短絡的で正当化できない」とした。

 父親が母や自分を殴るのは、父親にとっては平気で殴れる相手だからだ。
 そんな父親に小さい頃から日常的に接している子どもにとって、父親は脅威であり、恐怖と不安の温床だ。
 そんな暴力的な父親の前で「他に取り得る手段」とは何なのか?

 裁判員も、裁判長も、小さい頃からビクビクしながら父親を見上げていた少年の恐怖をわがことのように感じることができなかったのではないか?
 未成年による親殺しは、珍しい事件ではない。
 この裁判長も法曹界にいるのだから、そんなことぐらい知っているはずだ。

 でも、なぜ弱者の子どもの「窮鼠猫を噛む」事件が情状酌量されないのかといえば、残念ながら、この国には子どもの人権や命を大事にする文化そのものが歴史的にないからだ、と言わざるを得ない。
 僕はそのことに気づいてから、そういう文化はこれから作っていくしかないのだと考え始めた。

 少なくとも従来の発想による「児相中心の子ども虐待防止策」は約30年も失敗し続けているし、さんざん虐待されても、刑事や民事での勝訴を期待できないなら、そのこと自体が親殺しを動機づけてしまうことに法曹界で働く人たちには理解してもらいたいと思う。

 司法試験に受かるほど自分への教育投資を当たり前に欲しがれる人の感性と、何をやっても「どうせ俺なんて自分の親にすら虐待され続けてきた『愛される価値のない』ダメ人間」と自尊心を奪われてしまう人の感性は、天と地ほど離れている。
 それは、文化が異なると言い換えてもいい。

 自分の生い立ちや家族とはまったく異なる家族が現実にあることを、誰よりも裁判官自身が学ぼうとしない限り、「殺人はいけません」という良い子のお題目だけが大切にされ、親を殺さなければ生き延びられなかった人たちの痛みは関心外のままにされてしまうだろう。

 政治が三流の日本社会で、司法も子どもを守れないなら、親に虐待された子は救われないし、社会がセカンドレイプしているのと同じなのだ。
 こんな社会では、今後も親を殺すしかないと思いつめ、実行に移してしまう子どもも増えるだろう。
 誰も望まない絶望が、ここにある。


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