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子育ての責任が問われた裁判がある。
まずは、その裁判に至るまでの事件の概要から説明したい。
2020年8月、福岡県の商業施設で未成年が若い女性の命を奪う事件が起きた。
加害者は15歳の少年で、被害者は少年と面識のない21歳の女性・吉松弥里(みさと)さん。
この吉松事件では、裁判員裁判が行われ、「通り魔的に行った極めて残虐な犯行で、社会に与えた影響も大きい」として、求刑通り懲役10年以上15年以下の不定期刑の判決を言い渡し、少年は現在も少年刑務所に服役中だ。
この吉松事件では、被害者・吉松みさとさんの母親が、加害者少年だけでなく、その母親の子育ての責任を問う民亊裁判を起こした。
なぜなら、少年に複雑な生い立ちがあったからだ。
元少年の心理鑑定をした専門家は、元少年が兄から日常的に暴力を受け、母親からも「死ねばいい」と言われて育ったと証言した。
刑事裁判で元少年は「地元や母親の元に帰れると思っていたが急に断られて、気持ちが前向きにならなかった」と述べた。
そして、母親から身元引き受けを拒否された翌日、施設を脱走して、見知らぬ相手である弥里さんを襲ったのだ。
吉松弥里さんの母親は、娘の命を奪われているのに、この元少年の気持ちについて同情を示している。
「どれだけ絶望を味わったのか。その絶望がこの事件を引き起こしたことは間違いありません」
吉松さんの母親は、服役中の元少年にこう尋ねた。
「(刃物を向けられた)娘はどんな表情をしていて、どんな気持ちだったと思うか」
すると、元少年はこう答えた。
元少年には、他人の命を奪った事件に対する後悔や反省が見られなかった。
幼い頃からずっと親からいじめ抜かれた少年には、愛情を持って育てられていたら、自分や他人が傷ついたらかわいそうと感じられたはずの情緒さえ、欠落していたのだ。
つまり、当たり前の感情を育てられていなかった可能性がある。
娘の命を奪った責任の重さを理解してもらうため、弥里さんの母親は3年前、元少年だけでなくその親権者である母親も相手取って、7800万円余りの損害賠償を求め、民事裁判を起こした。
ところが、判決は元少年に対しおよそ5400万円の損害賠償を命じた一方、元少年が少年院などに入り、事件直前までの4年半、親元にいなかったことなどを理由に、「母親の監督義務違反はない。直接影響を与えたと認められない」とし、事件について子育ての責任はないとした。
そこで、元少年の母親のみを相手取って控訴し、「母親の態度に対する元少年の絶望が、この事件を引き起こした」と強く訴えた。
すると、元少年の母親に元少年と連帯して計約5400万円の賠償を支払うよう命じる判決に変わった。
高裁は、元少年の母親が少年院の職員などを通じ、元少年の粗暴性などの問題を把握していたと言及した。
粗暴な少年に対し、仮退院で身元引き受けを拒否することで暴力を誘発するおそれも懸念できることであり、元少年の母親には、事件を予見できる可能性はあったと認定したのだ。
さらに、少年は15歳で義務教育の過程にあり、母親の指導監督が必要だったのに、母親は「親権者としての当事者意識を欠き、仮退院前後を通じて少年に一切の働きかけをしなかった」と高裁は指摘した。
親が監督義務を怠らなければ、事件を防止することができたとして、義務に違反した母親の責任を認めたのだ。
もっとも、不適切な子育ては子どもを犯罪に導く恐れがあるから、親も共犯者として責任を負う(あるいは主犯格として責任を問われる)という判断や判決は、これまでの判例では珍しい部類に入る。
民法は、子どもや認知症の高齢者など責任能力のない人が他人に損害を与えた場合、親など「監督義務者」が賠償責任を負うと定めている。
日本では、子どもでも、中学生になる12歳前後から本人に責任能力があるとされ、基本的には本人が責任を負う。
最高裁は1974年、親などの監督義務者の義務違反と、未成年者の不法行為によって生じた結果との間に「相当因果関係を認めるとき」は親が賠償責任を負うとの判断を示し、これが基本的な考え方になってきたという。
これをわかりやすく言い換えてみよう。
親は、子どもの気持ちを観察しなければならない。だが、それを怠れば、子どもが犯罪に走るおそれも事前に感じることができない。
そのネグレクトの結果、子どもが罪を犯したら、親が賠償金を払う責任を負うことになる。
もっとも、親が不適切な子育てをしたから、その分だけ賠償責任が大きくなるかといえば、それはケースバイケースだ。
日本では、「親の子育てのありようが子どもを犯罪に導く」とか、「子どもが深刻な犯罪に手を染めるのは親の育て方に問題がある」といった認識が、裁判には無いに等しい。
裁判は法律に基づいて行われるが、その法律の内容を作っているのは国会であり、実質的に親たちであるから、親にとって不都合な法律は作られにくい。
吉松事件の場合、元少年が幼少期から親にネグレクト(育児放棄)や性的虐待などで不適切な養育に苦しめられていたなら、たとえば証拠がなくても、子どもの証言だけで親を逮捕するといった法律を作れば、危険な親と同居しなくてもよくなっただろう。
しかし、子どもが親にどんなに苦しめられても、裁判で子どもに証拠を求める。
そうした無茶な裁判のあり方自体を改善する司法関係者はいない。
しかも、子ども親を相手に裁判ができること自体、学校で教えることがない。
それに、いざ弁護士に依頼できる金ができても、親と同じ屋根の下で生活しながら、親を相手取って裁判するなんて不可能だ。
しかも、それをやれば、親からもっと苦しめられることは目に見えている。
つまり、この国では、そもそも子どもは「法の下の平等」の恩恵を受けられないまま、親を訴えることができないまま、親に苦しめられる現実に耐え続けるしかないのだ。
吉松さんの母親は、「元少年を仮退院させた少年院の対応にも原因がある」として、国にも賠償を求める訴訟を起こし、地裁で係争中だ。
仮退院の際に、仮退院の可否を検討する会議が開かれなかったことなどが事件につながったと主張している。
僕は、吉松さんの母親を応援したい。
元少年が施設を「脱走」できたのも珍しいことではないし、情緒や知能に障害や病気を持っていたとしたら、社会に出す前に治療や支援を受ける権利こそ少年に必要だったかもしれないのだから。
未成年を犯罪者に育てるかどうかは、親を含め、大人の責任だ。
この社会を「安心して暮らせる場所」にしたいなら、子どもが安心して生きられる権利について考えることだと思う。
それは、自分を苦しめる相手を訴える権利だったり、そんな相手から離れて暮らす権利だったり、危険な親から経済的に自立できるように働く権利だったりする。
吉松さんを襲った少年が、もし親より稼げる方法を学んで、母親からなじられる家にいる必要がなければ、何の関係もない相手を傷つけることはなかっただろう。
小学生の頃から、自分を苦しめる親を訴えることができて、証拠を提出する必要もなく虐待親を刑務所にぶち込んでいたら、21歳の若い女性が命を落とすことはなかったのだ。
あなたが子どもの頃、ほしくても得られなかった権利とは何だろうか?
ぜひ、考えてみてほしい。
