アニメ『天気の子』が大ヒットしてますが、もうご覧になったでしょうか?
僕は、ハーバービジネスオンラインに「『天気の子』は、児童福祉の視点で見ると、さらにリアルで面白い!」という記事を書きました。
また、その記事をもとに、この作品に関する誰も指摘していない魅力を語った動画をYouTubeに公開しました。
このブログでは、上記以外に『天気の子』に関して補足したいことを書いておこうと思います(※ネタバレしてますが、初めてこの作品を観る人にはさほど影響ないはず)。
その前に、いくつかの謎について、私見を先に述べておきます。
その一つ、凪センパイは、なぜ制服のある小学校でバス登下校なのか?
これはおそらく、母親の存命中に生前贈与によって授業料などを全部支払い済みだったことで、私立小学校に通えて、サッカーも校内で満足にできる環境が維持されたのでしょう。
だから、母の死後は持ち金がゼロになり、それを誰にも言わなかった陽菜は、弟との生活を維持するために働き出したのだろうと察します。
もう一つ、僕は記事に「須賀が陽菜と凪の未成年後見人になったのだろう」という推論を書きましたが、なぜ公務執行妨害をした須賀は未成年後見人になれたのか?
これはおそらく、帆高が「保護観察処分」という軽い処置で済んだのと同様に、須賀の兄(※小説版では財務官僚と明記)の権力によって身内である須賀もおとがめなしとなり、同時に、本業の編集プロダクション業も極めて繁盛していることから、家庭裁判所から未成年後見人になることが認められたのでしょう。
身寄りがなく、就学が困難である陽菜を「ふつうの高校生」にする目的なら、その措置が一番妥当であると家裁が判断するのは当然のように思います。
さらにもう一つ、陽菜が通うはずの公立中学校は、なぜ不登校で働いている陽菜を放置したのか?
それは、教育を受けさせる義務が親権者にあるため、唯一の親権者である母親が亡くなって以後、陽菜を通学させる法的根拠がないからです。
虐待案件でない限り、公立中学校の教師(=地方公務員)が忙しい業務のあいまにたったひとりの生徒のために家庭訪問でくりかえして通学するように説得するのは、今日ではレアケースです。
では、補足的な話を始めましょう。
●陽菜や帆高から宿泊・深夜外出・バイトの自由を奪ったのは誰?
『天気の子』では、少女・陽菜が「100%の晴れ女」として、文字通り「命がけの祈り」によって局所的に短時間の晴れを実現する能力を発揮します。
陽菜は、長雨に困り果てる人々のために人柱になったのです。
劇中で、何度も「晴れ女」の役割を果たした彼女は、やがて「晴れ女」をやめることで、無理に変えられた自然からの反動を招き、東京湾沿いのエリア(海抜ゼロメートル地帯)は水没してしまいます。
たった一人の少女が起こした大災害について、彼女と帆高しかその因果を知りません。
だから、この作品の冒頭で帆高は言うのです。
「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語」と。
世界の姿を一変させるような力を、陽菜は持っていました。
でも、その突拍子もない事実は、彼女と帆高以外は知らないので、二人は罪悪感やうしろめたさを覚えたようです。
現実の東京は、連日うだるような酷暑が続き、「雨女」がほしいぐらいですが、その酷暑は大人たちが車に乗って排気ガスを出し、工業製品を消費することで工場からCO2を出し、オゾンホールを作った結果ではないですか?
すでに南洋諸島では島全体が水没しかねない国も出てきてますし、世界中で砂漠化も進んでいますよね?
これこそ人類が作った「狂った天気」による「狂った世界」の姿でしょう。
「異常気象」と他人事のように呼び、被害者面をする大人たちは、自分自身の欲望のために、陽菜や帆高などの子どもたちに「狂った天気」「狂った世界」を与えてしまったんです。
陽菜が晴れを望む人たちの思いに応えて、その命を削ってきたけなげさを思うと、陽菜や帆高が世界の姿を一変させてしまったことなど、大したことではないように思います。
(だから、劇中でも大人たちは、「あの辺はさ、もともとは海だったんだよ」とか、「世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから」と帆高の気持ちを察して慰めた)
むしろ大事なのは、陽菜が「晴れ女」ビジネスを起業した理由が、親権者のいない子どもではまともな職場にありつけないから、だった点です。
このように、社会のルールや法律が間違っているために、違法か脱法の行為でなければ生きられない人は、現実には少なくありません。
たとえば、未成年が親から虐待されても、児童相談所で保護されるのは相談案件の6分の1にすぎないので、家出する方がはるかに安全なのです。
(あなた自身が毎日のように父親にレイプされていると想像してみて)
しかし、民主主義マインドの乏しい日本人には、「法律はとにかく守らなければいけないもの」と勘違いしてる人が結構います。
人は法律の範囲で生きられるわけではないので、「法律は常に変え続けるもの」として認識しておかないと、バカ正直に法律を守って死ぬことになります。
実際、ハーバービジネスオンラインの記事を転載したYahoo!ニュースのコメント欄に、珍妙なことをもっともらしく書いてた人がいました。
「社会やルールが狂っているというのは、陳腐な現実逃避、あるいは責任転嫁。
全ての人の合意は得られないが、それでもできるだけ多くの人が納得し、生きていけるように決められたのがルール。
ルールに従うことで、人は不安や不満から遠ざかる。
局所的な不幸や不満はあるが、それらが無視されているわけではなく、救いとなる新たなルールが少しずつ模索されている。
社会が狂っていることに気づいたと主張する人がルールに従うのをやめ、ガマンで乗り切るのをやめた結果、他者の幸福が損なわれ、社会が安定を失うという例は多い。
それを理想的な社会とする人は、あまり多くないだろう」
法律は、官僚が草案を作り、その案をもとに政治家が議決します。
しかし、官僚は高学歴インテリ文化に偏った価値観で法律を立案しますし、政治家は自分の票が失われかねない議案は否決します。
こういう生臭い現実をふまえれば、「できるだけ多くの人が納得し、生きていけるように決められたのがルール」なんて理想的な議決があると信じるなんて、端的に青臭い物言いだと誰もが気づくでしょう。
また、「ルールに従うのをやめ、ガマンで乗り切るのをやめた結果、他者の幸福が損なわれ、社会が安定を失う」としても、その安定で幸福なのは既得権益だけであり、全国民の中ではほんのわずかな少数者にすぎません。
40キロ制限の公道で40キロを守るドライバーしかいない社会は、ロボットの社会です。
血の通った人間は、法律が現実にそぐわなければ、あるいはバカ正直に守れば苦しいだけなら、破ることによって改正の機運が高まります。
その「血の通った人間」としての復権を、帆高と陽菜は演じたように思うのです。
しかし、帆高は、世界の姿を変えた罪ではなく、社会のルールである法律による罪により、保護観察処分になります。
帆高も陽菜も、子どもであるために、自分たちを不自由にする法律を変えることができません。
親がいないというだけで、宿泊も、深夜外出も、バイトすることも、ままなりません。
だから、「晴れ女ビジネス」で合法的に起業するしか、生活できなかったのです。
世界の姿を変えられるとんでもない能力があるスゴい子どもでも、社会のルールは変えることができず、祈ることしかできません。
そんなせつない状況をもたらすクソみたいな法律が、日本の子どもを家出や援助交際などの「法外」へ追いつめているのです。
そんな法律を作って、放置しているのは、大人の僕であり、あなたです。
ルールを変えられるのは子どもではなく、有権者しかいないのですから。
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